三匹目のどじょう

春雷

第1話

「俺って何かをやりたいなって思ったら、絶対やってしまう性格なのよな」と彼は言った。

 ここはとある公園。無職の成人男性二人が缶ビール片手にだべり続ける平日の午後十時。ここは歓楽街のすぐそばだ。遠くに酔客の騒ぎ声。街灯が眩しい。

 「逆にやりたくないって思ったものは絶対やらない」と彼。

 僕はふむ、と言って、「じゃあお前は働きたくない、と思っているから今日まで一切働いていないんだな」

「そういうことだ」

「お前はどうやって暮らしてるんだ? 衣食住揃っているのか?」

 彼は焼き鳥を一口頬張って、頷いた。「俗に言うヒモってやつだ」

「いわゆるヒモか。誰か養ってくれる人がいるということだな」

「ああ。社長をやっている人と偶然出会ってな。彼女と付き合うことになって、住まわせてもらっているというわけだ」

「羨ましい。どうしてこういう自堕落な奴に幸運が巡ってくるんだ。この世界を運営している奴は、ゲームシステムとバランスを再考する必要があるよ」

「まあそう言うな。俺だってやりたいことを見つけて、動き出しているんだからよ」

「へえ。何をやりたいんだ?」

「非行ランドさ」

「はい?」

 全く聞いたことない単語を鼓膜にぶち込まれた。

「何だよその何たらランドって」と僕は問いただす。

「人間には、禁止されていることをやりたがる衝動ってのがあると思うんだよ」

 僕は何とか理解しようとする。「ああ、このボタンを押すなと言われたら、押したくなっちゃうみたいなことか」

「その通り」彼はピンポーンという効果音を付ける。うるせえ。「おでんをツンツンしたいとか、夜の校舎窓ガラス壊して回りたいとか、万引きしたいとか、盗んだバイクで走りたいとか、軋むベッドの上で優しさを持ち寄りたいとか、そういう欲求があるわけよ」

「最後のは非行じゃなくね?」

「尾崎が歌ってることは全部無条件で非行なのよ」

「そんなことねえよ」

「紀世彦や世界観や放哉も全部そうなのよ」

「違う尾崎を巻き込むなよ」

「要するに、そういう普段禁止されて抑圧されている行為を解放する場が必要なんじゃないかってことよ」

「うーん。まあそれはわかるけど。でもたとえば映画とかゲームとかで、普段禁止されている行為は疑似体験できるんじゃないか」

「想像力のある人間はそれでもいいが、それがない人間はやはりリアルな体験でなきゃ満足しないんじゃない?」

「そういうものかなあ? じゃあお前はこの敷地内だったら、ものを盗んだり、施設を壊したりしてもいいですよ、っていうパークというかランドというか、そういうものを作りたいってわけか」

「そういうことだ」

 僕自身はそういう衝動に駆られたことがあまりないから、そんな施設の必要性を感じられないが、実際に非行に走るよりは、それが許された環境で何の被害もなく暴力的衝動に任せた行為を行えるなら、それに越したことはないのかもしれない。

「で、お前の彼女に資金提供を頼んで、非行ランドを作るってわけ?」と僕は訊いた。

「そうなるね」

「しかし採算が取れるのか? そもそも、何か、こう、社会的に問題になりそうだけどなそんな施設」

「どうして?」

「うーん。何ていうか、非行を推奨しているような感じじゃないか?」

「しかし映画なんかでは犯罪行為を繰り返し描いているだろ? 時にはクールな雰囲気で。それは観客に犯罪を促すための演出か?」

「いや、それは違うと思うけど、うーん、でも映画は結局フィクションであって、疑似体験じゃないか。実際に行為しているわけじゃない。その非行ランドでは実際に非行をするわけだろ? 行為することとしないことの間には結構な差があるんじゃないかと思うんだけど」

「たとえば、非行ランドで万引きをしたことによって、万引きに対するハードルが下がり、実社会でも万引きをする可能性が高まるのでは、と?」

「そうかもしれないと思うだけだけどね」

「そんなことにはならないと思うがね。お前は案外他人を信用しないんだな」

「あらゆる可能性を検討したいと思っているだけだよ。事前に十分に考えておかないと後で痛い目見たりすることになりかねないし」

「しかし杞憂だったってこともあり得るぜ? 何か新しいことを始めるという時には、臆病になりやすいものだが、やってみれば案外大したことなかったってこともある。案ずるより産むが安しってな」

「そういうものかな」

「そういうものさ」

 

 この会話の半年後、彼は本当に非行ランドを建設した。僕が予想していたよりも批判の数は少なかった。確かに僕は臆病すぎるきらいがあるのかもしれない。

 非行ランド内には、いくらでもおでんをツンツンしていいおでん屋、醤油差しをぺろぺろしていい寿司屋、二度付けOKの串カツ屋、窓ガラスを割っていい校舎、万引き可の駄菓子屋、強盗していい銀行、いくらでもポイ捨てしてもいい公園やキャンプ場(来た時よりも汚く)などがあった。

 非行をするのは客のみではない。敷地内にあるラーメン屋は、平気でラーメンに指を入れて持ってくるし、レストランのウェイターはヘッドホンしてガム噛みながら料理を持ってくるし、ファーストフード店の店員は居座り続ける学生などに「はよ帰れや」と言うし、記者は嘘ばかり書くし、教師は保健の授業ばかりに力を入れたりするし、歌手は金が欲しいとかちやほやされたいということばかり歌っている(それは禁止されてなくないか?)。

 ある種のディストピア的空間だと思う。

 しかしながら人間、どこかで欲望を解放しなければ生きていけない生き物なのだろう、非行ランドはまあまあ盛況だった。

 一方で、純粋な非行を志向する不良グループは、そんなものはリアルじゃねえと吐き捨て、作りものの世界でやる非行を嘲笑した。彼らは変わらず実社会で非行をし続けた。そういう意味では、非行ランドの建設は犯罪行為などの抑止には繋がらず、むしろ助長したのでは? といえるかもしれない。

 しかしながら、暴力的な作品などが発表され、犯罪者がその作品を見たり読んだりしていたからといって、その作品が絶対的に悪いのかと言われるとそうとは言い切れず、その人に影響を与えたかもしれないが、その作品がなくても犯罪行為に及んだかもしれないし、結局はその作品が悪かったのか、ということは検証しようがない。そして罰せられるべきは作品ではなく、本人の行為である。そういう意味において、非行ランドの存在が犯罪を助長したか、ということの検証は難しいし、むしろ犯罪行為に及ぶような衝動をここで解消することで、犯罪を回避できたかもしれない。

 こればっかりはデータを見なければ検証しようもないことなのだが、データを見るのは面倒なのでやめておく。

 小難しいことを考えるには僕の頭は不出来だし、そんなことはこの小説の主眼ではない。

 非行ランド盛況の裏には、一つ、大きな要因がある。それは非行ができるから、ではない。

 おでんが美味いからだ。

 おでん屋ではおでんを指でツンツンしていい、というかむしろ推奨さえしているのだが、様々な人がおでんをツンツンすることによって、何が作用したのか、おでんが滅茶苦茶美味しくなったらしいのだ。僕は色んな人がツンツンしたおでんを食うのは嫌だな、と思ったのだが、おでんをツンツンする際には厳密な指の消毒が行われており、おでんに雑菌などが増えないよう工夫をしているのだと言う。まあそれを聞いてもあまり食べたくはないが、その嫌悪感を超えるほどの美味さがそのおでんにはあるのだとか。

 そのおでん屋の評判は高まり、ツンツンおでんはちょっとしたブームにまで発展した。おでんはツンツンされるべきものだと、パラダイムシフトしたのだ。

 もちろん無許可でおでんをツンツンすることは依然として違法行為であるが、ツンツンを許可する店は増え、もはやツンツンできない店の方が少ないくらいになった。

 料理家、グルメ評論家、科学者など様々な有識者が、何故おでんをツンツンすると美味しくなるのか、という問題に取り組んだ。しかし結局、これだという結論はでなかった。

 彼は時の人となった。ヒモから上り詰めたというストーリーも世間に受けた。ツンツンおでんの創始者として、彼は絶大な名声を得たのだ。

 そしてこの成功に味を占めた彼は、様々なものに指を突っ込み始めた。

 ラーメン、うどん、煮物、肉じゃが、コーンポタージュ、アイスクリーム、シャーベット、ジュース、酒、醤油などである。ツンツンシリーズは世界各地の料理にまで手を広げ、聞いたこともないような料理まで、「世界のツンツンから」というよくわからない名称で商品化までして売り出した。しかし元の料理がどれだけ美味しいかわからないのに、どこぞの誰が指を入れたかわからない料理を出されても……、と皆困り、ツンツンブームは去り、彼の名声も地に落ちた。非行ランドも経営が苦しくなり、批判の声が相対的に多くなった結果、閉園となった。


 相変わらず無職な僕が公園で一人、ワインを飲んでいると、ふらふらと彼がやってきて、隣のベンチに腰かけた。

「そのワイン、ツンツンしたか?」と彼は訊いてきた。

「してねえ」と僕は言った。

「指でツンツンすることは空腹に次ぐスパイスだ」

「お前の名言か?」

「いや古代ギリシャの学者が残した言葉だ」

「紀元前からツンツンしてたのかよ」

「何かをツンツンすることは人間の根源的な欲求の一つなんだろう」

「たぶん違うよ」

「この前、水をツンツンして飲んだのだが、硬水が少しだけ軟水になった」

「錯覚だよそれ」

「試しにエビアンをツンツンして彼女に飲ませたが、いろはすだと勘違いしていたよ」

「彼女の舌の感覚が狂ってんだよ、それ」

「あるいは頭がな」

「お前が言うのかよ。お前が言うのは駄目だろ。僕よりクリティカルだし」

「批判的思考な」

「クリティカルシンキングじゃねえよ、クリティカルヒットだよ。まずお前自身をクリティカルシンキングしろよ。シンキングっていけよ」

 彼はミネラルウォーターをごくごん飲んでいた。

「もう一山当てようと思ってんだ」と彼は言った。「ツンツンシリーズで」

「嘘だろ? もう懲りたんじゃないのかよ」

「まだ試してないことがある」

「試してないこと?」

「人間以外のツンツンだ」

 びゅうっと風が吹いて木々がざわざわと揺れた。月の輝く夜だ。

「人間以外のツンツン?」いよいよ聞いたことのない単語が鼓膜を突き刺してきやがった。「何じゃそれは」

「たとえば犬、猫などの動物がツンツンしても美味しくなるのか、ということだ」

 僕は何だか頭が痛くなってきた。こいつは何を言っているのだろう。誰かに脳みそをツンツンされておかしくなっちまったのか?

 彼の眼は情熱に燃えていた。どうして彼はツンツンに固執するのか。何がそこまで彼を執着させるのか。

 しかし、不思議と彼のその情熱には……、全く憧れなかった。


 結論から言うと、彼はかつてのような大ブームを起こすことはできなかった。

 彼が様々な生き物でツンツンを試した結果、最もおでんが美味くなったのは、どじょうだった。胸ビレでおでんをツンツンさせるわけである。どじょうはその後そのままおでんの具となる。彼は「どぜうのツンツンおでん」として売り出した。「どぜう」とわざわざ表記したことが妙に腹立たしいが、そんなことより、どうせおでんの具になるどじょうにおでんをツンツンさせたところで、意味があるのか? ということが気になる。というかそもそも、ツンツンしたら美味くなるなんて錯覚だったんじゃなかろうか。集団催眠的な感じで、ツンツンすれば美味くなるはずだと皆が思い込んでいただけでは?

 しかしそれを検証するのは難しい。何故なら僕は味音痴(馬鹿舌と言ってもいい)だから。料理は味が濃ければ濃いほど美味い。好物はカップ焼きそばである。

 お湯をツンツンして焼きそばを作れば美味くなるのだろうか? いや、それなら空腹の状態で、マヨネーズなどの調味料をかけて食った方がましだ。

 冬の寒空の下、公園でホットコーヒーを飲みながら、相変わらず無職な僕は、「早く働け」という周囲の突っつき、つまりはツンツンに耐えながら、「絶対働くまい」という意思を固め、こんだけ色んな人にツンツンされたんだから、僕だって熟成されてすごい人間になっているんじゃなかろうかと思い、それって錯覚じゃね? というもう一人の自分の声には耳を貸さずにいるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

三匹目のどじょう 春雷 @syunrai3333

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説

内見の話

★6 詩・童話・その他 完結済 1話

悪役会議

★3 現代ドラマ 完結済 1話