第三話 守られるより

 決闘騒ぎを起こした朝佳と夜代は、お咎めなしの温情をかけられた。

 その直後に、

 ――罰を与えたい

 と、切り出す総一郎。

 首を下げたまま、朝佳は恐る恐る問う。

「何でございましょう……」

「わだかまりは早々に解消するが吉。互いに抱擁を交わし、仲直りするがよい」

 おどけた命令口調だった。

 自他の好意に素直な朝佳、および、不器用そうな夜代。このふたりのやり取りを面白がっているのだ。少年ながらに、総一郎は遊び心を隠しもしない。

 この命令を受け、

「お安い御用です」

 朝佳は即答。すぐ隣の夜代をぎゅぅっと抱き締める。あまりにも素早い行動だったので避ける間もない。

「ちょっとッ」

 夜代は抱きしめ返すようなことはせず、体を仰け反らせていた。この、片方だけが固く腕を結んでいる抱擁を見て、

「私は『互いに』と言った」

 総一郎は追い打ちをかける。

 こうなっては、やむを得ない。

「くっ……ぅ……」

 顔を真っ赤にしながら、夜代も腕を回した。

 これで両結び。

 無事にふたりの仲はとりもたれ、にっこり、総一郎は年相応の無邪気な笑みを浮かべる。


      §


 あの、決闘騒ぎを裁いた三年前のやり取りが、昨日のことのように思い返せる。

「変わらないな」

 総一郎は心から口にしていた。呆れたような、されど好ましくも感じているような、淡い微笑を浮かべながら。

 今や、朝佳も夜代も二十歳はたち手前。いい大人である。が、しょうもないことで喧嘩になるのは相変わらず。仕合で引き分けたあと、どっちが褒められたかで言い合いをし、取っ組み合いになっていたところを見られてしまった。

 そうなると流石に大人しくもなりそうなものであるが、

「朝佳のせいで総一郎様に恥ずかしいところ見られたじゃん!」

「えぇ? 私のせい? 夜代のせいでしょ?」

 まだ、ぐだぐだと言っている。

「総一郎様」

 と、夜代は濡れ縁の方へ声をかけた。

「ん?」

「さっきのあれは、その……朝佳ががんを付けてきたので」

 本当に変わり映えもなく、隣の好敵手に非をなすりつけようとする。これが赤の他人同士でやっていることであれば実に愚かしく醜いことだ。

 けれど、朝佳と夜代の関係はそうではない。ふたりの間だけで、こういうことを飽きもせずにやっている。そこには彼女たちだからこその、信頼関係というか、愛情表現が見え隠れしており、見ていて憎めない。

 総一郎は常々、そんな目でふたりの喧嘩を見ており、心なしか癒しを感じていた。

 とはいえ、

 ――もっとやれ

 とは言えない。

 ゆくゆくは母の座を継ぎ、国主となり、彼女らの長になる立場なのだ。多少は諌めておくべきだろう。

「そう、朝佳を悪者にするな」

 言ってやると、夜代は分かりやす過ぎるほどの落胆の色を見せる。

「朝佳に肩入れなさるのですね……」

 総一郎が持つふたりへの印象。それはたして、どちらの方が、より良いものか。

 前々から夜代は気にしており、たった今、それが好敵手の方だと思い込んだ。よって、ひどく落ち込む。

 これは、

 ――自分の方であって欲しかった

 という気持ちの表れであり、夜代から総一郎に対する想いの表れでも……

「私は、夜代にだって肩入れしている」

 と、総一郎が返してくれた途端、彼女の顔色はあっという間に急変した。赤面しながら、どもり気味に問う。

「そ……それはどういう……」

「二刀小太刀の戦法を始めて、そろそろ一年か」

「あ、はい。覚えていてくださったのですね」

 先ほどの仕合で、朝佳が小太刀一本を得物にしているのに対し、夜代は二刀流で相手をしていた。昔からそうだったわけではない。少なくとも三年前は一刀でやり合っていた。

「もともと小太刀一刀流を得意とするお前たちだが、拮抗したまま優劣が決する兆しもない。そこで現状を打破し、朝佳より一歩先んじるため、何か変化を得るために、夜代は二刀流に踏み切った。だろう?」

 夜代は嬉しそうな顔で、もじもじと腰を揺らしながら返答する。

「そこまで、ご理解くださっていたのですね」

「戦法を変えれば、必然、慣れず、思うようにいかない。一年ほど前から、夜代は朝佳に負け越していたな。けれど最近また五分五分に持ち直してきた。たった一年で。相当、練習したのだろう」

「はぃ……っ」

 彼の理解が完璧に自分の求める形だった。つまり、よくよく自分を見てくれていた。存在を強く意識してくれていた。感激のあまり、夜代の返事は奇妙な裏返りとなっていた。

「その努力、尊敬に値する」

 とまで言われて、夜代は顔を真っ赤に立ち尽くす。

「今後も期待している。夜代はとても頼りになると母上にも伝えてある。よく尽くしてほしい」

 国の長たる大名であり母親でもある束菜子つなこへ、なんと、口添えまでしておくと言ってくれた。これで褒められていないなんてことはあり得ない。どころか、寵愛と言ってもいい。

 夜代は首を横にして、得意げな笑みを朝佳に送った。

「何よぉ」

 と、ぶすっとした顔を返してくる朝佳に、夜代はこれだけを口にする。

「ふふん」

「むぅ……」

 朝佳は唇を尖らせ、悔しんでいるのか、拗ねているのか、分かりかねる顔をして返す。

「総一郎様も、夜代も、私が守るから、そんなに頑張らなくたっていいのに」

「聞き捨てならないな」

 と、真っ先に反応したのは総一郎であった。

「守るのは私だ。守られるなど、ごめん被る」

 どうやら、そこのところに強いこだわりがあるらしい。

「男として――いや、大いなる我が家の長として」

 総一郎は神妙な顔をして、そう言った。

 朝佳にしても、

「そうはいきません。私たちは束菜子様の家臣で、総一郎様はただおひとりのご子息なのですから。守られる側に立っていただかないと」

「嫌だ」

「だめです」と、朝佳はきりりとして言い返す。

「相変わらず、頑固だな」

 そう言う総一郎もなかなかのもので、目つきは尖っている。何をしようというのか、濡れ縁を下りて朝佳のもとまで歩み寄る。

 朝佳にしても、平伏するどころか立ち上がって、どんと屹立する。

 無言のまま、互いが互いの肩を掴んで、気づけば押し合いっこが始まっていた。

 どっちの方が力強いか。どっちの方が守られる側なのか。白黒つけようというのである。

 しかし立場が違う者同士のせいか、どこか遠慮の混じった、相撲未満の力比べ。まるで子供同士のたわむれ。

「またこのくだり……」

 いつも似たような喧嘩を引き起こしている夜代が、自分のことは棚に上げて呆れたように呟いた。

 守る、守られるはどっちだ、と。朝佳と総一郎が言い合う。ここ最近で何度となく見てきたやり取りだ。

 出会った頃から、このふたりは考え方が似ていた。

 愛すべき民を、愛する人々を――守りたい。守られるのではなく。

 同じ思考を持つ者たちが向き合う結果、

 ――お互いに

 とはならず、

 ――私が私が

 と、譲り合いの精神もなく、やぁやぁ言い合うことになる。

 まるで噛み合ってない。反発し合っている。自己主張が対立し合っているからこそ、相容れないのだろう。

 そう思って見ていたのだが、ふと、夜代は違和感を覚えた。

(なんだ、その顔は)

 今までと、どこか違う。押し合いを演じながら、ふたりとも涼やかな微笑を浮かべている。表面的な言い合いはただのじゃれ合いに過ぎない。深いところでは、

(同じ考え方だからこそ……)

 ――共感し、惹きつけ合っている

 そんな考えが浮かんできて、つい、夜代は嫌味っぽくなる。

「……『守る』とは言っても、実際問題、そんな機会はないのに」

 総一郎と朝佳は押し合いをやめ、夜代の方へ振り返った。

「確かに。もう何年も、この国には戦がないですね」

 朝佳が言って、総一郎も頷く。

「母上がうまくやっている証だ。おかげで、私もまだ戦場の経験がない」

「私も……戦った、という意味では……ない、ですね」

 そのように朝佳が応える。

 戦士として戦ったことはない。けれど、戦場に立ったこと自体はある――そんな言い回しだった。

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