第五話 愛の告白

 生まれ育った村を焼かれ――早、十八の歳を数えた朝佳。

 か弱き民を守りたいという思う心の芯は今なお変わらない。この想いを、とてもよく尊重してくれる人とも出会えた。

 今宵。朧月を頂く松の木の下で隣に立ってくれている。

 総一郎だ。

「朝佳。お前はその目で……本当によくやっている」

 言われ、彼女は遠い目をして応える。

「この右目は確かに見えません。でも、これを言い訳にはしたくありません。あの方のためにも」

 命を賭して守ってくれた武士に、

 ――守り抜いてくれて感謝しています

 と、我が人生を通して伝え続ける。そのために、決して右目の不自由を嘆いたりはしない。厳しい眼差しで己の手を見つめ、朝佳は続ける。

「私が伸び悩んでいるのは、単に、私の力不足がゆえです」

 彼女は右の瞼に消えぬ火傷を負っている。普段は色濃い化粧で隠しているので、そのことを知る者は少ない。

 知るのは、総一郎など、ごく一部の親しい者のみ。

「夜代には、やはり話さないのか」

「はい。あの子は優しいから、知られれば気遣われてしまう。そうなると、もう対等な相手ではなくなってしまいます」

 夜代ですら知らない、というよりは、夜代にだけは知られたくない、と言った方が正しい。

 好敵手と認め合う間柄。けれど朝佳には身体的な不利が潜んでいた。そんな事実を知ってしまえば、夜代はどう思うだろうか。同情を抱き、もはや今までのようにし合うことがなくなるかもしれない。それに……現状、不利があってなお互角という事実が、夜代の自尊心を傷つけることにもなりかねない。

 少なからず、関係性に亀裂を生む。

 そもそも朝佳自身が、この目を不利だと認めたくなかった。だから、あえて自ら口にすることはあり得ない。

「そうは言っても、いつか気づかれるだろう」

 と、総一郎に指摘される。

 彼には日常の中で、片目が見えていないことによる視界の狭さを見抜かれてしまったことがある。

 ゆえに今、ふたりきりでこんな話をしている。

「案外、ばれないものですよ。もう何年も経ってますが、きっと気づかれてない。総一郎様は特別気配りができるお方なだけです」

「そう、だろうか……」

「私が強くありさえすれば疑問を抱かれることもありません。今は……ちょっと躓いてしまっているかもしれませんが、必ず脱してみせます」

 不振不調で伸び悩むなど誰にだってあること。重く受け止めても仕方がない。前に踏み出し続けることが好転の一手となるはず。朝佳はそう信じていた。

 ――必ずや

 という想いが、その胸にはある。

「守り手の頂点――筆頭の名。私が、そこまでのぼり詰めた暁には、ひとつ、お願いがございます」

 そう切り出す朝佳に、総一郎は悩ましそうな顔をする。

「……筆頭、か」

 この言葉が意味するところは、国内最強の武士。朝佳は、いずれその域に達する気でいるらしい。そう成ることこそ、命の恩人への、最大の恩返しと考えているようだ。

 立派な志と言えよう。しかし、総一郎は懐疑的だった。

「それは、我が母上をも越えるという意味か?」

「ええ。束菜子様をも越えてみせます」

 聞いて、総一郎は微笑んだ。清々しいまでに本気の返答であったから。

「それで、願いとは?」

 朝佳は胸を高ならせ、頬を紅潮させ、意を決したような目で口にする。

「大いなる我が家を守護する一族に、私を、入れていただきたい……です」

「大我家に嫁ぐというのか。つまり――」

「はい」

 遠回しな愛の告白には、二つの心情が込められていた。

 ひとつは、単なる照れ。

 そしてもうひとつは、覚悟。

 愛を成就させるためにも、必ずや、高みへのぼる。これ以上ない決意表明。言ってしまえば、かっこつけでもある。十八年の人生の中で、今、最も、良い格好を見せようとしているのだ。

 渾身の告白。はたして、その返事は……

「聞けない相談だな」

 あっけない撃沈だった。

「……そう、ですよね。過ぎたことを申しました。お許しください」

 もともと色良き返事を期待していたわけではなかったのだろう。朝佳は涼やかな顔で受け入れていた。

 が、総一郎の言葉には続きがあった。

「まず、朝佳が筆頭にのぼり詰めることはない。たとえ母上を越えようとも、さらにそのうえを私がいく。だから『筆頭になったら』という条件には無理がある。別の条件にしよう」

「え」

 朝佳は慌てて思考した。彼が言っていることの意味を整理しようと。

 けれど総一郎は矢継ぎ早に、

「今ここで、私を捕まえることができたなら」

 と、自信に満ちた表情で言った。

 捕まることなどないと信じ切っているのか。そもそも、本気で言っているのか。もし捕まえることができれば、間違いなく嫁に迎えてくれるのか。

 朝佳は戸惑いながらも、ひとまず手を伸ばす。彼の手を取ろうと――

 すると、総一郎はさっと腕を引いた。

「ふっ」

 彼が楽しそうに笑んでいる。からかっているのだろうか。

「…………」

 まだ戸惑いはあるが、朝佳はもう一歩前に出て、さっきよりも素早く手を伸ばしてみた。

 すると総一郎は、ぴょんと跳び退いて逃げた。

 ちょっと手を伸ばすくらいでは届かないくらいの距離が開いてしまう。どうやら本気で追いかけっこをするつもりらしい。

「なら」

 こっちもその気でいかせてもらおう。朝佳は駆け出す。

 対する総一郎は――その場から動かずして、走りくる朝佳に向かって両手を広げてみせた。

「え」

 朝佳は急に止まることができず、抱きとめられる格好となる。

 いちおう、捕まえる役は自分のはず。朝佳は、ゆっくりと両腕を彼の背中に回しながら、おずおずと訊ねる。

「これで……いいのですか……?」

「ああ」

 しかと抱きとめたまま、総一郎はこう口にする。

「朝佳は、ずっと前から、私を捕まえていた」

 同じ志を持ち、不利を不利とも認めぬ頑とした強さを持ち、努力を惜しまず、それでいて、親しき者に向ける素直すぎるほどの表情の数々――

 その信念。

 その愛らしさ。

 出会ってしばらくした頃には、もう、惚れていたのである。

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