part6 Confusion

間話 残酷な弓を射る

 寧楽楪ねいらくちゃ・ドップマンという概念を端的に述べるなら、それは「組織」というより独自の生態系を持った「システム」。


 蟻が、一つのコロニーを形成するようなシステムと定義すべきだ。


 その女の目の前には桐箱が置かれていた。

 和製の人形でも収めていそうな小さな箱。


 それを手に取り開けることは彼女には叶わず、ただそれは、その中で眠る存在は寧楽楪・ドップマンというシステムを維持する根幹たる存在。


——かつて、ある奇形児が生まれたという


 一つの身体に二つの首を持つ。

 それのみならば人の歴史で珍しくも無い代物が、その首双方が埒外な魔術の才覚を備えていたのが事の発端。


 であるから、その赤子は身に余る使命を負わされるに至った。


 静的現実をいつまでも続くように。

 終わりの無きように。

 そんな願いを叶えるために。


 それは、この寧楽楪・ドップマンより生み出されし数多の化身アヴァター全ての根幹に打ち込まれて久しいくさび


 しかし、その一員たる彼女は、ああ、その全てを唾棄し、望みが絶えて無意味と断じ、反旗を翻すことに決めたのだ。


 その彼女は箱へ手を伸ばしても触れることは叶わず、拒絶されても求めるように手を泳がせた。


 その手は赤々と汚れ、足元には『寧楽楪・ドップマン』という総体をまとめていた男の死体。


 かつて『外道者アウトサイダー』の始祖と語らった男の死体が転がっている。


 それには目もくれず、女は桐箱だけを眺めていた。


「おい」


 背後で声がした。

 男の声。他の同胞と同じ境遇の、新たなる存在。

 生まれたばかりの末の弟。


「なぜ俺以外全員殺した?」


 なぜ、『寧楽楪・ドップマン』というシステムの構成要素をほぼ殺したのか。

 そう問うていた。

 怒りや悲しみを伴わず、単に疑問であるための疑問。

 生まれたばかりのその男は、知識と人格はあれど、知恵はない。

 経験の不足と感情の希薄はそれを悲しいとも思わない。


「……未来を己の手で切り開いてみたくなったから……」


 男は釈然としない顔をする。

 それを見て、すこし漠然とし過ぎていたと思い、女は補足を述べる。


「『寧楽楪ねいらくちゃ』……これは中々因果な名だと思いませんこと?『寧楽ねいらく』とは安楽を意味し、『ユズリハ』の花言葉は……」


 振り向き、まじまじと男の顔を見てみれば足元の骸とよく似ていた。


「『外道者アウトサイダー』による人類の置換と、静的現実の持続というこの状況をあまりに示唆している。『寧楽楪・ドップマン』の作り手はどこまで見通し目論んだのか。そもそも『外道者アウトサイダー』の始祖と遭遇した事件も、実はどこかの誰かに予期されていたのでは?……私はそう思っていますの」


 男は知識より、できる限りの物を組み合わし、汲み出し、声に出す。

 これは彼にとって初めての試みだったが、悪い気分ではなかった。


「それは、神の実在を問うていると解釈すれば良いのか?」


 女は呆れため息をつく。


「俗っぽい……。なんにせよ、そうしてどこかの誰かの意思に従い続けるこの桐箱の中身。2つ首の赤ん坊が不憫になった。それが理由」


「……話がズレている」


「ん?」


「俺は、なぜ俺だけ殺さないのかと問うた」


 そういう話だったことが頭から抜けていた。

 そう言えば彼のその質問から始まった会話だったと思い出す。


「なに、しれたこと。それは……あなたがまだ生まれたばかりの存在だから。生まれたばかりのあなたは無垢で何も知らないから」


「情けか?」


「いえ、公平なだけですわ。あなたが世界を見て、身の振り方を弁えたら好きになさい」


 ここで女はあることに思い至る。


「そういえば……あなた、名は?」


「名前はない」


 生まれた同胞へ名付けをしていた存在は足元に転がっていた。


「では、僭越せんえつながら私が……」


 毎回、足元の人物がやっていた流れを思い出し——この組織を壊しておきながら、その慣習を律儀に守っている自分の行動がおかしく思えたが。


「では、あなたがこの世に存在を自覚する直前、夢を見ていてはず」


「夢?」


「ええ、我々にはその内容に因んだ名を付ける習慣がありまして、いや、今となってはと言うべきかもしれません」


「夢……夢?……黒かったな」


「黒?」


「闇なんて物じゃない。ただ、一面の光を吸収する黒が目の前に……」


「黒……よろしい。では、それに因んだ名を」


 そうして少し考えた。

 そのままに「黒」の字を入れるのは芸がない。しかし、闇とは比べ物にならない黒とは……漆黒?


「そう……うるし……漆原。あなたの名は漆原うるしばら


 悪くない名と女は思い、それだけを言い残した。

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