第5話 ジゼラの奇病

「この国の王が例の奇病を発症しただと?」

「ああ。すぐに謁見に向かうことになった。きみも来てくれないか?」


 雨の中、突然現れた王の従者から説明を聞き終えたルシウスは、談話室に戻ると、ぬるめの紅茶を嗜むセシリーヌに促した。

 ここ二週間ほどの時間をかけ、セイレーンについての話を聞いて来たものの、彼女はまだ「セイレーンの呪い」と呼ばれる奇病がどんなものかを見たことがない。

 最終的には王に報告する際、彼とも顔を合わせる予定だし、現状を知りがてら、接点を持ってもらうのも悪いことではないだろう。

「……」

 そう思いながら問うと、彼女の表情が不安げに変わった。

 自らの正体を晒しに行くでないにしても、やはりまだ、人と会うことに抵抗感があるのだろう。

 街を散策するときも、極力人を避けている節があるのは知っていたし、この提案も時期尚早だったろうか。


「……分かった。きみが判断したなら従おう」

 と、しばらく逡巡する様子を見せていたセシリーヌは、やがて、覚悟を決めた顔で頷いた。

 奇病を見たところで、自分が解決の役に立つとは思わないが、王と接点を持つこと自体は、確かに今後の役に立つかもしれない。

 この双肩に国の未来がかかっている。

 だからこそ、怖がってばかりはいられない。


「セシリーヌ」

「……?」

 すると、そんな彼女の心情を悟ったように、ルシウスはそっと彼女の隣に腰かけた。

 そして不思議顔を見せるセシリーヌに、真剣な眼差しで語り出す。

「きみは、掟を破り俺への協力に命を懸けると言ってくれた。ならば俺も、命を懸けてきみを守ろう。だからどうか、人との関わりを不安がらないでほしい」

「……っ」

 セシリーヌの頬に優しく触れながら、ルシウスは静かに誓った。

 掟がセイレーンにとってどれほど重要なものなのかは、話を聞いてよく分かった。

 本来なら姿を見られることさえ極刑にあたると考えている種族が、他ならない自分のために協力してくれているのだ。ならばこちらも、力を出し惜しむ気はない。

 それに、彼女はルシウスにとって大事な女の子だ。

「……そういうことを真顔で言う奴は恐ろしいな。だが……ほら、謁見に向かうなら準備が必要だろう」



 頬に触れる彼の手に赤くなりながら、誤魔化すように視線を逸らしたセシリーヌは、準備を整えると、ジゼラの中心街に立つ王城へとやって来た。

 父が移動に使う海馬かいばに似た、馬という動物が引く乗り物に乗り訪れた城は荘厳で、海の宮殿にも見劣りしないほど美しい。

「ここが人間の王の住まいか。立派だな」

「ああ。ジゼラの城は欧州でもとりわけ美しいと有名だ。だが、きみは欧州国際連盟からやって来た俺の助手って設定にしたんだ。そういう発言は人じゃないとバレるぞ」

「……気を付けよう」

 足早に前を行く従者に促され、王が待つ部屋に向かいながら、ルシウスは車椅子に乗る彼女を苦笑と共に見下ろした。

 彼女がセイレーンであることは、時が来るまで内緒にしておくつもりだが、うっかり気付かれてしまいそうなほど、時折その発言は危うい。

 目を輝かせて装飾を見つめる愛らしい姿はさておき、傍で見守っていなければと思った。



「急に呼びつけて申し訳ない、ルシウス殿」

「とんでもございません、ベラート様。お加減はいかがでしょうか」

 指定された部屋に着くと、ベッドで横になるジゼラ王・ベラート二世が二人を出迎えた。大きな天蓋付きベッドで寝込む彼は、血色の悪い顔で彼らを見つめている。

「あまり芳しいとは言えないな。昨夜からずっと夢現ゆめうつつを彷徨っている気分だ。……ところで、そちらのお嬢さんはどなたかな」

「ああ、申し遅れました。彼女は私の助手です。つい先程こちらに到着したばかりなのですが、脚が悪く、このようなご訪問となり、申し訳ございません」

「セシリーヌと申します。お目に掛かれて光栄です、陛下」

 四十代ほどと思われる細面の国王に、セシリーヌは最大限丁寧を心掛け、頭を下げた。

 正直まだ、人間たちの言葉を使いこなしているとは言い難いのだが、王を前に不躾な物言いはできない。

 そう思って告げると、ジゼラ王は苦しげな笑顔を見せて言った。

「それはそれは。わざわざご訪問いただき感謝申し上げるよ」

「ところでベラート様。例の痣に関して、状態を見せていただくことは可能でしょうか」

 すると、彼女とジゼラ王の滞りないやりとりに内心息を吐きながら、ルシウスは会話の後で問いかけた。

 今日ここを訪れたのは、例の奇病について、改めて状態を確認するためだ。

 セシリーヌが地上こちらに滞在できる時間もそう長くはないことだし、早めに本題を提示した方が良いだろう。


「ああ…もちろん。これが昨日、私の腕に現れたんだ……」

 視界に入る柱時計の時間を気にしつつ丁寧に問うルシウスに、従者の手を借りて上体を起こした王は、重苦しげに頷いた。

 そして、白いシャツをめくり上げ、腕に広がった緑色の不可解なものを提示する。

「……!」

 ジゼラ王の腕にあったのは、痣というには立体的で、どちらかと言えば苔や茸が生えたような姿をしていた。

 重なり合い広がる様は、確かに鱗らしく見えるものの、セシリーヌが見慣れた魚の鱗とは全く違う。

 自らのイメージとかけ離れた奇病の姿に、強い違和感を覚えた。


「これが奇病……」

「そうだ。この痣が身体中にどんどんと広がり、やがて鱗に覆われる。恐ろしいセイレーンの呪いだ……」

「セイレーンに人を呪う力はない。だが、この形をどこかで見たような気がする」

 恐れをなしたように両手で頭を抱えるジゼラ王に、セシリーヌは思わず断言すると、口元に手を当てて考え込んだ。

 話の内容から打撲痕のようなものをイメージしていたのだが、見せられたそれは全く違う姿をしている。にもかかわらず、どこか既視感のあるそれに、自然表情が険しくなった。

「……」

「なにか知っているのか? セシリーヌ」

 と、またしても危ういことを口走るセシリーヌに、ルシウスは冷や汗を滲ませ問いかけた。

 彼女の発言をジゼラ王が気に留めなかったことは幸いだが、正直何か反論される前に、話題を移さなければと思う。

 車椅子に乗るセシリーヌと視線を合わせて言うと、彼女は小さく首を振って。

「少し待ってくれ。どこかで見た気がするのだが、思い出せない……」


 自分を見つめてくる二つの視線を感じたまま、セシリーヌはうーんと考え込んだ。

 見た可能性があるのなら、それは海での生活の中だろう。

 だが、あんな形の海藻に覚えはないし、魚たちの鱗とも違う。

 人間たちが落としていった本にでも、書いてあったのだろうか?


「……ルシウスは、あの痣が鱗でないならなんに見える?」

「ん?」

 するとしばらくして、セシリーヌは記憶を辿りながら、自分を見つめる青い瞳に呟いた。

 ルシウスは魔法医まほういと呼ばれる、魔法族の中で医師にあたる資格を持っているらしく、普段使わないなりに医学にも明るいと聞いていた。

 自分とは違う観点から、何かヒントを得られないだろうか。

「そうだな……。鱗でないなら、茸? にしては扁平か。色で見れば草葉のようだが、こんな風に重なり合って生えるものは見たことがない」

「草葉……?」

「やはり鱗としか表しようが……」

 王の腕に現れた痣を時折見つめ、ルシウスは同じように考え込んだ。

 ジゼラ王も、恐る恐る腕を見つめては何かを考えているようだったが、彼の言葉にハッと目を見開いたセシリーヌは、思わず身を乗り出すと、目を輝かせて言った。


「でかしたぞルシウス! きみの言葉で思い出した! セドナ姫だ。セドナ姫が言っていた! これは龍樹りゅうじゅの毒かもしれない!」

「……!?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る