図太さへの憧れ

三鹿ショート

図太さへの憧れ

 私は、昔から自分の性格を嫌っていた。

 相手を傷つけたり、怒りを抱かせることがないようにと何度も考え直した結果に吐いた言葉だとしても、相手の反応がどのようなものであろうとも発言の仕方に問題があったのではないかと悩むことは、珍しいことではない。

 他者の一歩は、私にとって百歩であるといっても、過言ではなかった。

 私の気が弱いということは、私と数秒ほど触れ合っただけで分かることであるために、知り合ったほとんどの人間は、他者に文句を言うことができない私のことを道具のように使っていた。

 当然ながら不満を抱くものの、それが口から飛び出すことはない。

 私はこのまま、他者に搾取される人生を送るのだろう。

 諦観し、落ち込んだ日々を送っていたのだが、唯一明るい話題といえば、私は彼女に対して憧れを抱いていたということだった。

 彼女は、他者の言動に感情を左右されるような人間ではなかったのである。

 上司からの理不尽な叱責に対しては何処吹く風であり、人気者である同僚から食事に誘われたことを快く思っていない人間たちから嫌がらせを受けたとしても、表情を変えることなく同じことを相手にやり返していた。

 そのような行為を繰り返していたためか、会社での彼女は孤立していたが、本人はやはり気にしていない様子だった。

 どれほど努力したところで、彼女のような人間と化すことはできないだろうが、それでも私は、彼女に憧れていたのである。

 彼女の言動を目にしたとしても何の参考にもならないが、私は常に彼女を目で追うになっていた。


***


 何時しか、私は彼女のことを尾行するようになっていた。

 たとえ露見したとしても、彼女は首を傾げながら、

「私を尾行していたところで、面白いことが起きるというわけではありませんが」

 そのような言葉を発するだろうが、それでも露見することがないように、細心の注意を払っていた。

 彼女を尾行する中で驚いたことといえば、彼女に恋人が存在しているということである。

 それほど感情を表現することがない彼女と交際したところで何が面白いのだろうかと思っていたのだが、彼女の恋人は相手の反応を見ることなく、一人で延々と口を動かし続けるような人間だったために、ある意味で調和がとれているのかもしれない。

 その様子を目にしても動揺することがないのは、彼女に対して恋愛感情を抱いていないということに尽きる。

 ゆえに、私は取り乱すことなく、彼女を観察し続けることができるのである。


***


 飲食店で食事をしていた彼女が、突然、恋人に対して水をぶっかけた。

 見たこともない感情的な行動に驚いていると、恋人は何度も謝罪の言葉を発していた。

 話の内容から察するに、恋人が彼女のことを裏切ったということらしい。

 彼女がどれほど図太い人間だとしても、流石に不貞行為は看過することができないようだった。

 恋人は立ち上がり、頭を下げると、彼女を置いて店から出て行った。

 残された彼女は涙を流しながら、注文した酒を飲み続けていた。

 恋人と破局したことで自棄酒を体内に流し続けるというその姿は、何とも人間らしかった。

 意外だと思っていた一方で、私は失望感のようなものを覚えていた。

 彼女ならば、どのような事態に直面したとしても冷静に対処していくものだと思っていたからだ。

 愛していた人間に裏切られたことで感情を露わにするまでは、彼女に対して確かに憧れを抱いていたはずなのだが、今では彼女に対する興味というものが、全くといって良いほどに無くなっていた。

 勝手に憧れ、勝手に失望するなど、身勝手以外の何物でもないのだが、それが人間というものなのだろう。

 私は代金を支払うと、店を後にした。


***


 飲食店での一件以来、彼女の代わりとなるような人間を探していたのだが、見つかることはなかった。

 贅沢を言うことなく、彼女に憧れ続ければ良い話なのだが、以前のように彼女を見ることができなくなってしまっていたために、そうしなければならなかったのだ。

 だが、どれだけ街を歩いたとしても、誰もが笑い、怒り、悲しんでいた。

 簡単に感情を表現するような人間に、私が憧れることはない。

 そのようなことを考えながら歩を進めていたが、不意に、気が付いた。

 周囲に意識を向ければ、そのような存在は幾らでも目に入るのである。

 それは、機械だった。

 人間のように感情を表現することなく、同時に、どれだけ文句を言われたとしても己の仕事を全うするのである。

 途端に、全ての機械が愛おしく思えた。

 機械は人間のように疲れを知ることなく動き続けることができることを思えば、人間よりも優れていると言うことができるのではないか。

 人間が生み出しながらも、人間より優れているという存在に、何故これまで憧れを抱いていなかったのだろうか。

 周囲の目が無いことを確認してから、私は近くの自動販売機に抱きついた。

 相手は何の反応も示すことなく、ただ客を待つばかりだった。

 やはり、素晴らしい存在である。

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