朝の文谷さん
文谷さんは朝も眠たげだ。
僕と文谷さんは同じ中学で学区が一緒だったものだから、高校の通学路も一緒になったりする。
通学に使う電車の路線も同じだ。
だから家を出る時間によってはたまに彼女の姿を見かけることがあった。
その頃はまだお互いのことを知らなかったから、特に何事もなく学校に向かっていたのだけれど。
今では。
「おはよう、文谷さん」
「あ、おはよう、榊原くん」
通勤や通学で忙しなく人々が行きかう雑踏の中、駅の目の前に置かれた何だかよくわからないオブジェの前で文谷さんと待ち合わせる。
彼女は朝に弱いのか、待ち合わせ場所では半分眠るように目を薄く開いてぼんやりとしている。
多分授業の時よりは眠たいが雑多な足音のせいで眠れない、と言ったところだろうか。
そして僕が声を掛けるとようやくその目がいつもと同じくらいにまで開かれる。
ほにゃりと溶けるような緩い笑顔は朝の憂鬱な気分を爽やかに染め変えてくれるものだ。
「今日もいい天気だねえ」
「晴れてると気分がいいね」
「思わず眠たくなっちゃうよ」
「お昼にいつも寝てるじゃん」
「寝る子は育つ。いくら寝てもいいのです」
文谷さんを見る。
僕より頭一つ低い身長、Yシャツの上からでもわかる幼児体型、あまり目立たないその胸元。
なるほど成長を願うのがわからないでもない。
しかし残念ながら睡眠で解決できる問題ではないのではないだろうか。
そんな思考を視線から気取られたのか、文谷さんは口を引き結んで少し不機嫌そうに拳を握った。
「ひょっとして失礼なこと考えてない?」
「まさかそんな」
「例えば、私が大きいとか」
「考えてないよ……あ」
「ていっ」
拳が振るわれた。ぽふりと綿玉を投げつけられたかのような、小さい音が鳴る。
拳までふにゃふにゃだというのか。
文谷さんはそのまま駅の構内へと歩いて行ってしまった。
一瞬でも目を離せば人波に呑み込まれてしまいそうな小さな背中を追いかける。
*
電車が来る。
僕たちは横に並んで電車に乗り込む。
電車の中はいつも座席が埋まっていて、僕たちは立ったまま学校最寄りの駅まで過ごすことになる。
身じろぎ一つままならない満員電車ではないことが救いだろうか。
他車両との連結部にある扉の横、ちょうどよく隅になっている部分が空いていたのでそこに向かった。
隅に文谷さん、その横に僕が壁に寄りかかる形で立つ。
電車の中なので僕達の間に会話はない。
がたんごとんと電車が揺れる。
そのリズムが心地よいのか、うとうとと文谷さんの頭が傾き始めた。
降りる駅までは三十分ほどかかる。
その間にひと眠りすることくらいはできるだろう。
うっかり文谷さんが前に倒れこんでしまわないか心配で、はらはらとその様子を見守る。
やがて文谷さんはすやりと眠りについた。
ことん、と僕の肩に文谷さんの頭が載せられる。
すっかり僕に体を預けているのだろう、半袖のシャツから曝け出された腕も密着しているし体重はそれなりにかかっている。
もし僕がここで不用意に動こうものなら間違いなく彼女は床に倒れこむことになる。
よくもまあ、そこまで人を信頼できるものだ。
電車の窓から差し込む朝の柔らかな日差しが、斜に傾けられた文谷さんの寝顔を明るく染める。
いつも眠たげにしている彼女の顔は、くま一つなく健康そのものだ。
ほんのりと頬が桃色に染まっているのは、夏の訪れを思わせる暑さのせいだろうか。
そんな文谷さんの寝顔を眺めたり、窓から見える景色をぼんやりと眺めながら考え事に耽りこんでいると、アナウンスが目的地への到着を報せる。
本格的に眠り込んでいる文谷さんの肩を揺らした。
「着いたよ」
文谷さんはやや遅れて緩慢に瞬きをすると、ぼんやりとした顔で僕を見上げた。
「……おはよー」
「おはよう。さっき駅であいさつはしたけどね」
「あいさつは何度したっていいんだよ。会えて嬉しいってことなんだから」
「そうだね」
文谷さんの体温が離れる。
電車の扉が開いて、僕たちは一緒にホームへ降り立った。
「ねえねえ」
「何?」
「いつもありがとうね」
にへえといつものように文谷さんは笑う。
こうして純粋に感謝を伝えられると、どうにも気恥ずかしい。
誤魔化すように、別にいいよ、とだけ言って歩き出した。
「ふへへえ。いい朝だねえ」
文谷さんはいつも通り上機嫌だった。
隣の文谷さんは今日もふにゃふにゃ 星 高目 @sei_takamoku
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