第2話 忍び寄る危機

「我々の国が滅ぶ……!? 一体、どういうことだ?」


 波のつづみが静かに響く夏の海岸で。

子供のころに助けた青年と不慮の再会を果たしたセシリーヌは、突然出された話題に、目を丸くしていた。

彼が何をってそう語るのかは分からなかったけれど、自分たちはもう数千年もの間、関わりを持たずに生きてきた種族だ。

一方的な話に、思考がまとまらなくなる。


「きみが協力してくれなければ、の話だが……。どうだ、興味を持ったか?」

 すると、動揺した様子のセシリーヌを見つめ、青年は満足げに声を掛けた。

まるで、この話題を提示すれば、彼女が興味を持つと分かっていたかのような表情に、冷静さが戻って来る。

「……っ、いや。何者かが我々を陥れようとしているなら立ち向かうまでだ。話など……」

「相手は欧州国際連盟だ。きみたちの強さは計り知れないが、圧倒的な数を前に勝機などあるわけもない。大人しく話を聞いてほしい」

「……っ」

「それに、話を聞いてもらうまで、俺はきみを離す気はない。このまま俺に抱かれ続ける方がいいというならそれも一興だ。また根競べと行こう」

 頑なに交流を拒否する彼女をまっすぐに見下ろした青年は、妖艶な笑みと共にまた彼女を強く抱きしめた。

腕に包まれているおかげで、こちらの表情を悟られないのは幸いだが、このままでは太陽と頬の熱に昏倒する方が早いかもしれない。

なけなしの抵抗感で、もう一度腕を振りほどこうと動いたのち、どうにもならないと観念したセシリーヌは、力なく言った。

「……分かった。一先ず話だけ聞こう。だが、先程も言ったように私は人間といる姿を誰かに見られるわけにはいかない。少し、場所を変えてほしい」

「いいだろう。では風の精霊Apporter俺たちを運んで。アイケリアの別荘まで。人に見つからないよう、迅速に頼む」

「……!」



「……誰がこんなところにまで運べと言った。我々は海水を失うと力を失う。帰らせてくれ」

 突然吹いた風に運ばれるがまま、白壁の屋敷へと連れて来られたセシリーヌは、フリルのようにひだを描くチュニックの裾を握りしめ、困ったように呟いた。

不思議なことに、鮮やかなコーラルピンクの鱗に覆われていたはずの彼女の脚は今、人間と同じ滑らかな肌へと変わり、見た目は人間そのもの。

どうやら、海水を失ったことが原因らしいが、太ももまで覗く長い脚に、彼女はショックを受けた様子で俯いている。

「うぅ……」

「残念だが話が終わるまで帰す気はない。……それにしてもセイレーンの生態は興味深いな。陸に上がった途端、人間との区別がつかないほどだ。いろいろな意味でそそる」

 と、激しく落ち込むセシリーヌの一方、興味津々と彼女を観察していた青年は、着ていた黒の外套がいとうを脚に掛けてやりながら楽しげに笑った。

ソファに下ろしたまま微動だにしないところを見るに、彼女は脚の動かし方をよく分かっていないのだろう。

本来ならじっくり調査してみたいものだが、今回の目的は別にある。


「さて、まずは自己紹介から始めよう。俺はルシウス・アフォロニア。七大魔法名家のひとつ、陽華ようかの一族出身の魔法使いだ。今回、欧州国際連盟とここジゼラの依頼で、セイレーンの実態調査に来た」

 湧き上がる好奇心をどうにか抑え、セシリーヌの向かいに腰を下ろした青年は、一つ間を置くと、自らの素性をそう明かした。

杖を持ち精霊に語り掛けていた以上、只の人間ではないと思っていたが、宝石のような青い瞳を向ける彼の言葉に首を傾げたセシリーヌは、悩みながら小さく呟く。

「ルシウスと言うのか。だが、他はよく分からないな。陽華の一族? 国際連盟? 何者だ?」

「そうか。きみは人語が話せるだけで、外の世界を知っているわけではないんだな」

「……」

「まあいい。俺はきみたちと同じく、身の内に魔力エレメントを宿し、精霊たちと言葉を交わせる魔法族の人間だ。その魔法族の中には、直接精霊の加護を受けた七つの名家があって、それを七大魔法名家と呼ぶ。俺はその中でも光の精霊の加護を受けた一族…まぁ、他の魔法使いより、特に光の精霊との意思疎通に優れたやつだと思えばいい」

「……ほぅ」

「そして、欧州国際連盟とはこの欧州一帯を統括する国際組織だ。加盟国は欧州にある国々の半数を超え、国際的に由々しき案件などの討議・検討を行っている。俺はそこの魔法部所属。今回、依頼を受けきみたちの調査に来た」


 子供に言って聞かせるような内容を意識しながら、ルシウスは首を傾げるセシリーヌに、丁寧に説明を行った。

もちろん、文化と言語の違いがある以上、理解できない部分も否定できないが、とにかく、目的を知ってもらわないことには始まらない。

そう思って話すと、調査の言葉にセシリーヌの顔が不審げに変わった。

「なぜ我々が調査対象になる。人間に迷惑などかけてはいない」

「そう思っているのはきみたちだけだ。……と、それを説明する前にきみの素性を聞きたい」

 青紫色の美しい瞳を細め、抗議のような声を上げる彼女に、ルシウスは肩をすくめ言った。

やはり彼女たちは何も知らないらしい。

だが、今回の事案で“知らない”は命取りになる。

なんとしても彼女を説得し、協力を得なければ……。

「……いいだろう。私の名はセシリーヌ。海底国家シーメル王国の三番目の姫だ」

 逸る気持ちを抑え、素性を尋ねるルシウスに、セシリーヌは一旦不信感を押し込めると、背筋を伸ばして答えた。

釣り目がちの凛とした眼差しに、気品ある雰囲気を漂わせた姿は高貴な姫そのもので、ルシウスは思わず目を見開くと、感嘆を滲ませ呟く。

「なんと、王女だったのか……。道理で美し…いや、話を聞いてもらうには最適だな」

「それでルシウス。なぜ我々が人間の調査対象となっている?」

 惚けたように自分を見つめたと思った途端、どこか口を濁すルシウスを不思議に思いながら、セシリーヌはもう一度彼に問いかけた。

すると、相変わらず覚束おぼつかない人語で話す彼女に、ルシウスは言葉を選びながら説明する。


「そうだな。まずはこの小さな島国で起きている奇病の話から始めよう。ここジゼラでは、数か月前から腕や足などに鱗のような痣が広がり、高熱と眩暈に襲われる謎の病が流行している。接触感染なのか、空気感染なのか、原因は何も分からない。だが、「鱗のような痣」という特徴から、国の人々はこれを「セイレーンの呪い」と呼んだ」

「!」

「セイレーンと言えば、歌声によって人を惑わせ、船を座礁させては人を餌食にする美しい魔物だというのが世間一般のイメージだ。特にこの海域では、頻繁にセイレーンの歌が聞こえてくる。知らない種族であるという恐怖も合わさって、歌と病は結び付けられてしまった」

「そんな戯言……っ」

 出来るだけ簡単な言葉を選びながら、奇病とセイレーンの話をするルシウスに、セシリーヌは眉を吊り上げると、怒った顔で身を乗り出した。

人間たちが作り上げた勝手にイメージに、誇りを傷つけられたような屈辱感が溢れる。

だが、そんな彼女をいさめたルシウスは、最も大事な要点を静かに告げた。

「おっと、言い訳は後で聞こう。ともかくこの奇病で既に数万人が倒れ、死者もちらほらと出始めてきた。その情報を得た欧州国際連盟は、病から人々を救うための手段として、海底にあるというセイレーンの国の破壊を検討している」

「な……」

「だが、何事もまずは事実確認が重要だ。そこで欧州国際連盟魔法部 魔法生物課所属の俺に白羽の矢が立った。きみたちが自らの潔白を証明できなければ、数万の爆薬がきみたちを襲うことになるだろう」

「………」


 人間たちの世界におけるセイレーンの立場を説明し終えたルシウスは、眉をひそめたまま黙りこくる彼女を見つめ、反応を待った。

予想だにしていなかった話に、怒りと困惑を抱えた彼女はどこか遠くを見つめている。


「どうだ、協力をする気になったか?」

「……勝手に我々を魔物とみなし、病とこじつけて破壊だと……? 馬鹿馬鹿しいにもほどがある! そんな理不尽がまかり通ってなるものか!」

 しばらくの沈黙ののち、すっと前傾姿勢で問いかけるルシウスに、セシリーヌは青紫色の美しい瞳を大きく見開くと、感情のまま怒りをぶつけた。

確かに接点がない以上、人間たちが勝手なイメージをいだく点は納得できる。

だが、分からないを理由にこちらの所為せいと見なされるのは、到底納得ができない。

「俺もそう思う。だからきみを探していたんだ。この病がセイレーンのせいではないことを突き止めるため、俺に協力してほしい」

「……!」

 顔を赤くして怒りを見せるセシリーヌを見つめ、ルシウスは改めて願い出た。

セイレーンである彼女自らを以って潔白を証明できれば、国も連盟も納得するだろう。

だからこそ、わざわざセイレーンの歌が聞こえる時間帯に船を出し、溺れてまでセシリーヌに逢えるかを賭けてみた。

その賭けが成功した以上、心を動かすまで、こちらとしても引くわけにはいかないのだ。

「……いや。だが、私たちは……」

「交われぬ種族か。掟に縛られ、これから先も過ごすことに何の意味がある。聞くが、ならばなぜきみは、普段使いもしない人語を学ぼうと思った。本当は閉ざされた世界から出たいと願っているんじゃないのか?」

「……っ!」

「俺の目標は、すべての種族が手を取り合い、共に生きて行ける世界だ。今回はその序章と言ってもいい。俺と共に、人間ばかりが優先のこの理不尽な世界を変えていかないか、セシリーヌ」


 まっすぐに自分を見つめ、手を差し出すルシウスに、セシリーヌは迷った顔で俯いた。

突然確信を突くような言葉もることながら、彼が語る未来に少しだけ、心が動いてしまった。

でも、そんなのは所詮夢物語。

数千年続く掟を破れば、どうなるかは分かっている。

この逢瀬おうせだって、誰かに知られたら極刑は免れないだろう。


頭では、叶わないと分かっているはずなのに……。


(人間と共に生きる…世界……)

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