第64話 終焉を唄う

 僕は足を止めた。


「……ただいま。ヒツギ」


 そう言って視線を合わせる。

 すでに時刻は23時を回っていた。

 外の闇から隔離されたエントランスという空間は、妙に照り付ける照明が灯り、彼女の線のように細いシルエットを一層に際立たせていた。

 人間には肩があり、腕があり、足があり……そういう人間らしいシルエットと比べ線のように細い。

 そんな彼女が少し感慨深げに


「待っていたよ。


 その言葉を返す。

 そして、ツイと視線を動かし


「ノトちゃんもおかえり」


 彼女にも告げた。

 ただ、ヒツギの話し方についてだが、芝居じみた感じと微笑が多くの場合付きまとう。

 特に興味の無い相手、嫌う相手には。

 だから見る者が見ればよく分かるその態度の変化に少し居た堪れなさを感じつつ、


「ちょっと、2人で話そうか」


 そうやってヒツギに言いつつ振り返り、


「ノト、悪いけど、ちょっと部屋に戻ってて欲しい。多分、その方が彼女に色々聞きやすいから」


「それは、良いけど……大丈夫?」


「うん……まあ、親子水入らず……みたいな」


 とはいえ親子関係としては歪も良いところだった。

 魔術的に現実を歪め作られた擬似家族関係。例えば、作った覚えのない子供が遺伝子的には自分の子供であると証明されても実感は湧かない。

 それどころか僕は彼女に何度か殺されている。

 前の僕らの記憶の中で。


——実のところその記憶も未だ空白が多い


 その事実はノトには話さなかった。

 そんな彼女はしばらく心配そうに目を細めていて、


「じゃあ……」


 そう言って、ゆっくりと、近くの階段を登ってゆく。少し後ろ髪を引かれる様子の足音が耳に長く残った。


「それで……ヒツギ。場所は移すか?」


「いや、いいよ。ここで」


 そう言うと一つ。ヒツギがそれまで座っていた物と同一の椅子を創り、僕はそれに腰掛けた。隣り合って、近い。

 しかし彼女の息遣いは聞こえない。

 棺の中から形成された分身は、そもそも呼吸を必要とせず、体温もなく冷たい。

 あえて周囲の情報を汲み取り、頭の中を明瞭にしていく。

 例えば、エントランスの暖房は、よく効いていた。

 外の気温と断絶されていて、ガラス扉越しに外へ目を向ければ暗黒が口を開けている。


 すこし、口寂しく思いタバコを咥えようとして留まる。この身体は別にニコチン中毒ではなかろうが、前世からの習慣が今に引き継がれている感じがする。

 その辺りの仕組みはシステマチックじゃ無いのだろう。だから、前世は他人のようでいて、その実やはり同一人物でもある。

 感情や他者への印象も引き継がれるのか。

 その一連の思考は多分話す内容に困ったからだ。思考が遠回りし続けている。


 そうして2人で、沈黙を続けていたが、


「ねえ——


 僕が口火を切ろうとした瞬間、彼女の冷たい手が頬に触れていた。

 少し、感触を確かめるように両手で挟んでグリグリと、揉むように動いている。


「……なに?この手」


「別にいいでしょ。続けて」


 少し楽しげに、声はちょっとだけ喜色を示す。

 調子を崩された気がしつつ、続けた。


「リンが死ぬように仕向けたって聞いたけど……本当か?」


「ある意味では本当。だって圭介には味方について欲しかったからね」


「本当に、それだけか?」


 これは真意を問いただす響きを含んだ。

 その言葉へ露骨に黙りつつ、彼女は手を離して椅子に座り直す。そして、僕の目を静かに見つめ返した。

 それは、「言わなくても分かるだろう」と言っているような眼差し。

 ちょっとだけ微笑んでる。子供みたいに。

 芝居じゃない微笑みは彼女が愛しいと思った相手へ向ける顔。それでも異性としての感情ではない。

 過去の記憶がそうやって告げていた。


 そんな顔を前にして、言葉が詰まる。

 何せ、彼女の顔には悪意がまるで無い。

 その人格は、ハッキリ言って『無邪気』の一言に尽きる。

 頭が良い。

 計算高く計画も練れる。

 なにより自分の欲求に素直。


「だって、だってさぁ」


 その僕の様子を見かねてヒツギが口を開き


「また、私を置いてどこか行っちゃうでしょ?」


 顔は微笑んでいる。それでもまとわりつく情念の気配。


「それは……どういう意味?」


「あ、その記憶は戻ってないんだ、ま、いいけど。いいけど。あの女、あの女さぁ今殲滅部隊と手を組んでるみたい……いや、言っても分かんないか」


 会話というよりは1人で喋っている。

 そもそもの話、棺の中の彼女が己の分身を通し見ているこの世界は夢の中に似ているのかもしれない。自分の五感を通さない、夢の中の世界。

 だから夢の中で話す事は全て独り言に等しい。


 そう考えた。

 それでも昔は分かり合えていたような気がして、


——やはり記憶の空白が多い


 おぼろげな記憶。

 何かを忘れている気がする。

 自分は、目の前の彼女に何かしたのだろうか。

 思い出せない。

 でも、目の前の彼女を憎悪しようとしても、し切れない感じがあるから、多分彼女を嫌いではないのだと思う。

 彼女は無邪気で、悪気がなく、おそらく多くの人間が成長の中で育む悪という概念を、とことん理解できないか。

 ある意味では『外道者アウトサイダー』の導き手に相応しい、最も『外道者アウトサイダー』らしい存在。


「それで、話は変わるけど圭介はノトにどこまで話したの?」


 もう少し問い詰めたい気がしたけど、結局明確な答えが聞けるとも思えなかったので話の流れに合わせる。


「大方、かな。僕が何者か……お前が何者でアマネについてと、『外道者アウトサイダー』がなんなのか、辺り」


「なるほど。じゃあこれは話したの?今回も上手くいかないんじゃないかってことは」


「……いや、お前達を作り直す。俺が子供を作ることでお前達2人が生まれるっていう話はしたけど、それがこれまで上手くいった試しがなかったってのは話してない」


 それでも現状から察している可能性はある。


「そう……」


 少し、見定めるような目つきになった。

 何か探りを入れるような。

 でも、満足したのかやや前のめりになった姿勢を彼女は正した。


「……残酷だね。私達がやっていることがなんの意味もないことかもしれない。その可能性を話さないなんて……」


「お前はどうなんだ……上手くいくと思っているのか?」


「上手くいかなきゃいけないと思ってるかな……私は作られたからね。これは本能みたいなものだ。所詮私は上位者の操り人形。それより計画を成功させるんなら頑張るのは圭介、そっちじゃないの?ノトとはもうヤッたの?」


「……ヤるわけないだろ。犬や猫じゃないんだ」


「そう……彼女は君のこと好きみたいなのにね」


「それは……違うだろ」


「諦めるんだ……それもいいかも」


「それは——」


「——じゃあ、じゃあさ、せめて終わりの時まで私と一緒にいてよ。強いて言うならそれが私の望み」


「……」


 少し、間を空ける。

 そうまで言う彼女がなぜここまで自分に執着するのか、きっかけを考えて、しかし別の考えが浮かぶ。


「もしかして……だから、リンが死ぬように仕向けたのか?」


 黙っている。

 しばらく黙っていた。


「どう——」


「——それが、無いとは言い切れないかな」


 つまり、圭介と恋仲のリンは邪魔だったと


「なんっ」


「でも、本当の目的は圭介を逃がさないため。絶対に逃さない。どんな手を使っても」


「ここまでされて、なんで僕が逃げないと思う」


「逆に逃げるの?ノトを置いて?彼女は結局ここに戻ってくるよ。彼女の人となりは分かっているからね。なんてゆーか、ちょっとませてる感じに見せようとするとこあるよね。でも、寂しがり屋で、他者との関わりを求めるけど、それを怖がってもいる、みたいな……多分確固たる人との繋がりが欲しいんだ。今は君との」


 捲し立てる彼女を前に、別で聞いておきたいことがあったと思い出す。


「……ノトと色々話しておもいだした。いつかさ、お前とアマネの入った棺ごと連れて逃げようとしたことあったよな。でも、あの時、なんで僕を撃った?」


「……教えてあげない」


 そう言った。

 でも、未だ残る記憶の欠落は棺姫の意図したものか——という薄々考えていた仮説が現実味を帯びてきた。

 そして息を呑む。

 互いは互いの目を見ている。

 はたから見て距離は近い。でも、彼女は未だ棺の中だ。

 心の距離が縮まった感じはしない。

 それでも、状況としては手を組まざるを得ない。


 暖房で温められたスペースは空気だけが乾ききり、それから数秒を置かず彼女はその場から消え失せた。

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