第6話 龍の毒

 龍樹りゅうじゅとは東洋の一部沿岸地域にのみ生息すると聞く、毒素を持った樹の名前である。

正しい育て方をすれば良質な木材となる一方、育て方を間違うと毒胞子が人を襲うのだという。

龍樹の由来は、枝に対して葉がびっしりと整列し、鱗のように生えることから、東洋に住む「龍」という水神にちなんで名づけられたそうだ。

以前その龍樹が人を害する例があったと、友人であるセドナ姫が手紙を送ってきたことがあり、その際に添えられていた絵と、ジゼラ王の腕にある痣の形がよく似ていると思った。



「では、その龍樹が奇病の原因……?」

「断定はできないが、可能性がある、かも…しれません」

 セイレーンの呪いと呼ばれる、例の奇病を発症した王を訪ねるため、ルシウスと共にジゼラの王城へとやって来ていたセシリーヌは、彼の問いかけに頷いた。

龍樹という名前自体は聞き覚えのないものだったが、毒による高熱や眩暈と言った症状は、この呪いにも当てはまる。

もし彼女の予想通りなら、現状打開策のない病を治せるかもしれない。

「対処法は分かるか、セシリーヌ」

 すると、彼女の口調を気にした様子もなく笑う王の横で、彼女を見つめていたルシウスは、一縷いちるの望みを託し問いかけた。

対処法の下、上手く解毒ができれば原因の特定となり、人々の不安も和らぐことだろう。

それに加え、セイレーンである彼女が貢献したとなれば、セイレーンを恐れる人々の偏見も減らせるかもしれない。

そう思いながら問うと、セシリーヌはしかし、残念そうに言った。

「いいや。だが、セドナ姫に聞けばより詳しいことが分かるだろう。手紙を出してみるよ」



「……返事が来るまでどのくらいだ?」

 セシリーヌが説明した龍樹の話に望みを託し、王との謁見は終了となった。

朝から降っていた雨はいつの間にか鳴りを潜め、雲間からオレンジ色の夕陽が覗いている。

「そうだな……。水の精霊は動きが速い。数日で来ると見込んでいるが、確証はないな」

「そのセドナ姫ってお方次第なわけか……。因みに誰なんだ?」

 すると、そんな美しい光景を横切りながら、彼女を抱え風に乗るルシウスは、気になった顔で問いかけた。

世間話の体で出されたという龍樹の話には、解毒法や対処法などの記載はなく、東洋の固有種に対する知識は欧州国際連盟にもない。

そこで、より正確な情報を得るため、セシリーヌの友人であるセドナ姫に手紙を出す運びとなったのだが、姫であるセシリーヌが姫と呼ぶ存在に、好奇心がくすぐられていた。

「セドナ姫は太平洋一帯を治める女王様だ。東洋や人間のことにも詳しい」

「海も地域によって治める者が違うのか?」

「そうだ。世界の海は現在、三人の王によって治められている。地中海から大西洋までを治める父・ネプトリア王。太平洋一帯を治めるセドナ姫。そしてインド洋の辺りを治めるバルナ様。随分と昔に共通言語が確立されたおかげで、時折手紙のやり取りをしているんだ」

「なるほど。ぜひ今度詳しく聞かせてほしいな」


 海の世界における統治話を楽しげに聞いていたルシウスは、一度家に寄ると、すぐさま海岸に向かい、風に乗った。

一度家に寄ったのはセシリーヌが元の格好に着替えるためだ。

本当のことを言うと、長い脚を覗かせた彼女を抱きかかえるのは心臓に悪いのだが、いつものように車椅子に乗せて送っていては、夜の水礼すいれいに間に合わないというので特別だ。

「……前にも思ったが、きみの魔法は綺麗だな。金色のつぶてがキラキラしている」

 と、出来るだけ肌に触れていることを意識しないように前を向くルシウスの一方、彼にお姫様抱っこされるセシリーヌは、周囲を彩る礫を見つめ呟いた。

彼が操る礫は、夕日を浴びて一層美しく煌めいている。

思わず見惚れるほどの美しさに目を輝かせていると、ルシウスは微妙に声を上ずらせて言った。

「俺は陽華ようかの一族だからな」

「?」

「魔力の結晶である礫には、それぞれの特性が色として出る。俺みたいな光の精霊の加護を受けた一族なら金、水の精霊の加護を受けた「粋碧すいへきの一族」なら青、森の精霊の加護を受けた「緑葉の一族」なら緑…と、礫によって名家の人間か否かを見極められるんだ。因みに、一般の魔法使いは透明に近い灰色をしている」

「ほぅ。精霊の色が影響を与えているのか……。面白いな」



 精霊と戯れる彼女を連れ、西海岸の端に広がる岩石地帯へ降り立つと、夕日がゆっくりと沈んでいく姿が目に入った。

海水に触れた途端セシリーヌは本来の姿となり、彼女は水の玉に乗って、ルシウスに向き合う。

長い時間を共にしたせいか、いつもより名残惜しさが溢れた。

「セドナ姫から手紙が来たら連絡をするよ。その間きみは、王の傍にいるのだろう?」

「ああ。何ができるか分からないが、こちらも出来る限りのことをしてみよう」

「ん。では数日お別れだな、ルシウス」

 彼と視線を合わせ、小さく笑みを見せたセシリーヌは、別れの言葉を呟いた。

次に彼と逢うのはおそらく一週間ほど後のことだろう。

二度と逢えないと告げた子供のころとは違い、またすぐに逢えると分かっているのに、あのときよりも別れが苦しいような気持ちになる。

「……また、逢えるよな」

 すると、同じことを考えていたのか、彼女の頬に触れながら、ルシウスは小さく囁いた。

子供のころと同じ問いかけに、セシリーヌは思わず、彼に手を伸ばす。


「大丈夫だ、また逢いに来る」

 そう言って、両手で彼の側頭部に触れたセシリーヌは、こつんと優しく額を触れ合わせた。

こうして顔を触れ合わせるのは友好の証。

気心の知れた相手にしかしない、特別なスキンシップ。

男の子にこれをするのは実は初めてだったけれど、今は、こうしていたいと思った。


「……っ」

 一方、突然近付いた彼女の長い睫毛と髪に触れる指に、ルシウスは頬を赤く染め、大きく目を見開いた。

彼女が目を瞑っているおかげで表情を悟られないのは幸いだが、夕日などでは誤魔化せないくらい頬は熱く、全神経が額にあるのではと錯覚するほど、心臓が早鐘を打っている。

セシリーヌにそんなつもりはないのかもしれない。けれど、こんな距離で無防備に目を瞑られたら、口づけしてしまいたくなる。

あまりの不意打ちに、気付くと彼女を抱き寄せていた。


「ルシ……」

 触れたのはほんの一瞬。

唇の端に、一瞬だけ口づけると、動揺を滲ませた青紫色の瞳が自分を見つめていた。

その頬は夕日に負けないくらい赤く染まり、波音のように鼓動が大きく鳴っている。

「不意打ちのお返し」

「……っ」

「今のがセイレーンの何にあたるかは分からないが、男の前で安易にすべきではないな」

 瞳を潤ませてじっとこちらを見つめるセシリーヌに、ルシウスははにかむと、忠告とも弁解とも取れる口調で呟いた。

正直、これでもかなり我慢した方なのだが、反応から見るに彼女は口づけされる可能性など、全く考えていなかったのだろう。

愛らしくて、もう一回口づけしたくなった。


「今のはその…友好の証というか、特別なスキンシップだ。不用意…だったろうか」

 すると、しばらくして声を取り戻したセシリーヌは、しどろもどろになりながら答えた。

唇が触れた瞬間、何が起きたのか分からなくて混乱してしまったけれど、時間を経るごとに、事実が胸の奥まで沁み込んでくる。

甘く心を揺さぶる不思議な感覚に、頬の熱は上がるばかりだ。

「不用意なら…謝る……」

「そうだな。特別は悪くない響きだが、予告なしにされるとこうなる。また同じ目に遭ってもいいなら、俺は構わないが」

「……っ、き、気を付ける……」

 と、チュニックの裾をぎゅうと握り、照れた顔で目を逸らすセシリーヌに、ルシウスは悪戯っぽく笑いかけた。

普段の凛とした姿も然ることながら、危うい表情を見せる彼女もまた愛らしくてたまらない。

つい数時間前、この想いを秘めておくと思ったばかりなのに、早くも瓦解がかいしてしまいそうだ。


 そんなことを思っていると、オレンジ色に輝いていた夕日が、ゆっくりと水平線の向こうに消え、どこからか菫色の空がやって来た。

もうこれ以上、二人が一緒にいることは叶わない。

人気のない海岸の端とはいえ、長居が過ぎたようだ。

「水礼に行かなくては」

「ああ。引き留めて悪かった」

「またな、ルシウス」


 薄暗さを帯びてきた周囲の色にそれを悟ったセシリーヌは、最後に、ひと房だけ三つ編みにしている彼の髪に触れると、乗っていた水の玉を霧散させ、海に飛び込んだ。

温かさを帯びた海水が漂う表層から、暗く冷たい海水が漂う深層へ。

この、頬の熱が冷めることを願って。


「また…か」


 一方、寄せては返す波を見つめ、ひとり残されたルシウスは小さく呟いた。

十二年前、彼女と初めて逢ったときは、決して交わされることのなかった約束。

その響きに感慨深さを覚えながら、彼もまた、屋敷へ向かい飛び去って行った…――。

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