第四話 守りたい

 燃え盛る村のただ中、少女が立ちすくむ。

 暮らしていた家が、育てていた田畑が、歩き慣れた道々が、すべてが赤々と包まれ、黒々と煙を立て、ごうごうと音を撒き散らし、苦しいほどの熱を発している。

 そんな様子を絶望の眼差しで見つめているしかできず、ただ呆然と立ち尽くしているのは、当時、まだ六歳の朝佳である。

 大我家が治める、ここ羽加国わかのくには、険しい山岳によって隣国と隔てられており、交通の要所ともならない。それが幸いし、戦乱の世にありながらも比較的に平穏な日々が流れていた。

 とはいえ、土地そのものの価値は低くとも、そこに発展した都市があるならば、富もある。それを狙う輩がたびたび現れるのだ。

 そして、この日あらわれた招かれざる輩どもが、目の前の事態を引き起こした。

 お国が戦に敗れ、お家も潰れ、もはや祖国を持たぬ野盗に成り下がった落ち武者の一団による襲撃。

 数も厄介だが、ひとりひとり、中々に力がある。

 後手に回ってしまった羽加国は、この日、国境近くの村を掠奪され、虐殺され、残ったものはみな燃やされるという凄惨な憂き目に遭っていた。

「逃げろ!」

 突如として聞こえてきた声に従って、幼き朝佳は走った。闇雲に、あてもなく、ただただ火のないところを探してひた走る。

「逃すな! 捕まえろ!」

 さっき『逃げろ』と言ってくれた声とは違う、野蛮な声が恐怖を煽り立ててくる。途端、朝佳は体勢を崩して足を挫いてしまった。

 動けない少女。

 その眼前から――人の手の形をした、されど岩のように人ならざる大きさをした――火炎の魔手が伸び出でてくる。

「…………」

 少女は叫ぶこともできず、迫る死を察する思考すら持たず、呼吸も忘れ、ただ目を丸くした。

 次の瞬間、視界は影となる。

 目を閉じたのではない。文字通り、目の前が影に覆われたのだ。逞しい背中が、すぐ目の前に現れたがゆえに。

 朝佳はその背中を見上げる。

 黒い狩衣に身を包んだ武士であった。羽加国の、武を担う役人。武とは、時に剣であり、楯ともなる。

 この武士は今、朝佳の前で、楯の役を果たさんとしていた。

 人には、妖力ようりょくという目に見えない力がその身に宿る場合がある。敵が操る火炎の魔手も、その妖しき力によるもの。

 楯を成す武士もまた、その力を使って朝佳を守っている。妖力を体外へ捻り出し、見えざる力場――いわゆる念動力を発揮して、炎を押し返そうとしていた。

 火炎の魔手と念動力の楯がせめぎ合う。

 武士は、何とか踏みとどまっている、という様相であった。これ以上の負荷には耐えられそうにない。

 けれども敵は容赦なく襲いくる。朝佳たちの背後から新手が現れたのだ。その者も、同じく火炎の魔手を飛ばしてくる。

 武士は片腕をそちらにかざし、挟み込まんとしてくる魔手にあらがった。

「貴様らなぞに、これ以上、民を傷つけさせはしない!」

 絶対に、少女のもとまでは魔の手を届かせない。その固い意志を叫ぶ武士。

 これを聞いて、

「はっ。何か言ってやがる」

 敵は汚い笑い声を上げた。瞬間、火炎の勢いが増す。

 ふた方向から迫る脅威に、ひとりでは抑えきれず、武士が発する妖力の楯に綻びが生じ始めた。

「きゃ……」

 結果、火の粉が朝佳の顔に舞い込んだ。それが右目に直撃してしまったのか、痛みに悲鳴を上げながらうずくまる。

 一方で、いよいよ武士は楯を維持できなくなる。腕を下げ、膝を折り、少女を庇うように抱きしめた。

 灼熱の色がふたりを包み込む。が、まだ……辛うじて耐えている。武士の体が妖力の膜で覆われているのだ。とはいえ、

「すまない……」

 武士の声は弱りきっていた。長くは持たない。妖力の膜は薄く、ほとんど肉体そのもので守っているような格好だ。

 ほどなく、武士の耐久にも限界が訪れる――

 と、同時に。敵の攻撃が消えた。火炎の魔手の使い手が、胸に矢を受け倒れ伏す。

 武士が耐えている間に、また別の武士が加勢に現れたのだ。

「無事か!?」

 と、弓矢の射手が駆け寄ってくる。問われ、楯の武士はこう返した。

「この子を……頼む」

 それだけ言って、横倒れになる。

 もはや満身創痍。身体中が火傷に侵され、立ち上がるどころか、身じろぎする余力すら残っていない。

 朝佳は右目の激痛を忘れるほど、切実に願った。

「武士さま……死なないで……!」

それがしは平気だ」

 と、風にかき消されてしまいそうな、か細い声が返ってくる。

 朝佳は弓矢の射手に抱え上げられた。

「この子を避難させたらすぐ戻る」

 そう告げる射手に、

「ぁぁ」

 武士は返事かどうかも判然としない声を漏らした。

「武士さまも一緒に!」

 と、肩に担がれながら朝佳が主張するけれど、射手は応じてくれなかった。

「ふたりを抱えてはいけない」

「でも、置いてったら死んじゃうよ!」

 子供ながらにそう思った。

 だってそうだろう。敵が雪崩込み、こんなにも燃え立っている激しい戦場――そのただ中に、もはや動けもしない兵士をひとり置いていけば、どうなるかくらい子供でも想像がつく。

 武士は最期の力を振り絞って、こう漏らした。

「守り切れず、すまない」

 直後には射手が走り始めてしまい、命の恩人は、みるみると遠ざかってゆく。


      §


 あれから十年以上も経っているが、あの武士の口惜しげな顔を、朝佳は決して忘れない。

 守り切れなかっただなんて……

「そんなことない」

 強く、そう言ってあげたい。証明してみせたい。

 右目に負った火傷――この程度、守れなかったうちに入らない。

 救ってくれたこの命で、多くを守りたい。

 あの日から、それが人生の指針となっていた。

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