第10話 旧き神、アラミザケ
とても人の手では抜けないし、食べきれないサイズのビッグビッグ大根。
これは いったい何だ? 巨人用?
こんな野菜なんて、作る意味あるのだろうか?
頭の片隅をイヤな疑問がかすめたけれど、作ったキャルロットは大はしゃぎなのにそこへ俺たちが水を差すのも気まずい。肘でハカセのワキを小突いてやると、なりたてホヤホヤである父親役が今すべき行為に気付いたようだ。
「よ、よくやったね、キャルロット。肥料をまくからたっぷりお食べ」
「わーい、パパにナデナデしてもらっちゃった!」
教授が言った通り、一度この世に生まれ落ちた命を勝手な都合で消し去ることは出来ない。決して短気を起こさず、辛抱強く付き合い方を模索していくしかないのだ。喜ぶキャルの笑顔を見ていると、漠然とした不安を感じるのはどうしてだろう?
そうこうしている間に、太陽は西へと傾き吹く風は冷たさを増していく。
「あのさ、ハカセ。そろそろお暇しないか? 皆も心配するだろうし」
「そうですね、アンリが病み上がりなんだから、僕たちでご飯を作らないと」
「えー? パパたち行ってしまうのですか? キャルはひとりぼっち……」
あらら、土から生えた植物が うなだれてションボリしている。
いやだって、仕方ないだろ? 植物は歩けないんだから。
キャンプ地には連れて帰れないよ。
ハカセが説得しても、キャルは首を振りながら愚図り続けているぞ。
わからない子だなぁ……困ってしまう。
ううう、子育てというのは大変な物だな!?
カボチャの召使いやネモ教授も色々と諭してくれたけど、キャルは涙目でこっちを睨んでいるよ~。
「明日もまた来ますから。ね? 約束しますから」
それでもキャルは納得しかねる様子であったが、キリがないので俺たちはもう畑を後にしようと決めた。去り際に視線を感じて振り返ると、彼女は執念深くいつまでもこっちを見つめているじゃないか。
夕暮れの下、畑に立ち尽くす人影はそれだけでどことなく薄気味悪いな。
こんな時間帯だと、斜陽が作り出す長い影すらも不吉に思える。
もしも俺たちが彼女を粗末に扱い、怒らせてしまったら?
寒気を感じたのは、恐らく日没ばかりが原因ではないのだろう。
そして、遠くの林から俺たちを見つめる「もう一つの視線」が在った事を。
この時点では まだ知る由もなかった。
「つまり、オーシン殿。ここまでの話をまとめると こういう事かな? 古代文明を滅ぼした『緑の創造主』とやらの種が、島のどこかにまだ眠っており、海賊の狙っている宝とはソレなのだと」
「そうそう、そんな感じ。出来る事なら奴らより先にその種を見つけてさ……」
「見つけてどうするの? 男ならはっきりおっしゃいなさい、オーシン」
「うーん、こっそり燃やしてしまうとか。洞窟ごと地中深くに埋めてしまうとか」
「海賊の恨みをかって全面戦争になりかねないぞ、オーシン殿」
「だぁーかーらー、こっそりって言ったじゃん!」
「まぁまぁ、大根が煮えたみたいよ。正確には大根みたいな何かが」
浜辺のキャンプ地にて。
俺たちは焚火をかこんで、報告相談会の真っ最中だった。
もう、リーダーの独断専行はしない。
やっぱりチームワークをする上でホウレンソウは大事だから。
仲間としっかり情報を共有しないと。
火には鍋がかけられており、その中ではキャルの作った大根が煮えている。
食べられそうな部分だけ切り取って持ち帰ったのだ。
あまりにもったいないので。
大根を煮る時は輪切りがセオリーだけど、この大根モドキはサイコロステーキみたいな形をしている。ちょっと大根に見えないなぁ。
火を囲んでいるのは、ゲンジ、リリイ、そして俺の三名。
「……でも、おかしいわよね~。まさかまさか、あのトマスがパパだなんて。奥手そうな顔してさ! マジメ君に先を越されるなんて思わなかった。こんなのママに知られたら怒られちゃうかな」
はは、今でこそ笑っているが、リリイにその話をした時は大変だったのだ。
俺がうっかり「大変だ、トマスがパパになったよ」と雑な説明をしたせいで。
―― ハァ!? 何それ!? 相手は? 相手は誰なの? この島には私とアンリしか居ない。私は……その……清廉潔白だし! まさか、まさかまさかまさか!!
―― ああ、オーシン。気をしっかりもって。私がついているから。たとえ脳が破壊されても人は生きなければいけないの!
―― いや、待って。ちょっと待ちなさい。アンリは今日ずっとキャンプ地に居たけど? 何の話よ、それ?
まったく、待つのはそっちだって。
悪かったよ。こんなジョーク、相手を見て言うべきだったよな。
それよりキャルが作った大根を食べてみよう。
竹製の串を使ってサイコロ大根を刺し、フーフー冷ましてからかじりつく。
シャリシャリというより、サクって食感。
独特の苦みと土の香りがあってこれは……。
「これ、大根じゃなくてカブだな」
「贅沢を言える立場でなし。無人島で野菜はご馳走だ」
「キャルちゃんに感謝しないとねぇ、はふはふ」
「ほらほら、かける用の肉もできたから、あまり食べすぎないで。ふろふき大根にするつもりなのでしょう?」
そこへ、アンリとトマスが鍋を持って現れた。
鍋つかみはないので、厚めの葉っぱが代役を務めている。
「肉みそ……と言いたいけれど。あいにく味噌がないのよねぇ。ジパングの味を再現しきれずにゴメンね、ゲンジ」
「いやぁ、味噌は帝国でも貴重品ですよ、優しいレディ」
「イノシシの肉をたたいてから煮た感じです。ムカゴ、山芋のデンプンで汁にとろみをつけてみました。塩で味付けしてあるので、大根と一緒にどうぞ」
「わ、私が焼いたイシダイの干物もあるからね!」
メッチャ、焦げてるけどね。リリイったら慣れないことをするから。
とはいえ、俺たちの食生活も日増しに向上してきたようだ。
狩猟用の罠を仕掛け、獲物がとれるようになった。
海水から塩を作り、最低限の味付けと塩漬け保存が可能になった。
日干しやクン製にも挑戦して、僅かだが貯えも出来つつある。
そこにキャルの作った野菜が加わるとなれば、怖い物なしだ。
あとは食後に甘い物さえあればなぁ……。
カブ風味の大根に舌鼓を打ちつつ、俺がそんな事を考えていると。
想いを見越したようにアンリがウインクしてみせる。
「その顔は、デザートを欲している顔でしょ? アンリママにはお見通しだから」
「おっ、バレバレだった?」
「ちゃんと考えてあるからね。みんなに苦労をかけた分、お礼はいずれするつもり」
いやいや、元気になってくれただけでお腹いっぱいですよ?
まぁ、せっかくだから楽しみにしておくけど。
無人島生活の初日こそ、寝ても起きても食料や水を確保することばかり考えていたというのになぁ。とうとう、デザートに色気を出す余裕まで出てきたか。まったく大したものだ。
しかし、余裕が出てくるといらぬ事まで考えてしまうのが人間というもので。
アンリは両手の人差し指をモジモジこすりながら、控え目に口を開いた。
「あのね、それでね、オーシン」
「うん、どうしたの」
「さっき話が聞こえたんだけど。『創造主』の種は全て燃やそう言ったよね?」
「あ、うん。言ったな」
「それって、凄くモッタイナイ事なんじゃないかな?」
「え?」
「キャルみたいな守り神が畑にいてくれたら、もう不作で悩む農家なんて居なくなるでしょう? それはつまり飢えに苦しむ人も居なくなるってことで」
「そうだけどさ……それをやった、いや、やろうとした海賊自治区は、彼らの手で滅ぼされてしまったという話だぜ? 植物の反乱でも起きたのかな、多分」
「それはきっと接し方を間違えただけで……頑張ればキャルちゃんをとても良い子に育てられるのではないかと……そう思うんだけど。人類の宝である貴重な種を燃やしてしまうなんて……私たちだけで勝手に決めちゃって良いの? 仲間の種を燃やされたら、きっとキャルだって悲しむよ」
余裕が出てくると人は余計なことを考える。
海賊自治区の人間も、飢えの心配がなくなったら余計な事を考えて。
それで……アンリにそんな事は言いたくない。
俺の口から出てきたのは別のゴマカシだった。
「そりゃーね、大人に判断をゆだねられる状況なら、そうするさ。でも今は俺たちしか島の宝を守れそうな奴は居ないんだから。うーむ」
マズイな。ここまで意見が割れるとは思わなかったぞ。アンリは言い出したら譲らない性格だから、決定打がなければ平行線が続くのは目に見えている。
「そうだ、ハカセ。ハカセはどう思う? 種は燃やすべきか?」
「正直、少し揺らいでいますね。キャルの可愛いさを目の当たりにして、彼女に心を許したくなっている。それに植物の品種改良というのは、別にキャルを持ち帰らずとも……昔から錬金術師の実験室ではもちろん、その辺のリンゴ農家でも行われていた行為です」
「ああ、成程。精霊まほーで気候を操作したりね。東洋人が持ち込むまで、竹や笹なんかこの地方に自生していなかったという話だし……」
竹細工にみせられた連中が、植林したとかナントカ。
しかし、それはそれとして。キャルのやっている事はケタ違いなんだけど?
リンゴの品種改良と「リクエストされた物の創造」は少し違わないか?
リンゴはリンゴ。どう改良しても人を食う怪物にはならない。だけど……。
「俺はやっぱり、キャルは教授に預けて、種はコッソリ燃やしてしまうべきだと思うんだけど……古代の秘宝なんか世に出ても、新しい生物兵器として戦争に利用されるのがオチだ」
『なかなかに さといではないか、人の子よ』
不意に謎の声が周囲に響く。
いや、テレパシーの類いか? 脳内に直接声が聞こえてきたような?
強烈な思念を感じて俺たちが振り返ると、浜辺に隣接した木立の奥から一頭の鹿がこちらを見つめているじゃないか。その顔にはベッタリと緑色のドロドロが張り付いている。
あれは? この島で何度か見かけた病気の動物たち?
いや……あれって もしや病気なんかじゃなくて。
ドロドロは、コケ類の植物だったりする?
よく見たら日陰の切り株を覆っているクサリゴケにソックリだ。
まさに「苔むした」という表現がピッタリ。
アイツ等、もしかして俺たちを遠巻きに見張っていたのか?
無人島生活の初日からずっと?
そんな奴が、このタイミングで話しかけてきたのだとすれば……。
俺たちは おもむろに立ち上がって「苔むした鹿」と対峙する。
もちろん、戦う覚悟と武器の準備は忘れずに。
「コイツはたまげたな。けどよ、鹿がいきなり話しかけてきたからって、俺たちはシカトなんかしねーよ? ハローハロー、森の鹿さん。こちら遭難者です」
『ククク、驚かせてしまったようだな。この肉体は移動に用いる仮初の物。念話は顔に付いたクグツゴケが担当している』
へぇ、やっぱりそうなんだ。
笑っているのは、ジョークがウケたからじゃないよね?
「それで? コケだか、鹿だか知らんが、俺たちに何の用だ? 島の宝には番人が居るって聞いたけどさ、もしかしてアンタの事だったりするの?」
『そう、宝の番人とは私のことだ。緑の創造主であるワレが、同族の未来を守るのは当たり前のことだろう? 我らの住処に踏み込んで、その種を燃やすつもりとは聞き捨てならぬ狼藉』
「同族? アンタ、キャルの仲間か!?」
『ふん、キャルロットね。人間は変わらんな。我々に適当な名をつけては愛でるフリをする。しかし、それも最初だけだ。やがては飽きて処分するか、金儲けや戦争に使いたがるもの。優しいのはいつも初めだけ。優しさよりも実利。愛よりも欲。強欲が過ぎるのよ、貴様らは。だから我々が滅ぼした。この地にあった愚者の国を』
「いや、待て! 俺たちは、キャルにそんな事しないって」
『俺たちは違う? その台詞、百万回は聞いたよ。次のお約束を当ててみようか? 人間もいずれ成長するから、考え直してくれ。仲直りしよう、だろう? はははは、嫌だね』
うわぁ……なんだろう? このスレた感じ。
まるでアンリに会う前の俺みたいだ。
いきなり出て来て、まだ俺たちが「やってもいない事」で説教しないでくれる?
いつから俺たちが人類代表になったんだよ?
「ちょっと、決めつけがすぎるぞ。未来のことなんて誰にもわかるものか。古代人が犯した罪まで俺たちに押し付けるなっての」
『また言ったな? 俺たちは違うと』
「言うさ、しょーもない大人と違うんだから! 俺たちは!」
『ならば逆に教えてくれ。我々は、あと何度思い止まればよいのだ? 悠久の時を待ち続けた。いつかは人間と和解できる時も来るだろうと。しかし、この島を訪れる人間ときたら。お前たちは結局、我々を使いこなせる程に賢くなんぞならんのさ。だから我々はな、もうガマンするのを止めることにした』
「なに?」
『宝がいつまでも見つけられるのを待っていると思ったか? いったい誰がそう決めた? むしろ、こちらから出向いて、愚か者を支配してやれば良いのさ。我々が暮らしやすい世界を築き『支配されたい』という人の願いこそをかなえてやろう』
「おいおい、まさか島の外に侵略するってのかい? 野生の鹿が?」
『既に言ったが、この体は単なる借り物さ。歩けない我が、お前たちと話す時だけ使うコマ。お前らの国、ロマナ帝国と言ったか? 自然を支配する精霊魔法使いの国らしいな? ヒトの分際で気に入らん。自然の意志は我々と共にある。それを教育してやる必要がありそうだ』
黙って聞いてりゃふざけたことを!
いくら子どもだってなぁ……俺たちだって帝国所属の精霊まほー使いなんだよ!
「だまれ、このモンスターめ!」
『何だと? 今、我を何と呼んだのだ?』
「モ、ン、ス、ターだ! このオーシンが思うに、お前は大自然の意志を
『傲慢なヒトめ。耳を洗ってよく聞け。我の名はアラミザケ。そこいらの雑魚モンスターではないわ』
アラミザケ? なんだい、そりゃ?
『海賊自治区の王が我に与えた神名よ。どこぞやの国の航海を守る神だとか。ははははっ、迷信深い海賊ならではというべきか』
「古の海賊たちはお前をあがめたのかもしれんが、ロマナ帝国もそうすると思うなよ。チリ紙なら間に合っているんだよ」
『やはり人には教育が必要なようだな? お前たちの体はこの島を出るのに便利そうだ。いくら子どもだからといって、種を燃やす気ならば手加減はしない。出でよ、我が兵士たち。小賢しいチビどもを黙らせてしまえ』
張り付いた緑のドロドロが、鹿の顔中へ広がって線となり、ついには入れ墨のような文様を形作る。まるで歌舞伎のクマドリか、原住民族の戦化粧みたいだ。
いや、本物なんか見たことないけどさ。
次いで鹿が立派な雄角を振りかざし、夜空に草食動物とは思えぬ咆哮をあげる。
すると林の奥から奇妙な影がやってきたではないか。それも三体も。
あれは、イタチか?
身長が二メートル近くある事に目をつぶれば、イタチによく似た生き物だ。
体毛はくっきり白と黒のツートンカラーにわかれ、分け目のラインがちょうど胴体の中心部を走っている。上半分つまり背中側が白、腹側が黒だ。
「なんだ、なんだ? 古代文明を滅ぼしたという割には地味な奴らだな?」
「気を付けて、オーシン。あれはきっとラーテルです。『世界一怖い物知らずの動物』として有名な捕食者。ライオンやコブラ、水牛を仕留めることもあるとか。そして、あんなサイズは普通なら在り得ません」
ハカセの警告が皆の空気をヒリつかせる。
なに? イタチのくせにライオンより強いの?
確かに足の爪は鋭く
「へん、所詮まほーも使えないドーブツだろうが。俺たちに敵うものかよ」
『ククク、チンケな魔法ごときであふれる野生をどうにか出来るのかな。そのウヌボレが命取りよ。行け、我が兵士たち! やってしまえ!』
アラミザケの指示を受け、ラーテルどもが襲いかかってくる。
猛獣のパワーは確かに凄まじい物があるだろう。
しかし、それが活かせるのは接近戦だけ。
魔法剣士志望の身としては少々心苦しいが、飛び道具こそ人類の英知だ。
リリイのサンダースピアを主軸に戦えば敵じゃないはず。
俺にだって、バラのツルや石器の弓矢があるんだ。
そんなコチラの意図を察したかのように、ある程度距離を詰めるとラーテルたちはこぞって足を止めた。うん? その間合いで何をする気だ?
まるで逆立ちでもするようにラーテルどもは前足二本で体重を支えて、跳ね上がった尻をこちらへ向けたではないか。なんだよ その姿勢? 挑発のつもり?
いぶかしんでいると、ラーテルの尻からドス黒い液体が発射された。
本能的な恐怖に突き動かされ、俺は液体をさけた。
黒い液体はそのまま俺の背後へ……。
集まった仲間たちのまっただ中へとぶちまけられた。
敵の狙いは、文字通り「痛いほどに」よくわかった。
なぜなら、すぐさま強烈な刺激臭が俺たちの目や鼻を襲ったからだ。
くっ、くせぇ~! 腐った肉と、硫黄と、肥溜めの悪臭を混ぜたような臭さ!
鼻が曲がるなんてモンじゃない。
目からは涙があふれ、鼻水が呼吸を妨げる。
更には胃液が喉の奥から込み上げてくるんだ。
もう戦闘どころじゃない!
そして、その感想は俺だけでなく皆が同じだったようで。
「ご、ゴメン、これは無理」
「ちょ、吐く! ウプッ、ヤダヤダヤダヤダ、ヤダ――ッ!」
真っ先に逃げ出す女性陣。
アンリは海へ、リリイは口を押えながら海岸の岩陰に走っていく。
ちょ、戦闘中ですよ?
「いかん、散開しろ。密集したままじゃ敵の思う壺だ」
「そうです、思い出しました。スカンクと同じように尻の臭腺から『最後っ屁』を放てる。それこそがラーテル最大の武器」
もう遅いわ!! ゲンジとハカセも散り散りに逃げ出す。
そしてラーテル三匹は、いやらしい笑みを浮かべながら向かってくるじゃないか。
仕方ない! 俺はバラのツルを木立の枝へと伸ばし、浜辺からの離脱を試みる。
射程距離ギリギリであったが、辛うじてツルは遠くの枝に絡まり「巻き上げ機」の起動力で俺は木の上へと逃れることができた。おかげで悪臭から逃れ、ようやく自由に息ができるようになったぜ。
しかも、ラーテルどもを跳び越えてアラミザケに接近できたぞ!
すぐソバにすました顔の敵将が居るじゃないか。
俺は背負った弓に矢をつがえ、弦をひきしぼった。
戦はアタマを取られたらオシマイなんだよ、くらえ!
放った矢は吸い込まれるように鹿の頭部へと飛んでいく。
だが、強い衝撃が、目に見えぬ波のような物がアラミザケより放たれ、空中に在る矢を弾き飛ばしたではないか。
『狙いは悪くない。しかし、我には「
「くっそぉ! バケモンめ」
『それに、そんな事をしている場合かね? 仲間がピンチではないのか?』
見れば、ラーテルどもはコチラに見向きもせず、逃げた仲間を追いかけていく。
それも三匹がそれぞれ別行動で。味方全員がピンチだ。
こ、これはマズい!
勝利を確信した状況からまさかの急転直下。まるで悪夢のような戦線崩壊劇だ。
まさかたった一発の屁でパーティーがバラバラになるなんて。
これだから戦闘は、そして野生相手は恐ろしい。
こちらの想定してない事態が当たり前のように起きる。
敵は三体、向かう方角も狙いもそれぞれバラバラ。
さて、そこで問題だ。いったい俺は、まず誰を救いに行くべきなのだろう?
海へ走るアンリか?
岩場に逃げ込んだリリイか?
キャンプ地に向かっているゲンジとハカセか?
『シッカリやりたまえよ。我は高みの見物といこう』
うっせえ! シカトだ!
つまり、その、誰が今一番助けを必要としているのかってコトなんだけど。
それぞれの能力とこれまでの実績を冷静に比較し……している場合かよ!
俺は即座に木を飛び降りると走り出していた。
モチロン、アンリの所へ! 一目散だ!
アンリはラーテルに追いつかれる寸前、砂浜から海へと駆け込んでいた。波打ち際を進み、腰まで海水に浸った所で追跡者の方を振り返った。
そして彼女は言い放った。
「さてと、おバカさん。アナタ、誰に、どこで喧嘩をうったのか、ちゃんと判っているんでしょうね?」
ラーテルは寄せては引く波を恐れず、アンリににじり寄っていく。
恐らく、ラーテルにとっての屁は逃亡補助の手段ではなく、必勝の方程式なのだろう。間合いが縮まると、ラーテルは倒立の姿勢からまたも臭い液体を発射する。
ふざけたことにアンリの顔面を狙ってだ。何をしやがる、この野郎!
だが、その腐れ液はアンリまで届かない。
両者の間に水の壁がそそり立ち、攻撃をさえぎったからだ。
そう、アンリの「まほー」は水を自在に固め操る能力。
海に逃げ込んでしまえば、周囲にある水の全てが武器となり、防具となる。
次いで海水の壁はラーテルの四方を囲み、逃げ場を奪い尽くした。
唖然としているラーテルの頭上へ黒い影が差すのはその直後 ――。
アンリの怒りを象徴するかのように、海水を固めて作られた「巨大な握り拳」が今まさに振り下ろされようとしている所であった。
轟音と共に叩きつけられる、あまりにも痛烈な鉄槌。
ラーテルはどうにか起き上がったが、明らかに戦意を喪失しているようだ。
後ろの壁をガリガリ引っ搔いて逃げようとしている。
なんだ? 野生に戻ったのか?
見事な反撃だ。一瞬で全てが終わっていた。
それで、俺は?
アンリの戦いぶりを近場で見ている内に全てが終わってしまったよ。
そんな「間抜け」が立ち尽くす姿に気づき、アンリが声を張り上げる。
「あの、オーシン! こっちはアタシ一人で大丈夫だから」
すっかり頭から冷水を被せられたような気分だよ。
すごい早さで顔面から血の気が引いていく。
どうやら、またもリーダー失格くんが やらかしたらしい。
よりによって、この土壇場で。
アンリの能力なら、単独でどうにかなるのは明らかだったのに。
それよりもゲロを吐きそうになっていたリリイや、非戦闘員のハカセを気にかけるべきであったのに。今回も私情を優先してしまった。いくらリリイが強くとも、精神を集中できない有様では「まほー」を行使できるはずもない。無防備に吐いている背中を狙われたらそれでオシマイなのに。彼女のか細い首に肉食獣のアゴが食らいついたら、どうなるかは言うまでもない。多くの場合、襲われた草食動物は首の骨をへし折られて最期を迎える。
顔面蒼白になった俺が岩場の方を振り返ると……。
そこに待っていた光景は、血まみれになった仲間の死体……ではなく。
それよりも、もっと酷い場面だった。
フラフラとこちらに歩み寄ってくる人影。
月明りに照らされるその華奢な姿は、間違いなくリリイだ。
どうにかなったのか? 俺の心配は杞憂にすぎなかったのか?
そんな楽観論は、リリイの背後にラーテルが付き従っているのを目にする事でもろくも叩き潰される。なんてこった、敵は無傷だ。つまり……これって?
俺の脳裏にアラミザケの思念が届いたのはその時だった。
『選ぶがいいさ。全員で我に従うか、それとも仲間同士で殺し合うのか』
リリイの顔には緑色のドロドロがベッタリと張り付いていた。
くそ――っ、何て事を!
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