第9話 ハカセ、パパになる




 翌日、俺たちの無人島生活はとうとう四日目を迎えた。

 コカトリスにやられた時はいったいどうなることかと思ったが。

 アンリの熱も幾分下がったようだ。

 でも、起き上がるとまだ体がフラついているみたい。

 やはり体力の消耗が激しいのか?

 飯の事ならどうにかするから、回復するまでゆっくり休んでよ。



「そうそう! も、問題ないわ。私だって料理ぐらい出来るんだから! 無論!」



 ほら、リリイもこう言ってるよ。親指を顔に向けながら。

 ちょっと声が震え気味だったのは気になるけど。


 海賊たちの更なる襲撃は特になし。ライガは律儀に約束を守るつもりらしい。

 偵察に出かけたゲンジの話だと、奴らは島の北側にある小さな入り江を本拠地と定めたようだ。そこに船を停め、中心部にある山を調べているのだとか。


 この島に来たばかりの俺たちが、さしたる情報などもっているはずもない。

 そう決めつけて、俺たちは放置。独自の調査を開始した感じか。


 それとも「何でも喋りますから、早く御用を済ませ出て行って下さい」なんて俺たちが泣きついてくるとでも思っているのか。

 いずれにせよ、なめられたもんだ。


 俺たちのキャンプ地や、ネモ教授の小屋は山を挟んで正反対。これなら、そうそう奴らと出くわすこともないかな?

 あとはキャプテン・バルバードの財宝が山中にないことを祈るばかりだ。


 横から かっさらわれていくなんて納得いかねぇ~。

 でも、暗号にあったワシの庭ってどこなんだろうなぁ……?


 ゴン!

 痛ッ!

 

 そんな事を考えていたら、振り下ろした石を自分の指に打ち付けてしまったじゃないか。石で叩いて石を砕く、いわゆる打製石器を作っていた所さ。

 現在時刻は昼過ぎ。

 予備の石斧や、矢じりがもっと欲しくて今日は河原で石拾いをしていたんだけど。コウも考えることが増えたら無人島サバイバルに集中できねーよ。石器は簡単に作れて威力もソコソコだが、鉄器に比べて頑丈さに欠け長持ちしないのが難点なんだ。予備は多いに越したことはない。

 いつもなら在り得ない俺のうっかりミスに同行したハカセも心配そうだ。



「ケガはありませんか、オーシン?」

「ああ、平気へーき」



 俺は赤く腫れた指を口にくわえながらうなずく。

 うん、そうだ。ハカセはどう思う? 

 海賊団の奴らとこれ以上かかわりを持たず、放っておくべきか?



「放っておくべきではないと……僕はそう思いますよ」

「ほう、どうして?」

「宝の地図に書かれていたでしょう? バルバードの宝を手にした者は、同時に世界の命運すらも手中に収める事となる。そんな物をみすみす悪党にくれてやって良いハズもありません」

「だよなぁ」

「それに学園でも教わりましたよね? 精霊魔法使いたるもの、調和と規律を重んじ、それを乱す者には敢然と立ち向かうべしって。校訓にも入っているじゃないですか。オーシンだって、本当はそうしたいと思っているのでしょう?」

「仲間が傷つけられるのは嫌だ。その想いは今も変わらないけど。でも、これはもう俺たちだけの問題じゃなくて。下手をすればロマナ帝国存亡の危機になりかねないよな? どんなに怖くても、逃げてはいけない状況だってあると思う」

「となると、ハテ、どうしたものでしょう」



 まぁ、宝の文言ってのはチョッピリ大袈裟に盛られている物かもしれないけど。

 しばらくして、ハカセが不意に顔をあげる。



「そうだ、ネモ教授に相談してみませんか?」

「あの天才さんに? 俺はどうも苦手だぜ。ワガママそうで」

「長年この島で暮らしていたようだし。きっと宝についても詳しいのでは?」

「そうだなぁ、海賊は大嫌いだと言っていたっけ。敵の敵は味方って理屈か」

「それに、宝の地図と一緒に入っていた種。あれも気になります。前回は地図の件を伏せておきましたが、今回は素直に話してみません?」

「どうせ俺たちだけじゃ暗号はチンプンカンプンだし。このままじゃジリ貧か」



 母さんもよく言っていたっけ。

 人間関係も食べ物も、食わず嫌いはよくないって。

 毛嫌いしないで試してみるか(謎の上から目線)


 新たに作った石斧と弓矢をたずさえ、俺とハカセは再びネモ教授の小屋を訪ねる。もしもーし、お元気ですか? 天才エルフ。



「なんだ、また君たちか? 毒にやられた仲間は助かったのだろう? ならばもう良いじゃないか。私も別に暇を持て余しているわけじゃないんでね。単なる話し相手なら召使いで間に合っているよ。天才への依頼をキャンセルとは、何様かね、まったく!」



 けんもほろろとは、このことか?

 今回は小屋の中にすら入れてもらえない。このままだと追い返されるのが目に見えているので、俺たちはすぐ本題を切り出すことにする。



「まぁ、そう言わないで。今日は天才ネモ教授に見て欲しい物があるんですよ」

「おや~、やっぱり天才の頭脳が必要とされているのかな? それなら話を聞いてやるのもやぶさかではないが……」



 本当に判りやすい人だね。とりあえず、ほめておけば話を聞いてくれるらしい。

 しかし、教授が オチャラけた態度をとったのも束の間のこと。

 ハカセが謎の種を見せると、ネモ教授の表情が凍り付く。



「これは……いったいどこで、これを?」

「海賊の死体が後生大事に抱えているのを見つけたんだ。宝箱の中には、こんな地図も一緒に」

「オーケイ……禁じられた宝の一部を持ち出した輩が居たというワケか」

「宝の一部って、その種のことですか? 植物が? なぜ宝?」

「何にも知らないんだな。私なら、そんな地図や怪しい種は燃やしてしまい、無人島の脱出に専念するだろうよ。世の中には知らない方が幸せなこともある」

「そうはいかないんですって! 怪物海賊団っていう現代の海賊が宝を狙っているんですよ! 禁忌の秘宝なら、余計に見逃せない。みすみす悪党にくれてやったら、大惨事になる。そうでしょう?」



 ネモ教授はしばらく腕を組んで考えていたが、やがてゆっくりとうなずいた。



「君たちはまだ子どもだ。逆説的に述べれば、欲まみれの大人ではないとも言える。子どもだからこそ正しい判断が出来ると信じ、導いてみるのも一興かな? 今一度だけ人を信じてみるか……いいだろう。中に入りたまえ。詳しく説明してあげようではないか」

「ありがとうございます!」

「礼には及ばない。私も教授の名を冠する者、若人への教育はほんの義務に過ぎないのだから」



 よく判らないけれど?

 教えてくれるのなら、やっぱりサンキューだよな?


 小屋の居間に通され、暖炉の温もりに触れると安堵の吐息が漏れてしまう。

 この島で唯一レンガの壁に囲まれた、文明の火を絶やさない場所。

 無人島にこんな聖域があるなんて奇妙ではあるけど、やっぱり家の中は安心するな。一度でも文化的な生活を味わったら、人がそれを手放すなんてとても無理だ。

 今さら野生になんか戻れない。俺たちだって、この漂流生活で必要に迫られたから仕方なく真似事をやっているだけ。どんなに意地を張っても けっきょく便利さを忘れられない。文明の発展とはそういうものだ。


 自分たちの弱さを痛感していると、ネモ教授がおもむろに口を開く。



「さて、まず君たちは海賊バルバードのことをどのくらい知っているのかな?」

「え? この島にスゲェ宝を隠した人ってことしか……ハカセは?」

「大昔、まだロマナ帝国が存在しなかった頃、ミステラ諸島の全域を富と武力で支配して、海賊自治区なるものを築き上げた野心家と聞いています。なんでも海の帝王と呼ばれていたとか」


「うん、およそ四百年前のことだね。しかし、バルバードも初めから海の帝王と呼ばれるような男ではなかった。頭角を現したのは三十歳の時。ある出来事を切っ掛けとして彼は時代の寵児となったのだ」

「ある出来事?」

「宝を見つけたのさ。あらゆる欲望や野心を叶えてくれる究極の宝を。彼はその力を駆使してミステラ諸島の支配者となった」


「究極の宝!? 何だか思っていたよりもすっとヤバそうな予感が……」

「でも、おかしくありません? 現在のミステラ諸島は大半が無人島で海賊自治区の痕跡すらロクに残っていません。究極の宝なんてものが本当に実在したのなら、海賊の国は今も栄華を極めているはずじゃ?」

「良い質問だね……」



 ハカセの質問を受け、ネモ教授はどこか寂し気な微笑を浮かべた。



「身分不相応な力は全てを滅ぼすもの。海賊自治区は大災害に見舞われてあっという間に滅んでしまったのさ。いや、最悪の人災というべきかな。そして大自然がゆるやかにガレキを飲み込んで文明の痕跡を消し去ってしまった」

「最悪の人災? それはいったい?」

「究極の宝が災害を引き起こしたという事でしょうか? 過ぎた力が暴走した?」

「その通り。人が自ら招き入れた災いだから、人災。ある島は異形の軍団に滅ぼされ、ある島では猛毒の胞子に街が飲み込まれた。悪しき文明には必ず天罰が下るものさ。そして、そこまで危険な代物が現代社会に再び蘇ろうとしているわけだ」



 ネモ教授はニヤリと笑って、謎の種を俺たちに差し出してみせる。



「君たちが見つけた この種。これこそがソウなんだよ。海賊自治区に滅亡と栄華をもたらした宝そのものだ」

「ええっ!?」

「沢山ある宝の一部でしかない。種一つだけでは、とても究極とまではいかないだろうけれどね。それでも扱い方によっては危険極まりない代物なのだよ」

「う、うーん、ただの種にしか見えないけどなぁ」

「ふっ、言うと思ったよ。侮ってはいけない。種は無限の可能性を秘めている」

「そんな物ですか」

「信じてないね? ならば実際に君たちで試してみると良い。実体験に勝る学習などない。小屋の裏手に畑があるから、そこに種を植えてみなさい。宝の恐ろしさと凄さを味わった上で、どうすべきか決めればいいさ」



 なんだそりゃ!? その種は危険だって言ったじゃないか。



「天才の監視下にあれば何の問題もないのさ。フッ、実験だよ、実験。観念したまえ、モルモットくん」



 マジで大丈夫ですかぁ? 自信過剰じゃないですか?

 しかし、やる気になっているのは教授ばかりじゃないぞ。

 なんとハカセまでもが目をランランと輝かせているじゃないか。



「やってみましょうよ、オーシン!」

「おいおい、ハカセ。話きいてた?」

「古代のオーパーツを我々の手で現代に蘇らせる。謎に満ちたミステラ諸島の海賊自治区。いったいそこでどんな文明で栄え、どんな理由で滅んだというのか。悲劇の真相を解き明かす事が出来るなんて! これは考古学の研究として、とてもとても有意義な行為ですよ! 歴史に名が残るレベルの偉業ですって」



 うわぁーい! 宝探しを止めたアンリの気持ちが少しだけ理解できた。

 出来てしまった! ハカセ、お前そんなキャラだったの?

 男のロマンって、暴走をカッコよく言い換えた単語なんじゃ……?

 いや、まさかね。

 どんな物語だって、それを良い物っぽく描いているじゃないか。


 うん、そうだよ。古代文明の謎を解き明かし、悪党からそれを守るって……。

 やっぱりカッコいいよなぁ~~! リスクなんざ ある方が燃えるぜ!

 結局、ムズムズする男の欲求を抑制など出来ようはずもなく。

 これから海賊と戦おうってのに、この程度でビビッていられるか。


 リスク結構、古代の種を植えてみることにしたぜ!

 まっ、まぁ教授もヘッチャラだって言ったし! いけるでしょ。

 あっ、ちなみに教授は宝の地図に書いてあった暗号って判ります?



「ふん、宝が何かも判らないのに、命がけで探しに行く奴の気が知れんよ」

「命がけなの? 小さな島の宝探しが?」

「財宝には番人や罠が付きものだろう? それだけの冒険をする価値があるか否か、地図の話は実験が終わってからだな」



 南瓜の召使いに案内された畑は、ちょうど小麦の収穫が終わったばかりらしい。

 だだっ広くとても開放的な感じだ。

 クワを借り、深めの穴を掘って種をそこへ投下する。


 水をやり、肥料を混ぜた土を上から被せて準備完了。

 あとは鬼が出るか蛇が出るか、ジッと待つだけだ。



「ねえねえ教授。これってどのくらいで発芽するの? 一週間ぐらい」

「はっはっはっ、古代のオーパーツを甘く見てはいけないよ。もうすぐさ」

「まさか、モヤシだって発芽に二日はかかりますよ?」

「秘宝の評価はモヤシ以下かね……。ほら、もう芽が出てきたじゃないか」


「えー? なにを言ってるんですか?」

「いくら何でもそんなすぐに出るわけが……」



 俺たちが振り返ってみると、そこには……。



『うぎゃあああ!!!』



 じ、地面から人の腕が生えている!

 ひえええ! リスクも覚悟するとは言ったけど、こんなリスク聞いてねぇって。

 どういう事だよ? ネモ教授!?



「いや、そこまでビビらなくても良いよ。こう見えてもこれは植物だから。ほら、大自然の声に耳を傾けてみたらどうだい?」



 えええ??

 恐る恐る地面から生えた人の手に注目してみると。

 あっ、コイツ俺たちに向かって中指を立てやがった。喧嘩でもうってるのか?



「なっ、なめんなよ!」

「いや待って下さい、オーシン。中指でコイコイしてますよ。何かを要求しているのかな? しかし、中指は下品です。せめて人差し指にしてください」



 するとハカセのお願いが理解できたのか、謎の手は中指を下げ人差し指を上げたではないか。なんだ、案外ものわかりの良い奴だな? そして、やっぱり指でコイコイしている。

 しかし、発芽した植物は(これが植物だとするならばだが)何を欲しているのか? 

 やはり水かな?

 ハカセがジョウロで水をかけてやると、謎の手は五指を開け閉めして喜びを表現しているようだ。これで正解ということか。


 それにしても、この指……しなやかで細くて、女性の手に見えるぞ。

 肌の色があわい緑色で、ただの人でないことは明らかだけど。


 ハカセが何度も何度も水がめと畑を往復して水をかけ続けると、少しずつだが地面に埋没した部分がせり上がってきたみたい。まさか、種から芽生えた植物だぞ? 見てわかる速度で成長するなんて。まず在り得ないけど、今それが目前で起きている。


 片腕から頭、頭部から両肩、胸部、そして下半身。

 植物の女性はすさまじい早さで成長を続け、その全身を地上にさらけ出す。

 リュウゼツランのような分厚く長い葉が何枚も頭から垂れ下がり、女性の髪みたいな容姿を演出している。身にまとった「肩だしドレス」はガクや花びらが変化したものなのだろうか? 

 どこか愛らしい女性っぽい姿でありながら、しまわれたマリオネットのように植物はうつむいている。右腕は天めがけて突き上げられたままだ。人差し指もそのままピンと立っている。


 俺たちがぼう然と植物を眺めていたら、不意に彼女の頭がガクンと持ち上がったではないか。その動きはどこかぎこちなく機械的だ。

 まん丸で大きな瞳がゆっくりと開かれたのはその直後。その下から現れたのはエメラルドみたいにまぶしい無垢な瞳。見ているだけで吸い込まれそうな気がして、思わず目を逸らしてしまったよ。



「……それで、どちらが」

「え?」

「どちらがパパなのでしょう? ワタシの」



 俺とハカセを交互に見つめながら、植物は澄んだ声で尋ねる。

 え? えっえっ? パパ?

 血縁関係は、誰とも一切ないと思うけど?

 それでも敢えて答えるのなら……。


 俺はハカセの後ろに隠れて、視線をやり過ごした。



「彼でーす。名前はトマス」

「なるほど。了解です。トマスパパ」

「ちょ、ちょっと何を勝手に決めているんですか! オーシン?」


「いいじゃん。一生懸命に水をやったのはハカセだし。ハカセがパパでいいだろ」

「良くはありませんよ! いきなり!」



 地面から生えてきた女性は……突き上げたままだった右腕を下げ、執事のようにいんぎんな礼をする。それは高潔な女性騎士の宣誓にも似ていた。



「アナタと出会う為、この世に生を授かりました。トマスパパ」

「いやいやいや、そんな……」

「それで、まず聞いておきたいのですが。そちらのチビがトマスパパをハカセと呼びましたね? トマスはトマスではないのですか? これはどういう事でしょう?」



 そっちだって、生まれたての子どもじゃないの? いきなりチビ呼ばわりかい!

 ……じゃなくて。何にも知らないのかな、この娘?




「いや、それはあだ名って奴ですよ。彼は僕の親友でオーシン。チビでは……ありません。僕と仲良くするつもりなら、彼とも上手くやっていく必要がありますけど」

「なるほど。トマスパパの友人、チビはオーシン。ハカセは別名と。理解しました。では次に」

「まだあるの?」

「これは大切なことなのだから、お前は黙ってろ、オーシン」

「……はーい、すいませんね」


 なに!? その口の利き方?

 なんかこの植物、俺にだけアタリが強くありませんかね?

 言われた事を理解しているようで、何も理解してなくありませんか?

 ハカセは粘り強く、無礼な口をきかないよう説得くれたけど。

 ちょっぴり傷つくぜ。



「オーシンに敬語と使えと。イエス、五十パーセント理解しました。前向きに検討しましょう」

「お願いしますよ、ホント。それで、次に何を言うつもりだったの?」

「では、トマスパパ。パパの務めとして、ワタシに名を」

「え? 名前? 君、まだ名前が無いんですか?」

「生まれたてですから。さぁ、ワタシに名を」


「つけてあげなよ。それで契約は完了するから」



 ネモ教授が口を挟み、そこで俺たちはようやく彼の存在を思い出す。



「ちょっと教授! 何なのコレ? どういうこと?」

「彼女は『緑の創造主グリーン・デザイナー』と呼ばれる存在でねぇ。海賊自治区の農業をつかさどる畑の守護神なんだ」

「畑の?」

「食料自給率を大幅に高める女神さまだよ。彼女が根付く畑に不作はありえない」

「?? それのどこに文明滅亡のリスクが?」

「さてね? 無垢で無邪気ゆえに、育て方を間違えると悲惨だよ」

「あの、まさか、僕たちのような子どもに、子育てをやれって言うんですか?」



 さしものハカセも困り顔だ。それに対してネモ教授は平然と言い放つ。

 


「言ったろ? 経験に勝る学習はないって。歴史の謎を解き明かしたいのだろう?」

「わ、わかりました。考えてみます……メアリ、リサ、フロライン、うーん」



 両腕を組んで考えることしばし。悩むハカセの後ろでは、彼女が急かすように不思議な踊りを披露しているじゃないか。実に奇怪な光景だ。どうやら彼女、地面から足を抜くことが出来ないようだな。つま先は常時 土中に埋まったまま。

 つまり、歩けないって事か?

 そして、ついにハカセは決断する。



「キャルロット! シャルロッテとキャロットをモジった名前でどうです?」

「おっ、いいじゃん。可愛い、カワイイ。上出来だよ。愛称はキャルで決まりだな!」



 おっと、嫌われ者の俺がほめたら逆に反発されるかな?

 しかしながら、彼女は無表情を崩さず どう感じているのか伝わってこない。牛が餌を噛み締めるように、ゆっくりと表現すべき感情を模索しているようだ。



「そうですか、ワタシはニンジン、ワタシはキャルロット」

「ええと、気に入らなかった? もっと別のを考えましょうか?」

「イイエ、とても気に入りました。ただ、服の色があまりニンジンっぽくないと思いまして」

「ああ、緑色のドレスだから」

「名前に合わせて変えちゃいましょう、エイッ」



 キャルロットがポンと柏手を打つと、ドレスがたちまちニンジン色に染まっていく。草色だったスカートも、上半分くらい朱が混じっている。

 これ、どうなってんの? 

 服のように見えるけど やっぱり体の一部だから……。

 だからって自在に色を変えられるのかね?

 まほーのようにも思えるけど、効果が永続するまほーなんてそう簡単には使えないはずだし。複雑な儀式や手順を幾つも踏まないと無理なんだけどなぁ。



「素敵な名前をありがとうございます。トマスパパ」

「いや、そんな。喜んでもらえたら嬉しいですね」

「これで契約は完了しました。早速、貴方の娘に何なりとお申し付けください」

「え? 命令しろって言うの?」

「何か困っている事はありませんか? キャルでお役に立てる事はございませんか」



 俺たちは顔を見合わせる。別にそんなつもりじゃなかったけど。失われた海賊自治区の文明について知りたいのなら、試しに頼んでみるべきなんだろうな。



「農業をつかさどる存在だと言いましたね? なら、野菜を作ったりできます?」

「イエス、パパ。キャルの得意技ですね。どんな野菜がお好みでしょう?」


「そーいえば、ゲンジが大根を食べたいとボヤいていたな。この島に来てから食事は肉ばかりだもの。栄養が偏っちゃうよ」

「そうですね、キャルは大根って知ってます?」

「んー、聞いた事ないです。ニンジンと違うのですか? 特徴を教えてくださーい」



 あれれ? 

 大根ならロマナ帝国一帯でも昔から栽培されていたと思うんだけど。

 生まれたての娘だから少しぐらい世間知らずでも無理はないか。

 どうやら役に立つ子が欲しければ、ちゃんと教育を施さねばならないらしい。

 手のかかる守り神だよ、まったく。

 けれど、教材もなしに口頭だけで色々と教えるなんてシンドイよな?


 ところが、ヘッチャラなんだ。

 なんと言ってもハカセのまほーは「それ」に特化しているのだから。



「いでよ、大地の書物!」



 片手をかかげて叫ぶと、ハカセの手に濃緑の書物が出現する。

 ハカセ曰く、大地の精霊グノームはとても筆まめな性格らしい。

 そこで起きた様々な出来事が地層の奥で眠っているように、大地は様々な現象を観察して記録に残している。そんなグノームの力を借りたハカセのまほーがこれ。


 名付けて「自伝・トマスの人生」召喚。

 この本にはこれまでトマスが体験したあらゆる出来事が簡易イラスト入りで記録されているのさ。日記帳の超スゴイバージョンって感じ?

 授業中にノートをまったくとる必要がないのはウラやましい話だ。

 当然、彼がこれまで読んだあらゆる本の内容も記載されているので、図鑑や辞書としても非常に優秀な内容になっている。

 欠点としては、その知識を活かせる行動力がなければ何の役にも立たない所……というのが本人の談。その弱点を克服したくて俺とつるんでいるんだって。俺から学ぶことなんて何もないと思うけど。それでいいのかねぇ?


 とにかく、ハカセのまほーは教科書としても便利だって話さ。

 商店街で野菜を物色している記録を用いて、ハカセ先生の授業が始まった。

 並んで腰を下ろし、ハカセの本をのぞき込んでいるキャル。

 興味津々といった様子で、何だか本当に親子みたいだ。

 ……いや、せいぜい兄妹か。



「これが大根です。大きい根という名前からわかるように、肥大化した根の部分を食べる野菜なんですよ。ニンジンを太くして、色白にした感じでしょうか」

「なるほど、なるほど。味は? 味はどんな感じでしょう? この本は味も再現できるのですか? 試してみても良いですか?」

「いや、味は……ちょ、止めてー!」

「ふーむ、紙の味がしますね」



 あーあ、キャルは本のイラストをベロベロなめだしたよ。

 そんな光景を楽しそうに見ているネモ教授。

 ちょっとイラッとしたので、俺は抗議してやることにした。



「ねぇ、教授。あれが『滅びをもたらす禁忌の秘宝』なの? ちょっとそうは思えないんだけど?」

「まぁ、最初の内は無害だろうね。でも、困ったことにアレは生きている」

「そりゃ、植物なんだから生きているでしょうよ」

「いやいや、用が済んだからといってどこかに消えたりはしないって意味だよ。孤独も感じるし、好奇心や欲求も人並みにある。賢いっていうのは難儀な話さ」

「……なんか想像したら可哀想になってきた。ずっとあそこに立ってなきゃいけないなんて。俺なら退屈で耐えられそうにない」

「うんうん、やはり君たちに託したのは正解だったようだね。どうか、その気持ちを最後まで忘れないで。手に負えなくなったら私が引き取るけど、それまでは面倒をみてあげてね」



 なーに、それ? 遠回しに「お前らには無理だ」と言われたような?

 やっぱりちょっと腹立つな、この天才エルフめ。


 そうこうしているうちにハカセの大根講義も終わったようだ。



「わかりました! 大根の仕組みを百パーセント理解できました」



 キャルは何度もうなずきながら、ドレスのポケットに手を入れる。

 ちょうど有袋類みたく、お腹にポケットがついているんだよな。

 何の為のポケットか、気になってはいたんだけど。

 ポケットをゴソゴソやりながら、つぶやきだしたぞ。



「シードデザイン中……デザイン中……シード完了」



 キャルがポケットから手を抜くと、握られた拳が光っている。

 指の隙間から五色の光が漏れているようだ。その輝く拳をエイッと地面に打ち込むと、そこから畑の土壌が少しだけ盛り上がったぞ。モグラが地面の中を進んでいるかのごとく、盛り土がキャルの前方へと進んでいく。

 そして、畑の中央で何かがスパークした。


 丘のように巨大な土饅頭まんじゅうが、いま目の前にある。

 その瞬間、激しい地鳴りがして、まるでちょっとした地殻変動みたいだった。

 突如として裏庭の畑に出来上がったドーム状の巨大な土盛り。


 丘陵きょうりょうか? 墳墓か? いや……。

 地上に出ている青々とした葉っぱが、その正体を雄弁に物語っていた。

 キャルの無邪気な声が皆の気持ちを代弁する。



「やりました! 大根が出来ましたよ! パパ、ほめて、ほめてくださーい!」

「で、デカすぎるだろ! 常識的に考えて!」


「植物にヒトの常識なんて通用しないよ、オーシン君……どうせ食べるのなら大きい方が良い。そう判断したのさ、勝手にね」



 何かをあきらめた風に、教授が天を仰ぎながら言う。

 更に その直後、何やらキャルがお腹を押さえながらその場にしゃがみ込んだではないか。グウグウお腹が鳴っているようだ。



「すいませーん、パパ。肥料をくださーい。畑の栄養分を使い果たしてしまいました。あの大根を作るのに全パワーを消費しました。率直に言って空腹です」



 この娘、燃費わるーい! 


 教授の説明によれば、なんでも地中の養分を使い果たした畑は「やせてしまい」しばらく使い物にならないのだとか。


 すごい、古代文明は確かに凄いけど……率直に言ってアタマ悪いな?

 もしかすると、緑の創造主って。

 その名の通り、どんな植物でも注文通りに作れちゃったりするのか?

 教授は異形の軍団がどうのとか言ってなかったっけ? うぬぬ!

 こんな力が悪党の手に渡ったらどうなるのか、考えただけでゾッとするよ。



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