第六話 怖れるほどに

『守るのは私だ。守られるなど、ごめん被る』『そうはいきません』『嫌だ』『だめです』

 ……などと言って、ずれ合う。いや、じゃれ合う。

 ふたりの声が耳に残る。

(なんだか、特別な空気を感じた)

 あのときのやり取りがやけに思い返されて、気になって仕方がない。夜代は心に靄を抱き、それを解消できずに一夜を明かしてしまった。そのせいで――


      §


「そこまで!」

 夜代の喉元に、小太刀の切っ先が突き立てられた。

 完敗である。

 朝佳が腕を下ろし、訪ねてくる。

「どうしたの? 今日、調子悪い?」

 目も当てられないほど、つい今しがたの仕合はあっけないものだった。

 朝佳の一刀を夜代が両刀で受け、体勢を崩し、続く二刀目にして、もう先ほどの形となっていた。身が入っていないと言わざるを得ない。

「別にっ……何でもっ」

 と、夜代は強く返した。

 確かに顔色に問題はなく、呼吸も穏やか。体調が悪い様子はない。

 つまりは心の問題だろう。

「まさか」と思い、朝佳は勢い余って口にする。「もう聞いたの!?」

「は? 聞いたって何を?」

「あ、えっと……まだ、だったんだね……」

 明らかに何か言うべきことがあるような反応。夜代はじっとり問いただす視線を投げる。

「言いなさいよ」

「……その、いずれ……束菜子様と総一郎様から正式に公布があると思うけど、夜代には、私から言っておくね」

 などと切り出す朝佳の様子から、

(もしや)

 と、夜代は悟った。もったいぶるような前振りを受け、想像してしまうのだ。昨日から感じている嫌な結末を。

 そして、その想像は、まさに――であった。

「実は、総一郎様と婚約しました」

「あぁ、そう……」

 想像していただけに、やけに落ち着いていられる。

 突きつけられた答えを受け入れ切れているのか、あるいは、思考を放棄しているだけか。自分でもよく分からない心境だった。突然、

「あ〜あっ」大きな声を上げたかと思うと、夜代はその場で大の字になって倒れ、天を仰ぐ。「負けた……」

 この失恋は、ただの敗北ではない。今まで積み上げてきた数々の負け仕合。そのどれとも重みが違う。

 心に負った傷――それをあえて外傷で例えるなら、今までの敗北は指先を軽く切ったという程度。そんなものはすぐ癒える。しかし今回のは、肩ごと腕をもぎ取られたくらいには感じられた。

 いや、もっと大きいかもしれない。

 今の心境では、どれほどの傷を負ったのか判断しかねる。

 虚無だ。

 今は虚しさに身を委ね、傷の深さを知るのはそれからになるだろう。

 怖い。

 思考が復帰したとき、傷ついた心と向き合ったとき、自分はまともでいられるのか。そんなことすら分からないことが怖しい。

「夜代……?」

「ちょっと、ひとりにして」

「うん……ごめんね。急な話で混乱させちゃったよね。また話そう」

 そう言って、朝佳は濡れ縁で待つ総一郎のもとへ下がっていった。

 ふたりのあとを目で追うこともなく、夜代は、ただ流れる雲を見つめていた。


      §


 木漏れ日が差す早朝の杉林。木陰に佇み、身を暗くしているひとりの女がいた。

「お呼び立ていたしまして、申し訳ございません」

 木陰から発せられたその声に返事をするのは、お似合いの、ふたりの男女。

「いや、話をしたかったのはこちらの方だ」

「ありがとう、夜代」

 総一郎、そして、朝佳。夜代が両人をこの場に呼び立てたのだ。

 昨日の様子――婚約の話を聞いたときの反応からして、夜代は相当に衝撃を受けていたはず。しかし、それでもなお、夜代の方から話をしたいと申し出てきた。

 朝佳は、彼女の誠意に感謝していた。ちゃんと向き合おうとしてくれている。ならばこちらも、相応の気持ちで接する義務がある。 

「まず、私から話した方がいい、かな……?」

「…………」

 もはや、朝佳と総一郎はふたりで一つ。夫婦になることを約束した男女。何気ない一言で、まざまざと思い知らされる。

 が、揺さぶられたりはしない。しっかりと心の準備を整えてきたのだから。

 じっくりと考え、答えを出した。

 好敵手であり幼馴染たる朝佳、そして、想い人たる総一郎。ふたりに対し、自分が贈るべきものは何か。

 その答えを。

「話は、うちからさせて」

 と、夜代が言った。

 この場は彼女に礼を尽くす。そう、朝佳たちは決めている。よって、彼女が話したいと言うのなら、それを遮ろうはずもない。

「うん」

 朝佳が応えて、総一郎も頷いていた。

 焦ることはない。ふたりとも待ってくれている。夜代はひと呼吸を置いてから、改まった様子で告げる。

「今日は、ふたりを祝福したくて呼びました」

 夜代は木陰から出て、彼らのもとへ歩み寄り、

「総一郎様には舞を捧げます」慇懃なお辞儀を見せ、それから、「朝佳、一緒に踊りましょう」

 と言って、抜刀する。いつもそうしているように、二本の刀を構えた。

 朝佳は困惑する。

「え」

「仕合しようって言ってるの」

「それが……祝福?」

 いつもやっていることと何が違うのだろうか。

「今日こそ、うちが勝つ」

 と、夜代はやる気に満ちていた。

 朝佳はきょとんとなるが、方や、総一郎は微笑んでいる。

「夜代の決心。しかと、見させてもらおう」

 それを聞いて朝佳も「ああ」と思い至る。

 いつもやっていることと変わらない。つまりは、これからもこうしていようという夜代からの言外の意思表示なのだ。

「よりによって総一郎様のお相手が、朝佳になるなんてね……うちは耐えられない。ぶっ殺してやんよ」

 夜代は何も隠さない。悔しさも、妬ましさも、本気の殺意も。

 それが、かえって清々しい。

 今後、気まずくなるかもしれなかった。だからこそ、夜代は進んで気持ちの整理をつけようとしてくれている。

 朝佳も、総一郎も、そう解釈した。

 今日このときをもって、遺恨をなくす。確かに、ある意味でこれ以上ない祝福だといえそうだった。

 ありがたく乗らせてもらうことにして、朝佳は口にする。

「分かった。手加減はしないよ」

「それでいい。うちは絶対に勝つ。なぜなら――」

 と、夜代は突き出した。

 右手の刃。

 不意のことで避けることも防ぐこともできず、深々と刺さってゆく。

 その切っ先が貫いたのは――総一郎の腹部だった。

「っ……」

 声にならない呻めきを漏らす総一郎。

 そして、我が目を疑う朝佳。悪い目が、悪いものを見せているようにしか思えない。けれども現実は、否応なくそこにある。

「さあ、どうだ。怖れろ」

 不気味なほどに低い、夜代の声がうごめく。

「仕合のあと、総一郎様にはとどめを刺す。この方を死なせたくなければ、うちを倒してみせろ」

 言下、夜代は刃を引き、総一郎の体を突き飛ばした。

「総一郎様ッ!」

 朝佳は愛する人のもとへ駆け寄り、うずくまる身体を抱き抱えた。そして、すかさず暗い目をした好敵手へ視線を移し、

「夜代……何のつもり……ッ」

「怖れるほど弱くなる。それが現世うつしよの理」

 この返答が意味することとは、いったい何なのか。

 総一郎は苦痛に顔を歪めながらも、彼女の考えに行き着いたような目をした。

「夜代、お前……」

 暗い目をして俯きながら、夜代は淡々と話し始める。

「朝佳が最も怖れること。それは、総一郎様の喪失でしょ? だから、この戦いに総一郎様のお命を賭けさせていただきました。どう、朝佳? 怖いでしょ? 不安で仕方がないでしょ? この戦いに負けたときのことを想像してしまうでしょ?」

「黙りなさい……」

「こうすれば朝佳の妖力はになる。だから私は絶対に勝つ」

「ふざけるな!」

 朝佳は愛する人から手を離し、腰に帯びていた小太刀を抜き放った。そして、真っ直ぐに突進を仕掛ける。

 対する夜代は、ただ蹴りを繰り出す。

 その迎撃に、朝佳はまるで対処できなかった。

 夜代が速いのではない。朝佳が、格段に遅くなっている。

 蹴りの次は刀の柄頭による殴りつけがくるが、避けられず、もろに顎を打たれてしまう。

「やめろ……」

 総一郎は霞む目で見ていた。

 まるで稚児をもてあそぶように、朝佳が蹴られ、殴られている。

 力や技能において拮抗していたはずのふたりが、今、どうしてこれほどに差が開いているのか。


 怖れるほど弱くなる――


 それが、この世の理。妖力という力が有する特性だから。

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