元気?

オニキ ヨウ

元気?

「先輩の野中さんとランチに行きました。課長の悪口で盛り上がっちゃった。野中さんの愚痴はキレがあって面白いの。なんだか漫才してるみたい(笑)野中さんがいなければ、私はこの会社で働き続けられないと思う。ちなみに、野中さんは女性だよ。安心してね」


 満員電車の中。彼氏に向けてLINEを打つ。今日は少し長めに書いた。


 昨日のメッセージ、

「今日、営業部長の田中さんが退職したよ。びっくりした!」

 に比べてだいぶん長い。


 今日の私は、野中さんとランチできたことが嬉しかったのだろう。

 画面をスクロールして過去のメッセージを辿ると、嬉しかったことばかりが長文で綴られている。


「先週の休みは、親友の美奈子とスイーツビュッフェに行ったよ。新宿バスタにあるオシャレなお店。内装も可愛くてね、紅茶の種類も選べるの。ケーキがすごく美味しかった。今度、けいくんと一緒に行きたいな」


「今日のお昼はパスタを食べたよ。近所のパスタ屋さんがポイントカードを作っているんだ。ちょうどスタンプが10コ溜まったみたい。500円割引してくれたの。ボロネーゼ、よく注文するんだ」


「今日は勇気を出して、ネイルをしてみたよ。佐藤課長に怒られるかなってビクビクしたけれど、何も言われなかったの。肌色やピンク色だったら、ネイルをしても大丈夫みたい! 今度はジェルネイルに挑戦したいな」


 既読はつかない。

 私が書いた緑色の吹き出しが、長々と続いている。


 今日で二年三ヶ月経つ。

 彼氏のけいくんから、返信が来なくなってから。


 美奈子からは、LINEをブロックされていると言われた。これまでに二十回ほど同じセリフを言い続け、美奈子は疲れているみたいだった。


「千穂は捨てられちゃったんだよ。別れ話もしないで、LINEをブロックする男なんて最低だと私も思うよ。ただ、千穂も執着しすぎだよ。連絡を待ち続けて二年でしょ? そういう重さを、彼氏が察したんじゃないの?」


 スイーツビュッフェで、盛りに盛ったケーキを食べながら美奈子は言った。


 私のお皿には、小さなケーキが一つ乗っているだけだ。一口も食べていないのにお腹いっぱい。

 カウンターに並べられた、色とりどりのケーキを見ただけで満足した。


「男友達、紹介しようか?」

 美奈子が尋ねる。

「彼氏っぽい人ならいる」

 私は答える。

「うっわ」と美奈子が言う。

「三人くらいいる」と私は言い添える。

「三十代と、四十代と、五十代の、彼氏っぽい人」

「うっわ……」

「でも、私の彼氏は、けいくんだけなの」



 けいくんとは高校二年生の時に付き合い始めた。初めてできた彼氏だった。四六時中そばにいて、感情を共有して、肉体を共有した。

 私とけいくんは、ありきたりな経過を辿って、子供から大人へと成長した。

 高校卒業後、わたしは大手の不動産会社へ派遣社員として就職した。

 けいくんは受験を頑張って、早慶上智とひとまとめにされる頭の良い大学に入学した。

 高校卒業後もしばらく関係は続いた。

 ところが、ある日を境にけいくんからLINEが来なくなった。私の送ったメッセージに既読がつかなくなったのだ。

 けいくんの最後のメッセージは、楽天パンダが親指を立てているスタンプ。

 その前の返信も、その前の返信も、楽天パンダのLINEスタンプが続いていた。



「けいくん、楽天パンダ好きだね。私もパンダ好き。今度、上野動物園にパンダ見に行かない? けいくんの大学からも近いよね。週末、空いてる? 上野駅で待ち合わせて、一緒に行かない?」


「楽天パンダが親指を立てているスタンプ」


 それが最後のやりとりだった。



 私は休日になると上野に行く。

 上野公園の入り口に立って、駅に続く横断歩道をじっと見つめる。

 休日の上野は賑やかだ。動物園や美術館、博物館へ行こうとする人の群れが忙しない。家族連れが多い。子供のはしゃぎ声がする。

 しかし、けいくんは見当たらない。

 イイネ! という意味のLINEスタンプを送ってくれた恋人は上野駅に来ない。

 私には忠犬ハチ公並みの我慢強さがない。

 一時間程度で待ち呆けてしまい、彼氏っぽい人の一人にLINEを送る。

「今日、会えますか?」

 彼氏っぽい人たちからの返信は早い。

 なぜなら彼氏彼女は、頻繁に連絡を取り合うものだから。彼女っぽい私は、飲みに行こうと誘う彼らにすかさずOKのスタンプを返す。

 ただし私の返信は、パンダではない。

 可愛い猫の絵が描かれた有料スタンプを、彼らに送る。


 上野駅を去る前に、けいくんにメッセージを送る。

「けいくん、元気ですか?」


 返信は、返さなくていい。

 スタンプも、つけたくなければつけなくていい。

 既読という反応を、私は待っている。

 それはけいくんの生存確認であり、私の生存確認だ。



 今までに送ったすべてのメッセージに、既読がついたら。

 私は続けて、こんなメッセージを送るつもりでいる。


「私は元気です」

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