リクサ

りび

第1話

 よいせ、と、あらかじめと重い重い腰を上げる。

 のぼせる程に強く吹き付ける温風に、瞼までもが重たい。

 思いきや、思い思いの思い切りだったのに、そんな僕を慣性の法則とやらが横に突き飛ばす。

 おとと、と、よろめきながらも、今に開く氷獄の門をフラフラと目指す。

 もはや、環境音と化したアナウンスが、心にもない謝礼を述べて僕一人を車内から追い出したのも束の間。よもや、この世のものとは考えられ得ぬ温度のギャップに身が縮こまる。

 今夜は所によっては降雪も有り得るなんて話だ。

 雪の降る日のこの、までもが凍れる様な独特の気温。

 

 「イヤになっちゃうねぇ」


 つい、小言をこぼしてしまう。

 チカチカと揺れる蛍光灯の下。孤独なホームをさっさと後にしようとツカツカと足早に改札へと向かう。

 ・・・と、言うのも、この小さな駅で降車する者を自分以外に認めたことが無い。

 そこで、まるで我が物かの如くこの終着点を闊歩するのが好きで、改札側の車両に乗り込めば早いものを、わざわざその一番遠い車掌室の後ろに座るのが習慣となっていた。

 が、今日はその慣例に考え無く従った己を呪おう。

 

 ボロ小屋みたいな待合室の薄明かりが近づく。

 その手前にひとつの人影があった。

 歩み寄るこちらにそれは気付き、その場でゆっくり身を翻した後、持っていたのであろう電灯で、行く足元を照らしてくれた。


 「おかえり」


 彼女は静かに迎えた。

 ここで、「ただいま」なんて言うのもなかなかむずい感じがし、「うん」と、我ながらつまらぬ返事をしてしまった。なんとも捻くれた性根に呆れる。


 それからしばらく、多少の整備が施された山道を二人歩いていた。

 その頃、右腕はというと、寡黙なガイドの左手がしっかりと捉え、身に寄せ引いて行くので、実に温いのであった。


 「ところで、今日はどういうことだい。あの寂しい場所で独り待っているのは寒かったろうに」


 「雪降るって。ひとりだと危ないから」


 沈黙は好む方だが、それではせっかく待ちぼうけていたこの娘に悪い。

 答えは想像ついていたが、会話を試みるためにあえて訊いた。

 そして想定通りの言葉遣いで、推測通りの回答が返ってきた。


 「ありがとう。君はいつもこうして気を利かせてくれるね」


 「うん」


 「うん」と、彼女は呟く様に相槌を打ち、キャッチボールはキャッチ

された。

 これは、世間一般では、何か会話を拒否する意があるのだろうが、彼女にその意の無いことを僕は知っている。

 投げ返し方がわからないだけなのだ。

 ここで問題なのは、彼女のではなく、僕の方だった。

 詰まるところ、僕もまた会話を続けるのが下手くそなのだ。

 この様にひとたび会話の流れが止まると、もう、どうすればいいのかと頭の中は小さなパニックを起こしている。

 しかし、だからと言って何か焦って会話を続けようとせずともいいと考えている自分も居るのが致命的だ。


 「イヤになっちゃうねぇ」


 なんとも不甲斐ない。そう考え込んでいると、彼女が口を開いた。


 「大丈夫」


 刹那、あっけに取られてしまった。

 だが、すぐに思い出して、微笑した。

 そう、この娘はとても『気が利く』のだ。

 わずかな身振りや、所謂を感じ取り、それを読み解く能力が非常に優れているのだ。

 故に、表向きのコミュニケーションは不得手でも、思い遣りに関して言えば、人並み以上にできるだろう。

 「尊敬」とは、こういう気持ちのことを言うのだろう。

 今思えば、駅で彼女の「おかえり」に、「うん」と、返してしまったのも、彼女からの影響があるのかもしれない。

 否、それはただ己の正当化だ。


 「重ね重ね、ありがとう」


 心からの感謝をした。

 すると、__暗くて表情は見えないし、彼女は表情を変えることが無いので、実際にはそうではないかもしれないが、__彼女が満足そうに微笑んでいるのを感じた。

 そんな幸福な時を感じていたのを他所に、いつの間にやら山の麓まで降りてきていたようで、視界にだんだんと街の灯りが映る様になってきた。

 彼女はパチッと電灯の電源を落とす。


 「降らなかった」


 一言、どこか残念そうにそうに彼女は言った。

 今まで暗くて見えなかったのだが、その手首には一本の小さな傘が、くくってある紐でぶら下がっていた。


 「はは。また機会は来るさ」


 あまりにも愛らしく、とても温かな彼女の頬は雪の様に白く、その幸せなギャップにまでもが温まる。


 そこで一句浮かんだ。


 相傘ね、きたるその日に、雪溶ける。

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リクサ りび @livilivi_answer

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