Unidentified Mysterious…… ③


 二千円が五十万円に化けた。

「錬金術じゃん」

「オレといればな」

 IR街には大麻の臭いがする方のピザチェーン店と、しない方のピザチェーン店がある。「お前どうせ大麻はやんねえだろ」とは薊原の見事な推理で、カジノを出た二人はしない方のピザチェーン店に立ち寄った。時刻は十二時。その割に客入りがそこまででもないのは、本当の稼ぎ時が夜だからか、それともする方に思い切り負けているのか。おかげで店内の治安は割合平和な方で、マルチ商法とか霊感商法の現行犯が数人見られるくらいで済んでいる。

 冷房のギンギンに効いた店内だから、窓際の席に着いてもそれほど日差しを暑くは感じない。

『季節の素材のクワドラプルミックス』と『肉汁溢れる夏の贅沢ミートミックス』、『家族や友達とシェアして食べよう♪ デラックス・フレンチフライ』をテーブルの上に広げて、二人は向かい合って座っている。

「言っとくけどお前、これに味占めてカジノで生計立てようなんて思うなよ。普通は胴元が勝つように出来てんだからな」

 店員に貰ったフォークでちまちまと、自分の食べる分からこっちの食べる分にトマトとピーマンを移し替えながら薊原は言う。

「マネロンだの何だのやりやすいようにあのリストバンドの発行IDで当たり目の出る出ないを操作してて、お前みたいなのが一人で行ったらすぐ素寒貧――」

 その途中で、顔を上げる。

 目が合った。薊原の作業をぼうっと見守っていた式谷はそのことに遅れて気付く。「ん?」と言って顔を上げる。

「――ま、お前はやんねーか」

「なんかそう聞くと罪悪感湧いてきたんだけど。賄賂じゃんこれ」

「元はお前んちで払った税金だろ。戻ってきただけだよ」

 つか食えよ、と薊原は言う。ニラは大丈夫なの、と訊けば頷くから、式谷はミートミックスの方から取って食べ始める。テーブルの端から自分の分の紙ナプキンを取るついでに、薊原の方にも三枚くらい取ってやる。

「そういえば、さっきの何だったの。『カラフル』とかって」

「このへんで流行ってるケミカルドラッグ。素人が作ってるから性質悪いんだよ」

「素人が作れんの?」

「作れてねーんだって。元は東京の方で流行り出した脱法ドラッグらしいんだけど、法に引っ掛かんねーように……なんだっけ。ああいうの」

「何?」

「あの、あれだよ。理科で使うあの、CとかOとか、ああいうやつ」

「原子記……化学式?」

「そうそれ」

 ぴ、とソースで先っぽがほんのり赤くなったフォークを薊原は向けて、

「あれを弄ってっつー話らしいんだよな。あの手のはそれで規制してるんだと。で、その化学式を変えんのに素人がグチャグチャやってんだけど、そのせいで安全性も何もあったもんじゃねーの。死んでるって話、あれ脅しじゃなくてマジだぜ。適当に作ってるから、ハズレを引くと副作用で一発で死ぬ。まだシンナーとか覚醒剤の方がマシ……って話でもねーけど」

 へー、と式谷はピザを口に運びながら頷く。こっちの方が、カジノよりよっぽど異世界みたいな話だった。理科の教科書を見て「こういうのって何の役に立つんだろう」と抱えていた疑問がここで氷解する。犯罪や、荒稼ぎや、人を傷付ける行為に役立つらしい。

「それで先輩として後輩を優しく、時に厳しく心配してるって話?」

「黙れ」

 はい、僭越ながら黙らせていただきます。そう言って式谷がした敬礼を、薊原は見ていない。よっしゃ、とトマトとピーマンの仕分けの完璧ぶりに満足そうに微笑んで、ようやく一切れ目を手に取って食べ始める。

「最近どーなん」

 そして、ものすごく雑な話題振りをしてきた。

「普通。何事もなし」

「じわじわ真綿で首絞められて水槽の温度上げられてるみたいな感じか」

「普通の基準低すぎでしょ。……あ、明日から夏休み」

 正確には、と二切れ目を取りながら、

「一昨日が終業式で夏休みは昨日から。明日から合宿」

 へえ、と本気で驚いたように薊原は、

「もう一年経つのか。早えー」

「ね。もうあと半年くらいで卒業だよ」

「お前卒業したらどうすんの。進学?」

「さあ。何も考えてない」

 それはオレもそう、と薊原はコーラのストローを噛んだ。ほとんど同じタイミングで、式谷もアセロラドリンクのストローを咥える。

「いいじゃん。オレがついてってやるからカジノで稼いでその金で高校行けよ。んでまた花野と学級委員長でもやれば」

「花野さん、進学やめるかもらしいよ」

「なんで」

 それがさ、と式谷はつい先日、絽奈と父の両方向から「知ってる?」と伝えられた話をまとめて口にする。花野さんのお母さんが今勤めてるほらあの水族館、あそこの館長が不審者にボコられてるのが見つかって、ここはもう安全じゃないって気付いたんだって。それで早く自立したいなみたいな思いがあって就職したくなったんだけど、このへんで就職しようとするとやっぱIRのあたりになるしそしたらかえって危ないし親も先生も難色示してるし微妙みたいな感じ。

 はあん、とポテトをつまんだ薊原は、しばし頭の中を整理するように天井のあたりに視線を漂わせて、

「――水族館って、大浜の爺さんのとこか」

「知らん」

「あの爺さん、あれだろ。市町村合併のときに反対派のまとめ役やってて、結局与党系の奴らを裏金で持っていかれてそのまま引退したの。狙われるってことはまだ地元で影響力あんのか」

 そんな生まれるよりも前のことを言われても、と式谷は思いつつ、

「え、政治系?」

「だろ。市長選も近いし」

「でも引退したんでしょ?」

「そこまではオレも知らねえよ。対抗馬が出てくるらしいし、そっちの関係じゃねえの」

 ほらあれ、と薊原はトイレ近くの壁を顎で指す。

 見ると、そこには二枚のポスターがあった。一枚は『あざみばらいちろう』。もう一枚は『木島太郎』。その手前では保険の外交員みたいな恰好をした中年の女が、いかにも幸も交友関係も薄そうな女にセールストークをかましている。最近の二々ヶ浜って水道水が不味くなってきちゃってるの。気付いてる? これね、昔はあの海から水を引いてきてたんだけど、カジノが出来てからね、変な利権っていうの? そういうのの絡みで別のところから引いてくるようになったんだって。落ち込みがちなのもね、私もこの間までそうだったんだけど水を変えたらすぐに治ったから。どう、最近良くないことばっかり続いてるんじゃない――テーブルの上にはコーヒーとシューアイスが二つずつ。

「『豊か』とか連立組んでる与党の中でも割れ始めてるんだとさ。野党系がガタガタ――つか、『平和』とか『総中流』みてーな木っ端のおかしな奴らはともかく、『復国』とか『中立』とかあのへんのそこそこ固まってんのは全部看板が違うだけで与党の会派みてーなもんだしな。余裕こいて内輪揉めしてんだろ」

 ふーん、と式谷は相槌を打つ。トマトとピーマンがふんだんに載せられた非常に健康に良さそうな七切れ目のピザを口に運びながら、

「割れるって、何が軸で?」

「派閥と利権。政策で割れるほど真面目な主義主張なんかねえよ、こいつら。親が持ってる不動産で飯食ってんのと大して変わんねえし。お前、今の供託金の額いくらか知ってるか?」

「千五百万だっけ。なんか変わったよね」

「そんな金払える奴が野良で何百人も集まれると思うか? 今あるそこそこ票取れて供託金が戻ってくんのが確定してる政党が有利すぎんだよ。結局大層らしいビジョンなんざ語っても無駄で、どこの団体に入ってどこの団体を引っ張ってこれるかの勝負を延々同じ面子でやってんだ」

 ただ、とつまらなそうにコーラを飲みながら薊原は続ける。

「このへんだと『方舟』とか、地元で金と人を振れる団体。そういうのがどっちのバックに付くかで色は分かれんじゃねえの。票を集める方は別に政策に興味ねえけど、票を作る方は見返りが欲しくてやるわけだしな。知ってっかお前。いま全国にあるって言われてるご当地カルトの数」

「知らん」

「三百。普通の詐欺グループとか汚職団体は入れないでそれだぜ。馬鹿みてーだろ」

 くっだらね、と吐き捨てる。頬杖を突いて、ぶくぶくと子どものようにストローに息を吹き込んで、炭酸に泡を立てる。それからふと、テーブルの上をまじまじ眺めて、

「――お前、そんな食うっけ」

「成長期めっちゃ来てる。身長三メートルで野球選手になろうかな」

「もう一枚頼むか」

「サラダ欲しい。脂で口の中ヤバくなってきた」

「サラダぁ?」

 心底理解できない、という顔。

 それから『肉汁溢れる夏の贅沢ミートミックス』を二枚重ねて薊原は口の中に押し込んで、もっきゅもっきゅと咀嚼しながら、

「ふぁんはふなほといってん、じゃねえぞ。次はチーズミックスだ」

「あれ単品だと全然具ないよ」

「トッピングすりゃいいだろ。アイスも食うぞ」

 目の前のピザを平らげるよりも先に頼んでおくつもりらしく、薊原は早速椅子を引く。式谷は口元を押さえて、今口に入っている分をもぐもぐもぐもぐ咀嚼する。薊原がカウンターの前でメニュー表を眺めている。式谷は立ち上がる。通りがかりに、ポスター前の席のあたりで立ち止まる。中年の女の話はいよいよクライマックス。そんな私の人生を変えてくれたこの素晴らしい浄水器が今日だけ特別価格で九十九万八千円!

 ごくんと飲み込んだら、一言だけ。

「ここ、淡水化設備とかないんで、水は海からじゃなくてそのへんの川から引いてきてますよ。昔から」

 え、そうなの、と中年の女が顔を上げる。

 お前サラダどうすんの、と薊原が遠くから訊ねた。


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