第二話 お騒がせ者
この頃――青年、というにはまだ早い、十二の少年。
総一郎は林の中を駆け抜けていた。目指す先からは、刃と刃が打ち鳴らす激しい剣戟の音が響いてくる。
「やめよ!」
総一郎が叫んでみるも、音は止まらない。
女と女が刀を振るっているようだが、まるで止まる気配がなかった。
しかし、制止の声が聞こえていない、ということはないはずだ。まだ距離があるとはいえ、大声を出せば十分に耳へ届くはずの位置。これで止まらないということは、聞こえていないというより、聞き入れていないのだろう。
さらに、あと数十歩というところまで近づき、
「止めよと言っている!」
再び叫んだ。
けれど反応がない。こちらを見向きもしない。
それぞれの手に一刀ずつ、小太刀を持つ女ふたりが、脇目も振らず剣撃の応酬を繰り返している。止まらぬのも当然かもしれない。よそ見などすれば、その瞬間に斬られかねない状況なのだから。
これは仕合などではない。決闘だ――
放っておくわけにはいかない。止めなければ死人が出る。
「っ……」
総一郎は苦い表情を浮かべた。
(やるしかない、か)
躊躇いつつも覚悟を決める。
女たちの剣捌きから見て、腕前は相当に高い。それに、こちらには武具が一切ない。未熟な自分では、ただでは済まないかもしれない。
けれど、
(割って入る……!)
逡巡の間は一瞬で、直後には体が前に踏み出していた。すると、
「え?」「おい!」
同時に、女たちが戸惑いの声を上げた。
振り下ろそうとしていた小太刀――それを握る手元が、飛び出してきた少年によって掴まれていたのだ。
斬り合う剣士の間に体を入れ、そのうえ、左右の手それぞれで二者の剣筋を掴んでみせるとは。なかなか大した敏捷さと器用さである。
けれど、力が十分ではなかった。
女たちの膂力を受け止めきれず、刃は総一郎の顔まで下りてしまっていた。結果、両の眦あたりに刀傷を負うはめに。
だらりと血を垂れ流す少年に向かって、
「誰だ! 邪魔しやがって!」
と、夜のように暗い髪をした女が言った。一方で、
「そ、総一郎様……_!?_」
朝陽のように明るい肌をした女が狼狽えた声を上げる。これを聞いた途端、
「え、ぇぇッ_!?_」
夜の女も態度が一変、慌てふためくこととなり――
朝佳と夜代。
ふたりにとって、これが、総一郎と接点を持つ最初の出来事となった。
§
ここ
三十半ばという歳にしては、けわいもなしに乙女のごとく若々しい。されど、鋭いとも柔らかいとも言えぬ凛とした表情ゆえか、気品を損なわぬ威厳がある。
その者が今、濡れ縁にて内庭を見下ろしていた。
束菜子の周囲、縁側には数名の近侍がおり、その内ひとりは、少年・大我総一郎である。先刻、左右の眦に傷を負ったために顔の大半を包帯で覆っており、何とも痛々しい姿だ。
そんな彼らが見据える先で――総一郎に怪我を負わせたる張本人の――朝佳と夜代が跪いている。当時、十五歳。
張りつめた空気の中、口火を切ったのは近侍の中で最も年嵩と思われる大男だ。
「我が国では如何なる事由であろうとも私的な決闘ごとを禁じている! それを破っただけでも大罪!」
と、怒気を剥き出しにした重々しい声が続く。
「にもかかわらず、あろうことか、束菜子様の御嫡子、総一郎様のお顔に傷をつけるとは! 何たる不届!」
大男が「厳罰を」と主張し出すその前に、総一郎は宥めるように口出しする。
「傷はさほど深くない」
「しかしッ」
「武士ならば顔に傷を負うくらい珍しいことではないさ」
と、息子の言葉を引き継ぐように、近侍の中心に立つ束菜子みずからが口を開いた。
「総一郎に力があれば負わずに済んだ傷でもある」
君主たる束菜子までがそう言うのだから、大男は女たちへの叱責をやめ、一歩引き下がる。
代わって総一郎が、
「それで、あんなことをしていた
問いかけると、まずは夜代が答えた。
「朝佳から言い出したんです。『決闘だ』って」
責任をなすりつけるような物言いに、隣にいる朝佳が抗議する。
「ちょっと。話、端折り過ぎないでよ」
「じゃあどこから話すの」
「いいから夜代は少し黙ってて。総一郎様、私が経緯をご説明します」
邪魔しないでよ? とでも言いたげな視線を隣に送ってから、朝佳は続けた。
「まずですね、この夜代が、筆頭武士を目指すと言い出しまして。なので私は言いました。『私が守ってあげるから、夜代はそこまで強くなくたっていいよ』と。そしたら突然、怒り始めてしまって」
これもまた隣の悪さを主張するような言い草なので、案の定とでもいうべきか、弁明の言が飛ぶ。
「朝佳が私を侮ったのです。強くならなくてもいいなどと……これは侮辱です。屈辱的です。だから私の怒りはもっともです」
「だからっ、そんなつもりで言ったんじゃないって言ったでしょ?」
今まさに喧嘩の続きでも始めようかというふたりを見て、
(まさか)
と、総一郎は思う。
「その他愛もない口論がきっかけ……とは言うまいな?」
すると、気まずそうな顔で朝佳は答える。
「まあ、その……ちょっと喧嘩になって、じゃあどっちが強いのか、はっきりさせようとなりまして」
「それゆえ、決闘だと?」
「そうは言ってないんですけど、ただ……
「お前たち、阿呆か」
まだ十二の総一郎が、元服も済ました三つ上の女たちを前に呆れ返ってしまう。
「まあいい。分かった。つまりこういうことだな。お前たちは互いに互いの力を認められたいと思っている。うっかり決闘騒ぎを起こしてしまうほどに」
「ええ、まあ、そうなりますかね……」
「つまり、お互いを好いている」
「え、いや……どうしてそう……」
どぎまぎする朝佳。一方、言われていることを直ぐには飲み込めていないのか、夜代は惚けていた。
そんな彼女らの心中を慮るように、総一郎は続ける。
「私も母上に認められたい。誰よりも母上に――それは、母上を尊敬しているがゆえであり、愛しているがゆえでもある。お前たちも同じではないか?」
言われてみて、腑に落ちるところがあったのだろう。夜代の方をちらりと見て、
「えへ」
朝佳は照れ笑いを浮かべた。対する夜代は全力の拒否感を示す。
「やめろッ、そんな顔するなッ」
続けて、濡れ縁の方へ顔を上げ、
「総一郎様が束菜子様に抱くお心と、うちが朝佳に抱くものとでは、決して同じとは言えませぬ」
「同じとまでは言わずとも、似たものではあろう」
朝佳は胸に手を当て、
「そうだったのね」
などと、自分の中にある気持ちに初めて気づいたように――そう、まるで恋心に芽生えた乙女のような顔をしていた。
「ばか、否定しろよッ」
言いながら、つい、夜代は朝佳の後頭部をバチンッとはたいていた。
このふたり、国主とその重臣たちの前でありながら醜態を晒すことにとめどがない。
「そう
と、総一郎は客観的に指摘してやる。
「そ、そんなこと……」
これには、否定一直線だった夜代も狼狽えた。
総一郎は束菜子たちに向かって、
「要するに、この者らに悪意はありません。少々、愛情が拗れただけのようです。投獄の必要もないでしょう」
提案するよう、語り掛けた。
罪の裁定において、国主束菜子は悪意法を基礎と考えている。
どれだけの人に危害を加える気であったか。どれほどの規模の損害を加える気であったか。その悪質さを推しはかり、与える罰の判断材料とするのである。
そういった点で見ると、朝佳と夜代は、決闘相手に対してですら悪意を持っていたわけではなく、罰を受けるに値しない。
そのような息子の言に対し、決定権を持つ束菜子は、
「まあ、唯一被害を被ったお前がそう言うのなら、それでよしとしよう。この一件、咎めは不要」
と、合意。
裁定を受け、朝佳は深く頭を下げた。
「ご厚意、痛み入ります」
「同じく」と、夜代も続く。
これにて糾弾の時は終い――かと思われたが、
「ただし、一つだけ罰を与えたい」
そう、総一郎が言い出した。
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