第7話 想いなんて

 深く冷たい海を目指し、セシリーヌは一直線に宮殿のある海淵かいえんへと向かっていた。

別れ際にルシウスから贈られた口づけは、今なお彼女の胸を高鳴らせ、頬の熱が冷めることを許してはくれない。

本当は、姉たちに気付かれないためにも、平静を装わなくてはいけないのに……。


「あら、セシリーヌ。今日は随分と長いお散歩だったわね」

「……!」

 精一杯のポーカーフェイスを装いながら宮殿前に帰って来ると、姉であるメイティナとトリテリスが彼女を出迎えた。

水礼すいれいのため待ち合わせていたらしい二人は、どこか珍しそうに末っ子を見つめている。

「遅くなってごめんなさい、お姉様。お待たせしてしまいました?」

「ふふ、大丈夫よ。今ちょうどネヴィがお父様にお呼ばれしてて……お話が終わり次第、水礼に行こうと話していたところなの」

「でも、セシリーヌがあんまり帰ってこないから、さっきオークスが迎えに出たんだけど、会わなかった?」

 すると、心配げな顔で謝罪するセシリーヌに、二人は優しい笑みで答えた。

少し年の離れた妹のことを二人ともかわいがっており、大分甘やかされている自覚はある。

それでも、無事に帰って来たのだから問題ないと髪を撫でる姉に、彼女は首を傾げて言った。

「オークスが私を? 見かけていないので、すれ違っちゃったのかも……」

「あらま。間の悪い奴」


「――誰が間の悪い奴ですか」

 明らかに肩をすくめる姉を不思議に思いながら話を聞いていると、不意にどこからか不機嫌そうな声が聞こえてきた。

どうやら迎えに出ていたオークスが帰ってきたらしく、トリテリスの呟きに目を細めた彼は、ご立腹の様子で顔をしかめている。

「あら、聞こえてた~?」

「というか、俺の姿見えてて言いましたよね、トリテリス様」

「ふふ、まあね」

「オークス、ごめんなさい。私を探しに行ってくれたんだって?」

 揶揄からかい混じりに笑う姉と、オークスのやり取りを横目で見つめていたセシリーヌは、苦虫を噛み潰したような顔を見せる彼に、申し訳なさげに謝った。

今日は昼過ぎからずっとルシウスと共にいたこともあり、海での気配は皆無だったことだろう。

事情が事情とはいえ、心配をかけてしまったかもしれない。

「いや、それよりお前……」

「……?」



「水の精霊、これをセドナ姫に届けてくれる? できるだけ早めにお願いね」

 タイミングよく現れた姉のつがいに阻害され、それ以上の会話もなく水礼へと向かったセシリーヌは、彼の不機嫌さを不思議に思いながらも、いつも通りに水礼を行った。

月光が水面を煌めかせる夜の海もまた神秘的で美しく、彼女たちは優雅に舞いながら歌う。

その間も、相手を務めるオークスは終始不機嫌そうで、普段の様子とは違って見えた。

もしかして、姉に揶揄われたことがよほど嫌だったのだろうか?

(気になるけど、今はとにかく、セドナ姫に手紙を出さないと……)

 そんなことを思いながら、水礼を終え、自室へと引き上げたセシリーヌは、海藻でできた紙に、同じく海藻から抽出した耐水性の高いインクで手紙をしたためた。

そして、自らの魔力エレメントで水の精霊をイルカの形に変え、送り出す。

あとはこの手紙が無事にセドナ姫の元に届き、返事が来るのを待つのみだ。

たった数日。

だけど、途方もなく長く感じる数日を、彼女は過ごす…――。



 そして五日が経ち、まだ届かない返事を待つように、彼女は宮殿の周囲を当てもなく漂っていた。

あの日以来、そわそわと落ち着きのないセシリーヌは、宮殿前と自分の部屋を行ったり来たり、意味のないことばかりしてしまう。

どんなに自分がそわついたって、手紙が来るわけではないと、分かっているのに……。


「ねぇ、セシリーヌ。最近何かあったのかしら?」

「……!」

 すると、自分の行動に対し、いっそ首を傾げるセシリーヌに、様子を見守っていたメイティナが優しく声を掛けてきた。

彼女の口調はまるで、悩み相談に乗ろうとしているかのような優しいものだったけれど、そんなに心配されるほど、自分は不審な動きをしていたのだろうか。

「お姉様……? えぇっと、その…セドナ姫に手紙を出したので、早く返事が来たらいいなと思っておりまして……。うろうろとすいません」

「まぁ、それで……。最近頻繁にオークスがあなたの元を訪ねているから、私てっきり……」

「……?」

 心配と微笑ましさを乗せた姉に告げると、メイティナは頬に片手を当てて呟いた。

確かにここ数日、オークスは定期的に彼女の元を訪れては、傍にいるようになった。

元々海の騎士として、宮殿警備に来るのはよくあることだけれど、ここまでずっと一緒にいるのは珍しい。

それに加え、髪を撫でたり頬に触れたり、最近は触れてくることも多くて、彼の行動を不思議に思っていたものだ。

もっとも、幼馴染みである以上、嫌だとは思わないけれど、どうして姉はそんなことを言い出したのだろう?


「今のセシリーヌはなんだか、恋する乙女みたいなのよねぇ。大事な人を想って、心がふわふわ。逢いたくてたまらない感情を、心にいだいているのかと……」

「……!」

 本気で首を傾げるセシリーヌに、メイティナは違うならいいのだけれど、と前置きしながら彼女の様子を客観的に告げた。

自分にも覚えがある以上、姉として役に立てると声を掛けたのだが、これまでも誰かに傾倒することなど皆無だった彼女に限っては、男の子に恋焦がれることもないのだろうか。

内心そんなことを思いながら問うと、セシリーヌは無意識に目を逸らして言った。

「そんなつもりは…なかったのですが、ご心配をおかけしたならごめんなさい。気を付けます」

「ううん。いいのよ? でも、いつかそんなときが来て、何か困ったことがあれば相談に乗るわ。私はあなたのお姉ちゃんなんだから」

「はい」


 優しく頭を撫でる姉に精一杯の笑顔を返したセシリーヌは、彼女が去った途端、ポーカーフェイスを崩すと、急いで部屋に帰っていった。

その頬は徐々に赤く染まり、心臓が早鐘を打つ。

姉に言われて真っ先に頭を過ったのは、海上にいるルシウスのことだった。

だけど彼は人間だ。

心に懐くこの想いを、認めるわけにはいかない。

(……大丈夫。想いなんて口にしなければないも同然。これは恋なんかじゃないわ。絶対に、恋なんかじゃ、ないんだから……)



「――…セシリーヌ、少し、いいか?」

 懸命に心を隠そうと丸くなるセシリーヌの元に、オークスがやって来た。

夜の水礼の後で彼女の部屋を訪れた彼は、普段とは違い、どこか真剣な表情を浮かべている。

「どうかした?」

「いや、あのさ……」

 そんな彼を不思議に思いながら問うと、オークスはすぐに傍へとやって来た。

そして素で首を傾げる彼女に、思い切って口を開く。

「……!」

 だがその途端、どこからともなく水音がして、目の前に現れたのは大きなアザラシだった。

荷物を背負うように、首元に海藻の包みを結んだそのアザラシは、太平洋に住む海の女王・セドナ姫の遣い。

どうやら彼女に出していた手紙の返事が、ようやく帰ってきたようだ。


「セドナ姫からの手紙……!」

 それに気付いたセシリーヌは、アザラシに手を伸ばすと、ほとんど無意識に首元に結ばれていた包みを外しにかかった。

これでようやく、ルシウスに逢える。

早く中身を検めて、彼への手紙を出さなくては……。

「……っ、オークスごめん、先に返事を見てもいいかな? 大事なの」

 だが、中に入っていた手紙に手を掛けたセシリーヌは、話が途中だったことを思い出すと、何とも微妙な顔をしているオークスに釈明した。

彼が何をしにここへ来たのかは分からないけれど、海にいる以上、いつだって話は聞けるはずだ。今は一刻も早く、手紙の内容を確認して、返事が来たことをルシウスに伝えたかった。

「分かった。じゃあまたそのうち来るわ……」

「ごめんね、ありがとう」


 なんだか出鼻を挫かれたような顔でオークスが去った後、セシリーヌは手紙と、同封されていたやけに葉っぱが多い二十センチくらいの枝を見比べた。

どうやらこの枝こそ、龍樹りゅうじゅと呼ばれる樹の枝らしく、手紙には樹を無害にする方法と、人間への対処法が詳しく書かれていた。

これだけ情報があればきっと龍樹本体の発見も、毒の中和も可能なことだろう。

もちろん、まだ原因が龍樹だと証明できたわけではないけれど、一先ひとまずこの枝をルシウスの元へ届けてみなければ。

「パルフィー。ちょっとお使いを頼める?」

「ぴゅ?」

 海藻の便箋二枚に亘り綴られた手紙を最後まで検めたセシリーヌは、貝殻のベッドにくっついていたパルフィーを呼び出すと、メモを添えた枝を手渡した。

そして、枝を持てるだけのサイズに魔力を与えて調整しながら、辺りをはばるように願い出る。

「この枝とメモを彼に届けてほしいの。白壁の屋敷にいる、ルシウスの元へ」

「ぴゅー」


 小さな鳴き声と共に、よろよろと泳ぎ去って行くパルフィーを見つめ、セシリーヌは海の上へ思いを馳せた。

明日はきっと、彼に逢える。

あとほんの少しだけ我慢すれば、彼にまた逢えるから。

自然と高鳴る鼓動を抱え、彼女はメモを託したパルフィーの帰還を、願った。



 窓を叩く音がして目を遣ると、水の玉に入った変な魚が見つめていた。

この丸いいきものは確か、セシリーヌがペットだと言っていたダンゴウオ。

突然の訪問に驚きながら窓を開けると、ピンク色のそれは、メモを添えた見たこともない枝を渡してくる。

もしかして、これが龍樹なんだろうか。

「ようやく連絡が来たんだな、セシリーヌ……」

 初めて触れる材質の紙と、流麗なメッセージ。

それを検めたルシウスの表情に、自然な笑みが零れた。

明日はきっと、彼女に逢えるだろう。

「伝達ありがとう、ダンゴウオくん。帰るついでにこれを彼女に渡してくれ」

「ぴゅ」


 あぶくに包んだメモを渡し、ルシウスは海へ帰るダンゴウオを見送った。

早く、朝が来ればいい。

この月が遠くの空へ消えるとき、また、きみに逢えるから。

頬を撫でる夜風とともに、ルシウスは遠い彼女を想った…――。

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