第2話 提督の海鮮サラダ(サラダ・デ・フル・デメル・デ・アミラル)

「要するに鮮度が問題なのだろう」


 前菜担当シェフアントルメティエのクランプスと一緒に頭を悩ませる。

 いまだに魔王さまには「干し草のサラダ」を召し上がってもらえない。

 趣向を変えて「干し草のジュレ」にしたが、同様に食べてもらえない。


 クランプスが言うには、自信が持てないのは鮮度であるという。干し草である以上、鮮度なんてものは存在しないと思うが、そうではないという。


「だいたいにして、舌の衰えたシェフは、十年前の干し草と、十五年前の干し草の味の違いが分からないものだ」


 クランプスの言い方はカチンと来るが、こいつは野菜に関する舌だけは、私よりも正しい。ただし他のことはバカ舌だから、前菜担当以外の職に就けない。


「干し草には乳酸菌が関係している。なので、発酵したては酸っぱさがアクセントとしてちょうどよくなるが、十年ともなると酸味が強いだけに感じる。それが落ち着くのがちょうど十五年ほどなのだ」


 クランプスが皿に出す二種類の干し草を食べてみる。


「どうだ。こっちが、十年もの。こちらが十五年ものだ」


 正直、どちらも酸っぱいとしか思えないが、確かに十五年と言われたほうが、若干マイルドか?


「いや、間違えた。こっちが十年か?」


 クランプが壺と皿を確認しながら、もぐもぐと草を食べる。


「……どっちがどっちだ?」

「うむ。うむ」

「うむじゃねぇよ。どっちが十五年なんだよ?」

「これはいかん。二つとも腐っておる」


 慌てて、口にした干し草を二人とも吐きだした。


「ってことは、ここ数日、腐った干し草を出していたのか? 魔王さまの身に何かあったらどうするつもりだ?」


 ここにいる全員が処刑されてもおかしくない事態だ。魔王さまにかかれば、我々などは抵抗するべくもなく、一瞬で消し炭にされるだろう。


「いや大丈夫だ。魔王さまが、ボツリヌス菌程度に負けると思うか?」

「むむ。確かに」


 最強最悪であることが魔王さまだ。菌如きに負けることがあってたまるか。そもそもこの厨房の衛生状態も、最初から怪しいものだ。


 だが、それにしても、腐った干し草をわざわざ食べる気にはならないのだろう。残されても当然だ。


「さすが、魔王さま。我々よりも舌が肥えていらっしゃる」

 ふむふむとクランプスは頷くが、こちらとしてはそれどころではない。


「どうする? 鮮度の高い前菜を出さないと、それこそ、魔王さまが怒り狂う日もくるぞ」

「さあて、どうするかのう。ところで、今日のメインはどんなものを出す?」

「ショロンソースを使ったトリトンのパイ包み焼パテ・アン・クルート・デ・トリトン・ソース・ショロンだ」

「海鮮系か。ならば前菜も海鮮系でいくか。いっそ、海藻を使って……もずく酢はどうじゃ?」

「いや、パイ包みの前に食べるものじゃなかろう。それに何故、お前はいつも前菜を酸っぱいものにするのだ」


 こいつの前菜のせいで、メイン料理の幅が狭まっているのだ。


「年を取ると、酸っぱいものが欲しくなるのだ」


 したり顔でクランプスが言うが、聞いたことがない。

 産気づいているんじゃないのかと思うほどに酸っぱいものばかり出したがる。

 どうも知らぬうちに魔王さまを年寄り扱いしていたのかもしれないと、背筋が凍る。


「海藻なら、鮮度の高いものをだそう。酸っぱくしなくていい。海の底を抜けば、手にはいるだろう。すぐにアトスに相談して、手に入れよう」


  ◇


「なかなか興味深い料理となったな」

「ああ。あとは魔王さまの反応次第だ」


 祈るような気持ちで待っていると、扉が開いて、給仕長のアトスが、すっかり空となった皿を持ってきてくれた。


前菜担当アントルメティエ料理長シェフ・ド・キュイジーヌよ。とんでもないことをしてくれたな」


 アトスが顔色を変えずに空になった皿を見せた。

 よもや、お怒りになって、食事を床に捨てなさったのだろうか。

 クランプスを見ると、震えながら、その長い人差し指でこちらを指さしている。

 なんてやつだ。責任を押し付けようとしている。

 しかし、この厨房の全責任は料理長である私の采配で動いている。逃げも隠れもできないだろう。


 ……これは処刑だ。私は目を瞑った。


「完食されたどころか、『おかわりアン・オトール』をご所望なされたぞ。よくぞ新境地をお開きになったな」


 魔界に天国があるとは思えないが、まさに天にも昇る気持ちになった。

 目を開いて、クランプスを見ると、親指で自身の顔を指している。

 なんて奴だ。全ての功績を横取りするつもりか。


「リリスよ。この料理はなんと?」

「私がお答えしよう。アトスよ」


 クランプスがしゃしゃり出た。


「これは『提督の海鮮サラダサラダ・デ・フル・デメル・デ・アミラル』と申すものだ。水気を切った海藻に、蒸し焼きにした海の男の肉を添えた料理だ。ソースには、ジヴエを使っている」

「ほう。提督の海鮮サラダ。良き名だ」


 海の底を抜いた時に、たまたま通りがかった帆船が手に入ったのが大きい。

 ただの海鮮サラダが、一気にワンランク上の食事に変わるほどの食材だ。

 特に海の男は、塩気があって、噛みしめるほどに滋味深い味わいが口に広がるのが特徴だ。


「提督はもうお出しできないが、水夫なら、まだ残っている。これを蒸し焼きにしよう」


 クランプスは手をこねながら、蒸し器に向かった。


「メインディッシュのタイミングも考えて動けよ。クランプス。一皿分も待たせることは出来ないからな?」

「わかっておる。料理長殿」


 しばらくは腐った干し草のことを思い出されることもないだろう。

 私もクランプスも処刑は免れたに違いない。


 ──しかし、我々は知らなかった。この提督が新大陸との交易で莫大な財宝を抱えて帰ってきている最中だということを。そして、このことが、魔界を揺るがす大事件になるとは……。

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人の食べ方に口出しするな! 玄納守 @kuronosu13

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