第62話 催された祝祭の後
これは、昨年の話だ。
最高位の魔術師たる『老人』の1人、アハト・アハト・オーグメント伯爵の部下、
『咎人狩り』とはいわば『老人』のみが名実ともに
かの存在の不興をかった人物を贄たる獲物として一定期間一定区域において包囲し、各国より有象無象の魔術師共を集め獲物を殺した者へ褒美を取らす。
そういうある種のフェスティバル。
その『咎人狩り』が昨年開催されて、標的に選ばれた人物の名を『
この情報は魔術師を敵視する組織の末端であるコルバンの耳にも入っていた。
そして、この咎人狩りで『後藤沙耶香』なる人物は死亡という扱いになっている。
それでもこの情報だけでは『盧乃木沙耶香=後藤沙耶香』という図式は成り立たない。
確信には程遠く、程遠いが断片的に把握したこの情報もツテを駆使して調べることにした。
何より、この『後藤』という苗字は死体の彼女が目覚めた直後、意図せず口走ったものだったから。
そうして事の詳細を詰めてゆき、『
さらにこの『後藤沙耶香』という戸籍を調べてみれば養父として登録された男の名が浮かび上がる。
「お前の戸籍上の養父『
そして、例の『咎人狩り』の結果、その人物は死んでいることが判明。
さらに突き詰めてみると非合法な殺しの依頼を仲介していたことも判明。
そこから割り出された2人の関係性。
表向きには養父とその娘。
ただ、その実態は専属の仲介人と
であればこそ家族や恋人へ向ける親しみがあってもおかしくない。
命を預けた関係なればその縁はより深く結びつく。
そして、彼女がもう一つ口走った『ケイン』という名についてはついぞ正体が掴めなかったものの、この辺りは妥協するしかなかった。
時間は無限にあるわけではないのだから。
その断片的に得た情報を以て、コルバンは今、この交渉の場へ臨んでいる。
「何を言いたいのか」と警戒するその眼差しを悠然と見つめ返す。
「彼を
「え?」
その調べ上げた情報のうち、最も刮目すべきは、それだけ正体を突き止めても、その『後藤宏樹』の死体の
念のためと調べたが、地元の自治体が無縁墓地へ埋葬した記録は無い。
そもそも裏社会を理解するコルバンは引き取り手のない死体が無縁墓地へ埋められる例が殆どないことを知っている。
結局、「そういう扱いをしています」という表向きの話でしかなく、実際には裏の社会へ流れてゆく。
死体を実験サンプルや人形として扱いたい魔術師の手の届くルートへ。
特に
「うちのツテを使えば『後藤宏樹』の死体の在処が分かるかもしれない」
盧乃木沙耶香の目を見て、なるべく
殲滅部隊は腐っても世界で最も信者の多い宗教の末端で、その大元の組織がどのような職務を行なっているか把握している。
そして元来、人の
それを、その組織力を駆使し表のみならず裏へ流れた死体へも行っているだけのこと。
裏社会に流れた死体を依頼に基づき捜索し相応しい引き取り手へ委ねる。
そういう生業をする職員が居る。
餅は餅屋ということで、そういう連中との渡りをつけることはコルバンの手にかかれば容易いこと。
「どうする?それを……当面の生きる目的とするのは、どうだ?」
盧乃木沙耶香はまだ迷っているらしかった。目が泳いでいる。大分傾いていても。
だから、少しだけむしゃくしゃする。
何を迷っているのかと。
死んだ養父に負目でもあるのか、と。
「一応言っておくが、こういう手の内を明かしたのは半分くらい善意からだ。それは保証する。それに……」
少し感情がこもった。
「死体が、綺麗に残っている可能性があるなら、お前が納得するためにちゃんと葬るべきだ……できれば墓を建ててな」
どの口が……と、コルバンは自分でもそう思ってしまう。
しかし、普段どれだけ倫理から外れた行動を作戦のため取ろうが、これも彼の偽らざる本意ではあった。
そういう矛盾を彼は孕んでいた。
「どう——」
「——1つ、いい?」
「なんだ?」
ようやく、目が合った気がする。
多少なりとも話し合う気にさせた、という意味で。
そうして発言を待ち、
「タバコくれない?」
唐突な要求に今度はコルバンが首を傾げたが、
「……それは、別に良いが」
そう言って胸ポケットの箱を投げ渡し、続けジッポを投げ渡し、その2つをキャッチした彼女は一本抜き出すと、たどたどしい手付きで火打石を弾いて灯ったタバコを咥える。
その意図は分からねど、見守った。
そうしてしばらく、その煙を吸ってから、少し咳き込みつつコルバンを見据え彼女は言った。
「このタバコさ……」
「ん?」
「人気なの?」
「いや、もう生産終了してる」
「そう……すごい愚然」
話の意図が分からない。小首を傾げる。
そして沙耶香はそのタバコが後藤宏樹の吸っていたのと同じ銘柄であると思い出す。
「分かった……1つ付け足すけど、条件を飲む。利用されてやってもいい」
「聞こうか」
「これ、ちょうだい」
そう言って今しがた手の中で見ていたタバコの箱を示すように振る。中身が揺れカラカラと音を鳴らした。
「それは、良いが、良いのか?逆に聞くが」
箱の中身は半分ほど吸い終えていたし、わざわざそんな条件を付け足すのが単純に不思議ではあった。
「まぁ……いいよ。サービスで」
少し、理屈を超えた人の情動の部分での判断に聞こえたが、相手がその気ならもとより迷う理由もコルバンにはない。
時間も惜しい。
「……OK、分かった。『後藤宏樹』の死体はこちらのツテを使って調査しておく。この闘争が終わり次第通達できるようにしておこう」
「そう。こちらとしては都合が良いけど、随分急ぐんだね」
沙耶香は口では協力を申し出たが、それを実際に行動として観測する前に調査を進めるのは交渉の観点から見ても性急すぎる気がした。
「時間が無いんでな……」
「……そう?」
意味は計りかねても、さして重要とは思わず、深くは考えなかった。
そして、そのように話がまとまった瞬間。
扉が軋む音を立て開いてゆく。
そこには、黒髪の女が立っていた。
髪を纏めず、その長さを解いたままのアリーシャ・ドロステが。
薄らと、盧乃木沙耶香は彼女の存在を覚えていた。ウィンター・ミュートとして操られた時期は厚いガラス越しに
「どうやら、話はついたようですね。コルバン」
「ええ、アリーシャさん。これでようやく次の作戦の布石が整いました。後は、あなたとギブリール、そして他のメンバーの回復を待つだけ」
「世話をかけます……」
そう言いつつ、盧乃木沙耶香へ振り向いた彼女。歩み寄り、
「どうも。初めまして……というわけではないですが、初めまして。アリーシャ・ドロステです」
彼女は右腕にギプスをつけていた。
穏やかな視線と表情と物腰のその姿を見て、沙耶香は少し、知性ではなく本能の部分で警戒を抱く。
片腕が封じられているにも関わらず、隙がまるで感じられず、加えて、今彼女は左手で握手を求めてきた。左手を差し出した。
沙耶香の魔術を知っているのに。
触れたら、ほぼそれだけで相手を殺せるのに。
手袋越しなら分かる。
手袋がチリにされる手腕に振り解けば良い。
にも関わらず、素手で。
その事実に気圧されつつ差し出された左手を取り、軽く握る。
戦闘を
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