第4話 秘密の逢瀬

「何とも不思議な味だ。冷たくて心地よい。これは何だ?」

「プラムのジェラートだ。普通甘いって表現するもんだが、きみの感想は面白いな」


 ルシウスの手を取ると決めたあの日以降、セシリーヌは一日一時間程度の時間を、彼と過ごすことになった。

普段は内陸にある欧州国際連盟本部で暮らすルシウスも、別荘地・ジゼラには詳しいらしく、彼女は様々な場所に連れ出されては人間の文化を堪能している。

もっとも、セイレーンと気付かれないよう着させられたドレスには苦戦中だが、地上の世界は、本で見るよりもずっと美しいと思った。


「甘い…か。ここしばらく、色々なものを食べさせてもらったが、人間の食べ物には様々な味と、温度が存在するのだな。我々にはない概念。面白いな」

「その感想の方がよほど面白いが…ちなみにセイレーンは何が主食なんだ?」

 すると、子供のように目を輝かせ、ジェラートを頬張るセシリーヌに、ルシウスは車椅子を押しながら問いかけた。

どうやら海水を失い、ほとんど人と変わらない姿を見せる彼女も、足の使い方だけは分からなかったらしく、歩行は断念したようだ。

その代わり、車椅子での散策を提案してくれた彼に、セシリーヌは顔を上げて言った。

「我々の主食は貝と海藻だ」

「魚は食べないのか」

「魚は友達だ。食べるわけがない」

「なるほど」

 素朴な疑問に頬を膨らませ、きっぱりと告げるセシリーヌに、ルシウスは楽しげに頷いた。

知らないことを知るというのは、とても楽しくて、つい夢中になってしまう。

もちろん、この島で有名な魚料理のことは内緒だが、一日一時間というリミットが惜しいほどだ。



「……ルシウス。外出はしないのに着替えは必要か?」

 その翌日は雨で、セシリーヌは彼が住む屋敷の談話室にいた。

温かい紅茶とオレンジケーキが用意された室内は、甘く心地よい香りに包まれている。

だが、優雅に紅茶をたしなむルシウスの一方、彼を見つめたセシリーヌは、どこか不満そうに言った。

「人間の服は苦しい。ここでは普段の格好を望む」

「残念だが、それはできない相談だな。このご時世、女性が脚を出すなんて考えられない。俺の精神衛生的に着替えてもらわないと困る」

 すると、大きく膨らんだ袖に、釣り鐘型のシルエットが印象的な、流行りのドレスを着こなす彼女を見つめ、ルシウスは肩をすくめた。

元は姉がこの屋敷に置いていった淡いピンクのドレスは、彼女にとてもよく似合っているのだが、普段の軽装から考えれば、確かに苦しいことだろう。

だが、長い脚を覗かせたあの姿を見続けるのは、正直眼福…いや、目に毒だ。

そう思って言うと、彼女はそっぽを向いてしまった。

「面倒な感性だ」

「かわいいって褒めてやるから許せ。それに、これも貴重な経験だろう?」

「今のところ何の役にも立たん経験だ。そもそもきみと会っていることなど、誰かに知られるわけにはいかない。それこそ海を数百年治めるお父様に知られたら、即断罪されるだろう」


 端正な顔に、わざとらしく綺麗な笑みを浮かべるルシウスを片目で見つめ、セシリーヌは改めて警告にも似た言葉を呟いた。

この逢瀬おうせは今のところ、二人だけの秘密の事柄だ。

人間側には極力、仲間たちなんて絶対に知られるわけにはいかない。


「……数百年治めてる……? セシリーヌ、きみ幾つなんだ?」

 と、危うい立場にあることを知らせる彼女に、ルシウスは気になったように問いかけた。

初めて逢ったとき、彼女もまた子供の姿だったことから、同じくらいの歳だと予想していたが、もしかして、遥か年上なのだろうか?

「幾つ? 歳が気になるのか?」

 すると、ルシウスの疑問に、セシリーヌは不思議そうな顔で問い返した。

まるで、生まれて初めてされた質問のような表情にルシウスは頷くと、

「まあ、それなりに。それともセイレーンには歳を数える概念はないのか?」

「そうだな……。そもそも時間や年月を気にして生きているのは、人間だけだと思うぞ。我々は身の内に魔力エレメントが宿る限り生き続ける。年月など些末なものだ」

「それは俺たち魔法族も同じだが……相手が少女かババーかでは敬い方が違うのさ」

 首を傾げる彼女の向かいでソファにもたれながら、ルシウスは理由をそう締め括った。

普通に失礼なことを言っている気もするが、セシリーヌには上手く理解できなかったらしい。

その証拠に、もう一度大きく首を傾げた彼女は、しばらくして諦めたように言った。


「よく分からないが、質問に答えるなら私は生まれて十八年だ。そのせいで最近、お父様がつがいを見つけろと煩くなってきた」

「俺の二つ年下か。……と言うか、きみたちもこのくらいの歳に番を決めるんだな」

 彼女が年上ババーでなかったことに内心ほっとしながら、ルシウスは興味深げに呟いた。

どの生き物にも適齢期があるとは思っていたが、セイレーンの婚姻もまた、興味深い。

「我々は生まれて二十年を目安に相手を決める。だからそれまでは年を数えるのが慣例だ」

「因みに、相手の基準は?」

「お互い気が合うのが一番だが、歌と舞いも重要だ。先日話したように、我々は日に二回、水の精霊に感謝を込め歌を歌う。その際に相手を務めるのが番だ。もちろん、正式な相手が決まるまでは幼馴染みや従兄弟など、仲の良い者に務めてもらう場合が多い」

 そう言って宙を仰ぐセシリーヌに、ルシウスは微妙な表情を見せると、一瞬黙り込んだ。

人を惑わせるものだと思っていたセイレーンの歌が、水礼すいれいと呼ばれる、水の精霊への儀式だと知ったのも最近だが、ペアで歌うというのは初耳だ。

彼女に正式な相手がいないのは会話から分かったけれど、誰か、親しい相手がいるのだろうか。


「……きみは、誰と歌っているんだ?」

 そう思うとどこか落ち着かない気持ちになりながら、ルシウスは平静を装って尋ねた。

すると、向かいの彼女は気にした様子もなく笑って、

「私は幼馴染みと歌っているよ。彼の声は伸びやかで美しい」

「特別な相手なのか」

「いいや? 仲が良い自覚はあるが、それ以上の関係ではないよ」

 やけに追及してくるルシウスを不思議に思いながら、セシリーヌは、好奇心に何か別のものを混ぜた顔で紅茶を含む彼にきっぱりと答えた。

そして、なぜか胸を撫で下ろす彼を見つめ、小さく笑う。

「ふふ、こんなことを聞かれたのは初めてだ。異類との婚姻にでも興味があるのか、きみは」

「……!」

「それとも単なる好奇心か?」

「いや…どんな生き物の生態にも興味があるだけだ。言ったろう、俺の目標はすべての種族が手を取り合う世界だと」


 真顔で告げる彼女の鈍さを笑いながら、ルシウスは誤魔化すように呟いた。

その目標をいだいたきっかけは、他ならない彼女との出逢い。

あの日、夜の海に消えた幼いセイレーンは、私たちは交われぬ種族だと言っていた。

確かに、人間と魔法族が友好を示してからまだ二五〇年弱。他の種族は謎も多く、関わりを持たないのは常だ。

だが、もしすべての種族が手を取り合う世界になったら、またきみに逢えるだろうか。

そんな小さな希望が夢の始まりで、こうして再会できた今、夢は確固たる目標になった。

彼女の話を聞くのはとても面白いけれど、それ以上に、人の世界に目を輝かせる彼女のことを、愛しいと思う自分がいる。

もちろん、今はまだ胸に秘めておくつもりだが、この想いを遂げるためにも、絶対にセイレーンが魔物でないことを証明しなければ……。


「ふむ、それだが、具体的にはどのような世界を目指す気だ? 途方もないように感じるが」

 すると、心の中で思いを馳せる彼に、セシリーヌはオレンジケーキを食べながら言った。

甘さを控えた生クリームに、果実のぷちぷちとした感触が面白くて、つい頬が緩んでしまうけれど、その一方、彼が言い続ける世界にも興味はある。

結果、子供のようにケーキを頬張りながら聞く彼女に、ルシウスは自然と笑みを零した。

「最終的な目標は、すべての種族が人間と同じ世界に戸籍を持てることだな。そうすれば種族問わず法の庇護下に入れる。一方的な弾圧や差別も減るだろう」

「立場を対等に、ということか? やはり途方もないな」

「構わない。幸い俺たちの寿命は長いからな。百年くらいかかる心積もりで行動するさ」

 決して平坦ではない目標を見据え、力強く語る彼の言葉に、セシリーヌはケーキを食べる手を止めると、じっと彼の青い瞳を見つめ返した。

一途に前を向き、進もうとするルシウスの姿はとても美しい。

元々美丈夫だとは思うが、精霊たちが輝くように、高潔な魂というのもまた、美しく輝くものなのだろう。

なぜ今そんなことを思ったのかは分からないけれど、綺麗な瞳に、心惹かれるようだ。


「……気が長くて結構だ」

 と、なぜか赤くなる頬に気付いたセシリーヌは、慌ててケーキを食べると、美味しさに紅潮したフリをして言った。

共にこの不平等な世界を変えて行かないか、そう言ってくれたのは彼だけれど、それが、彼に惹かれていい理由にはきっとならないはずだ。

私はセイレーン。

どんな世界が来ようと、海を離れるわけにはいかない。


「……?」

「客人か? 珍しいな」

 自分をいさめるように目を瞑り、呼吸を整えていると、不意に玄関先でベルが鳴った。

外は相変わらず雨だというのに、誰が来たのだろう。

「話を聞いて来る。少しここで待っていてくれ、セシリーヌ」



「――…あぁ! ルシウス殿! 突然の訪問申し訳ない!」

 セシリーヌに言い置いたルシウスが、二階の談話室を出て玄関を開けると、目の前にびしょ濡れの男性が現れた。

息急き切らした彼は確か、今回の依頼人である王の従者だったはず。

そんな彼が突然現れるなんて、何かあったのだろうか?

「いかがなされた?」

 胸の内に微かな不安を懐きながら、ルシウスは大きく肩を揺らす彼に問いかけた。

すると、黒い瞳を見開いたその従者は、掴みかかりそうな勢いで叫ぶ。


「大変です! セイレーンの呪いが! 陛下が! 発症してしまいました!」

「……!」

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