Unidentified Mysterious…… ②


 そしてパンクした自転車の前で、式谷は途方に暮れている。

 なぜと言って、よりにもよって街の――IR街の方まで遥々一時間近く自転車を漕いできてこの有様だったからだ。

 日曜日だった。夏休みの前日。さらにその前日は土曜日。学校もないから絽奈の部屋に入り浸っていたら「ふうん。明後日からなんだ」「ああ、明後日からか……」「そういえば明後日からなんだっけ?」と何度も言われたので、これは今のうちに自分が遊んであげてもいいんだぞというメッセージだと式谷は読み取った。というわけで「明日も来ていい?」「うん」の会話を経て、朝っぱらからこんな街に繰り出してきた。ただふらふら遊びに行くよりかは何かしら手土産でも持っていくのがよかろうと思い、去年の夏合宿と冬合宿のアルバイトで稼いだ残りの貯金のいくらかを財布に突っ込んで、ここまで来たのだ。

 朝十時くらいのこの街は、比較的治安が良い。

 一番悪いのは当然夜だ。あのネオンライトのビカビカした灯りは路上をよく照らすけれど、照らされていない路地裏からはしょっちゅううめき声が聞こえてくるし、ときどき注射器だとか奥歯だとかが表の通りまで飛んでくる。店で食事をしていると明らかにその筋と思しき団体がぞろぞろと入り込んでくることも日常的な風景だ。酒と脂と電気の匂いが漂っていて、防犯スプレーと長ドスの一つでも持っていないと一人歩きは危なっかしくて仕方がない。

 その一方で、朝方もまあまあ怖い。夜通し飲み明かしたのだか吸い明かしたのだかはわからないが、朦朧とした集団が理性の怪しい状態で街を徘徊している。ゾンビみたいな状態だったら放っておけばただ路上で寝っ転がって財布を盗られているだけなのでまだいい。害はない。

 問題は、ハイになっている方だ。

 式谷は昔、この国道沿いのシーシャ屋の前の通りでいきなりサングラスの男に「おい!」とデカい声で叫ばれたことがある。猛然と自分目掛けてダッシュをかまされ、訳もわからず立ち漕ぎで逃げ出した。ギリギリで青信号を渡って向かい側まで逃れると、ガードレールを飛び越えようとした男は足を引っ掛け顔から車道にダイブ。てめえ、と革靴を放り投げ、それが式谷の目の前のコンビニの看板にぶち当たってストライク。プップー、とクラクションが鳴るや男はそのまま黒いセダンに標的を変え、てめえなんだコラ、ガシャーン、んだ殺すぞてめえ、やってみろやボケ死ね。人が集まってきてドカバキズバーン。朝焼けの街は瞬く間に空手やら日拳やら総合格闘やらから崩れ落ちたチンピラたちのトーナメント会場に早変わり。とりあえず目の前の革靴を路地裏に放り投げて、家に帰った。

 そういう経験があって、式谷は思う。

 午前十時。これが一番良い。

 普通の街だったら賑わっていてもおかしくない時間で、実際このあたりでも色々な店がシャッターを開け始める。この時間帯なら旧二々ヶ浜町だったり、あるいは他の旧市町からだったりから人も来ているし、比較的穏やかに買い物ができる。自転車に乗って、スーパーにでも行って、最近どんどん割高になってきたお菓子くらいならいくらでも買い込める。

 そう思ったのに。

 目の前の完全に空気の抜けて凹んだタイヤの前で式谷は、財布と相談する羽目になっていた。

 おそらくは寿命だと思う。このあいだ夜の海に行くときにした二人乗りは十秒も経たないうちに「私はこんなことで人生を棒に振りたくない」と絽奈がギブアップしたし(そのあと頭部挫傷がいかに恐ろしいものかという話を延々とされた)、大したダメージじゃない。少なくとも六年以上は使われている自転車なのだ。何か一つの切っ掛けがあったというより、積み重なっての老衰。フレームが真ん中からぽっきり折れなかっただけ、大した根性だと褒め称えるべきだろう。

 しかし問題は、このタイヤを、あるいは自転車をどうすべきかということだ。

 一番簡単なのは近くのサイクリングショップを探してタイヤを交換してもらうことだ。しかし財布の中には二千円しかないし、このあたりのサービス料の取り方はえげつない。仮に二千円で足りたとてすっからかんの財布だけを抱えて帰宅するのも馬鹿らしい。しかし自分で直すなら家まではこれを押して歩く必要が出てくるわけで、そうなると自転車で一時間かかる距離を徒歩だ。めんどくさいし、暑い。

 今でさえ暑いのに。

 蝉の声に紛れて、ものすごく近くでクラクションが鳴った。

「あ、すみませ――」

「よ」

 路肩に停めたスクーターに跨って、こっちを見ているのがいた。

 昼の光を照り返す真っ白な車体。赤いラインが入っている。そのハンドルに気だるげに寄りかかっている。地面に膝をついている式谷に視線を合わせようとしているようにも見えるし、単に身体を起こすのを面倒くさがっているようにも見える。

 知っている顔だった。

「うわ。どしたのこんな朝から」

「こっちがだよ。何してんのオマエ」

 薊原一希。

 去年の秋頃から不登校になった、二々ヶ浜中学三年の同級生だった。

 パンクした、と式谷は言った。チャリなら店そのへん、と迷いなく薊原は彼から見て右前の方に指を伸ばした。式谷は買い物用のバッグの中に手を突っ込む。ぺらぺらの、小学校の家庭科の授業の作った財布を取り出す。

 貴重な二千円を見せつけてやる。

 は、と薊原は笑った。

「文無しかよ。二千円じゃ何も買えねーぞ」

「また物価上がった?」

「おう。千円札一枚でティッシュ一枚な。本なら一冊四百枚」

 いつか本当にそんな時代が来るんじゃないかという微妙な不安を抱えながら、式谷は笑う。

 すると薊原は身体を起こした。薄いジャケットのポケットに手を突っ込んで、どこかのブランドものらしい派手な財布を取り出す。開く。数えもしないでガッと手に取って、パッと差し出してくる。

「次は原付でも買えよ」

 一万円札が、二十枚くらい。

 流石に式谷も、ちょっと面食らった。

「いい、いい。別に」

「はあ?」

「免許持ってないし」

「そんなんオレだって持ってねーよ」

「は? 無免許運転じゃん」

「こんなんチャリと大して変わんねーよ。ペダル漕ぐ代わりにアクセル開けるだけで――つか、わざわざ国際免許取るようなお行儀の良い奴ばっかがこの街に来てると思うか?」

 どいつもこいつも無免許だよあれもこれもそれも、と車道を行き交う車を指差しまくる。薊原は式谷よりもずっとこのIR街に詳しい。何なら、と言って向かいの通りの開店前のシーシャ屋の前、選挙ポスターを指差す。現市長の名前。あざみばらいちろう。

「あいつの事務所の運転手だって無免だぞ。東京で轢き逃げして免取食らってるから」

「――ここ、どういう街?」

 ゴミクズの街、と薊原は何の躊躇いもなく言った。もう二回くらい手の中の二十万を渡そうとしてきたけれど、お年玉渡したがりのお婆ちゃんか、という式谷が指摘すれば、

「……めんどくせー、お前」

 嫌そうな顔をして、それを財布に引っ込めた。

 財布もジャケットにしまい直した。これで一安心、というわけではなく、さらに続けて薊原は言う。親指を立てて、スクーターの後ろを指す。

「んじゃ乗れ」

 きょとんとしていると、機嫌の悪さまで引っ込めて薊原は続けた。

「人の金が受け取れねーなら、その端金増やせるところに連れてってやるって行ってんだよ。早く後ろ乗れ」

 その言葉の意味するところを、ゆっくり式谷は理解する。それから思い出す。絽奈が言っていたこと。

「薊原」

「んだよ。言っとくけどそっちは合法だぞ。むしろ国の認めた生き方だからやらねえ奴の方が非国民――」

「無免の二人乗りは危ないよ」

 視線がかち合う。

 マジかこいつ、という顔を薊原はしている。それに式谷はにっこり笑いかける。二秒が経つ。四秒。六秒。

「……わーったよ」

 根負けした方が、溜息を吐いた。

 今時どっかの王女だってローマで二人乗りするんだぜ、と薊原は言った。そうなの、と式谷が訊ねれば、事故りまくってたけど、と補足する。

 ダメじゃん、と式谷は言った。

 ポリのガキはこれだから、と薊原は近くの駐車場にスクーターを停めに行く。



 そういえば昔に一度姉と来たことがあるな、と式谷はこの場所のことを思い出している。

 あの頃は馬鹿デカい遊園地みたいに見えていたけれど、今は違う。映画館とボウリング場とホテルとパチンコ屋。そういうものを全部混ぜ合わせて、スケールを巨大にして、田舎の真ん中にドカンと置いたみたいな、場違いな建物だった。

 エントランスはだだっ広くて、クーラーがガンガンに効いていて、昼なのに豪勢なライティングがされていて、噴水やらよくわからないセンスのアーティスティックなオブジェやらがあって、自然界ではあまり嗅ぐ機会のなさそうな不思議な香りが漂っている。

 まだ昼だからか、単にエントランスはいつもそうなのか、人の姿は他に全然なくて、黙ってついていけば薊原が勝手に手続きをしてくれた。

「ん」

「何これ」

「通行許可証。どこでもいいから巻いとけ」

 左の手首に巻きながら、身分証も何も出してないけど、と思い出したように言えば、気にすんな、と薊原は応えた。

 よっぽどここに慣れているらしい。薊原はリストバンドをポケットに突っ込むと、迷いのない足取りで歩いていく。その後を追いながら式谷は辺りを観察している。タルタリア文明が作ったのかよというくらいにやたらに高い天井。何の材質か知らないけれど、ホストクラブの取材映像とかアメリカの金持ちミュージシャンのMVに出てくるキラキラしたすだれみたいなやつ。何を表してるんだか全くわからない抽象画。ところどころにかけてあるモニターに表示される抽象的な映像とその間に挟まれる消費者金融のコマーシャル。

「ここ」

 と薊原が言うのが、入口らしかった。

 スーツを着た従業員が黙って頭を下げている。薊原はそれに一瞥もくれずにさらに奥へと進む。映画のチケットみたいにここで見せるのかと思って式谷は左腕を挙げていたけれど、結局従業員は一つも顔を上げないで、二人を奥へと通してしまう。

 エントランスを作るので力尽きたのか、肝心のプレイエリアはそんなに豪勢なものでもなかった。

 ショッピングモールにあるゲーセンを贅沢にして作ったような空間だ。奥にはテーブルがあってカードやルーレットをやる空間があるらしいけれど、スロットだろうか、筐体が立ち並ぶエリアもあるから余計にそういう印象が強く出る。これでUFOキャッチャーが視界に入ったなら、式谷はここが東京にあるゲームセンターの本拠地なんだと言われても何も疑わなかったと思う。

 とんでもない異空間、という感じはしない。

 強いてカジノっぽいところと言えば、真っ赤なカーペットが敷いてあるところくらい。

 その『日常からの地続き』感が、かえって式谷を少し嫌な気分にさせた。

「オレ、先に便所行ってくるわ」

 ひらひらと薊原は手を振った。式谷の方はここに来るまでの自転車旅で散々汗をかいたので、そこまでついていってもやることが何もない。そのへん見てる、と言えば、ん、と言い残して薊原は去っていく。

 あまり人のいる方に行きたくなかった。カジノの従業員はおおむね地元の人たちだからそこまで危なくはないと知ってはいるのだけれど、薊原任せでどうやってここまで入ったのか自分でもわかっていないのだから、変なリスクは負いたくない。というか、カードとかルーレットを見てるだけで何も賭ける素振りがなかったら普通に不審者っぽいと式谷は思う。

 人より機械の方が安心する。

 だから、まずはスロット筐体の方に向かうことにした。

 パチンコ屋に入ったことはほとんどない――小学生の頃に駅近にあった建物を通り抜けるときにちょっと入ったくらいだ――けれど、それよりはずっと静かに感じた。キュインキュインとかチャリチャリーンと音は鳴っているけれど、耳をつんざくほどじゃない。ゲーセンと比べてももう少し静かだ。筐体はぞろっと並んでいて、入り組んでいるから見た目にはわからなかったけれど、それなりに人は席に着いていた。驚くべきことに老人が多い。筐体の画面には謎のちょび髭の男が出てきたり、金髪碧眼の女が出てきたり、全然可愛くない犬が出てきたり、訳が分からない。それを瞳に映した老人たちは表情を全く動かさないで一列に並んで押し黙っている。キツネに化かされて集団幻覚を見ている廃村みたいな光景。見てはいけないものを見た気がして目を逸らす。椅子を並べて寝ているサングラスに入れ墨の男の脇をそーっと抜ける。

 知っているアニメとのコラボ筐体があって、お、と目を留める。

 それに向き合う中に、珍しく若い三人組がいた。やっぱりそういうのは人気があるのかな、と見ていると、そのうちの一つの頭が不意にこっちに動く。

 目が合った。

 式谷はすぐには目を逸らさない。背を向けるなんてもってのほかで、そういうことをするとこの街では「ちょお待てや」「逃げんな」のコンボが始動し、ストリートファイトの火蓋が切られる。当然式谷は別に最強を目指して格闘修行をしているわけでもないので、喧嘩はしたくない。

 背を向けないのは、野良犬にばったり会ったときと同じだ。

 かと言ってそのまま見つめていると「何見てんだコラ」が始まってしまう。だから何気ない風を装う。あえてそっちの方に歩いていく。たまたま視線がかち合っただけなんですよ、という感じで少しずつ視界をぼかしていく。筐体から響く台詞に気を取られたふりをする。

『こんな世界だけど――私、みんなのことが好き……』

「なあ、おい」

 残念ながら、アニメの台詞の裏でそんな声が聞こえてきた。

 思考が熱を上げて回り出す。一対三。まず無理。でも見た感じそう年も変わらないと思う。一人蹴っ飛ばして逃走するくらいなら足の速さで何とかなるかもしれない。というかガードマンの一人くらいはいてもいいんじゃないのか。我関せずか。真横に座っているお婆さんが凄まじい肺活量で煙草を灰に変えながらこちらを見上げる。ゆっくりと、式谷は一対三の三の方に顔を向けていく。

 声の主は、こっちを見ていない。

「あれ、式谷先輩じゃね」

 代わりに、隣の二人にそう言って訊ねかけていた。

 一斉に三人がこっちを向く。顔立ちの幼さを除けば全く中学生らしくない格好。動画配信者みたいな派手な髪色。向こうが自分を知っているということは、と記憶を探る。たぶんこっちも覚えがあるはずだ。

 あ、と口にしたのと、残りの二人が口を開けたのはほとんど同時のことだった。

「――下川くん?」

「ほら、やっぱそうじゃん!」

 一番最初にこっちに気付いた少年――二々ヶ浜中学校二年の下川英人がスロットをそっちのけにして、こっちに駆け出してきた。

「超久しぶりじゃん! こっちに引っ越してきたの!?」

「いや、ただ寄っただけ」

「わ、マジか」「懐かし……。お久しぶりっす」

 残りの二人は秋村と和島だ。三人とも去年の夏合宿の時点までは学校に来ていたから、それなりに交流があった。いつの間にか来なくなっていたからそういうものとして処理してしまっていたけれど、当たり前の話だ。学校からいなくなったとしても、どこかで彼らの生活は続ている。たまたまそこにかち合った。

 久しぶり、と式谷も返した。みんな変わったね。なんかめっちゃ服とか髪とかお洒落じゃん。そう言えば、そうかなへへへ、と特に下川が照れたように笑う。これ結構高かったんだよねー。そうこいつ俺らに借金があって。お前いい加減あの二万返せよ。だからスロット当たったら返すって。つかマジで久しぶりっすね式谷先輩、今どうなんすか学校、まだやってんすか。やってるよ。やってんだ。ウケる。岩崎って元気にしてますか。岩崎さんなら今年も二年の学年委員になったけど、和島くんって仲良かったんだっけ。いや、そういうわけじゃないすけど。こいつ岩崎好きだったんすよ。え、そうなの。おいなんで言うんだよ言うなって言うなよやーめーろーよー。

 あはは、と思わぬ遭遇に明るく笑いながら、式谷は思う。

 確かに、この三人と交流はあった。自分は学年委員だったのもあって、下級生の大半とはそれなりに打ち解けていて、普通に会話できて、互いの顔を知っていた。

 でも、こんなに盛り上がるほど仲良くはなかった。

「――もしかして今、なんかやってる?」

 ぴた、と三人の笑い声が止まった。

 うわ、と一瞬式谷は逃げる準備をした。けれど幸い、それは杞憂で終わる。三人は少し焦った顔になって、小声で話し始める。どうする。いんじゃね。言わないっしょ。それが終われば下川が代表するように近付いてくる。額がくっつくような距離まで近付いてきて、自分の身体を壁にして周囲から隠すようにして、パーカのポケットからそれを取り出す。

 チャック付きの、小さな小さなポリ袋。

 カラフルで可愛い錠剤が、いくつか入っている。

「安いやつだから、よければ先輩も一個――」

「おいコラ」

 びくん、と二人揃って肩を跳ね上げた。

 息吐く暇もない。それが誰の声なのかを確かめるよりも先に、そのポリ袋が横から現れた手に奪われる。あ、と下川が言うよりも先にポリ袋は地面に叩き付けられる。目で追うと、その近くにスニーカーが現れる。迷いはない。

 ぐしゃ、と錠剤の上に振り下ろされた。

 うわあ、と下川が声を上げる。そのタイミングでようやく、式谷はそのスニーカーの主が誰なのかに気が付いた。

「『カラフル』はやめろって言ったよな」

 薊原だ。

 コソコソしやがって、と薊原はその錠剤を靴の裏で執拗にグリグリ砕く。あーあー、と床に膝をついてまで嘆いているのは下川だけで、秋村と和島はバツが悪そうに視線を逸らしている。

「一希くん……」「いやでも、すげえ安くて、」

「先月これで七人死んでんぞ」

「――えっ」

「だから素人が作ったケミカルなんかやめろって言ってんだよ。お前らもたまたま当たり引いてるだけで、ハズレが出たら一発で骨溶けて死ぬぞ。頭蓋骨剥き出しで脳みそ丸見えだよ。こいつに学校に持って帰らせて理科の授業に使ってもらうか? それともオレが優しくぶん殴りながら二度とやんなよって今ここでじっくり教えてやろうか? あ?」

 とんでもないっす、と秋村が首をぶんぶん横に振る。おい英人、と和島が下川の襟を引く。すんませんした、と秋村がチンピラの下っ端や政治家の取り巻きのごとく大袈裟に頭を下げる。頭を上げて、今度は式谷に向かってもう一度。あ、ううん、と咄嗟に式谷は応える。こっちこそなんかごめんね。いや全然そんなことないっす申し訳ないです、と和島が言う。でもさ、と下川は和島に向かって何かを言おうとして、いいから、と秋村に抱え込まれてスロット台の向こうに連れて行かれる。

 残されたのは、式谷と薊原。

 スロットから『ごめん、俺……何も、何にも守れなかった……』とアニメの台詞が聞こえてくる。お婆さんが舌打ちをする。似たような音を出してライターを擦る。何本目だろう、煙草に火を点けて、一息で半分くらいを灰にする。肺がんの心配が要るのか要らないのか、さておき年金はさらに筐体に吸い込まれていく。

「――ドラッグはダメなのに、無免許運転はいいんだ」

「……だから?」

「教えてあげよっか。最近聞いたから超詳しいよ。頭部挫傷がどんだけ危ないか」

 あーうるせー、と薊原はわざとらしく耳に指を突っ込んで言った。

 それにへらりと笑って式谷は、頭部挫傷って頭の中のどの部位が出血するかとかがあって、と解説を始める。耳に指なんか入れたって聞こえているに決まっていた。それでも渋い顔をしながら薊原は一歩も動かない。煙草を吹かしていた婆さんが急に「うちのお父さんもねえ!」とありえないほどでかい声で会話に飛び込んでくる。

 うるせえよ行くぞ、と式谷の手を引いて薊原がルーレットのコーナーに向かうまで、あと三分。

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