第61話 生存理由

「なんか飲むか?」


 そう言ってコルバンが机の引き出しを開けて見せる。

 中では甘ったるいミルク入り缶コーヒーとミルクティーがゴロゴロと入っている。


「試してないが、お前の臓器なら消化できる可能性はある。ま、無理なら吐き出しゃ済む話だ」


 今の発言の「吐き出しゃ」の部分に沙耶香は露骨に嫌そうな顔をした。


「別にいらないけど。喉乾いてないし。それと……デリカシー無いって言われない?」


「別に?」


「……あっそ」


 沙耶香のげんにコルバンは小首を傾げたが、それ以上は追求せず引き出しを閉め話を続けた。


「……最初に言っておくが、お前はその身体で活動したいんなら俺の協力が不可欠だ。それをまず認識してもらいたい」


 最初にその言葉から始め、簡単に彼女の置かれた状況を話してゆく。


 この状況で嘘をつくことにメリットはない。

 そもそも先まで彼が言った通り、猫の手も借りたいほど逼迫ひっぱくした状況。

 この殲滅部隊と『外道者アウトサイダー』との闘争は順当に殲滅部隊の側が追い詰められている。

 持てる手は打ち策もろうし、それでもなお決め手に欠ける状況。


 そうした事情を踏まえつつ目の前の彼女へ話を終えた。


「——これがお前の置かれた状況ってわけ」


 最後にそんな総括をしつつ、コルバンは沙耶香の様子を見て、頭の中を整理するように指を動かした。


 その話した内容とは、


——現状の盧乃木沙耶香ののぎ さやか死霊術師ネクロマンサーの作るアンデッドに近しい存在であること


——コルバンにより使役され、『外道者アウトサイダー』の組織壊滅を目的とした作戦に加担させられていたこと


——理由は不明だが盧乃木沙耶香は今、自我らしき物を取り戻していること


——その他、高い自然治癒力と魔術を有していること


「……なるほど、なるほどね」


 できるだけ補足を交えず簡単に話しただけでも、おおかたは理解できたらしい——コルバンはそう見ていた。


 本来なら混乱に陥ってもおかしくない。

 補足を求められれば可能な限り応じるつもりでいたが、生前、色々と把握してる側の魔術師だったらしいと、こうして確証が取れた。

 それでも自分が一度死んでいる事実をすんなり飲み込んだ辺り、死の瞬間の記憶は脳にこびり付いているらしく、ひたいを無意識のうちにさする様に目を向けた。

 盧乃木沙耶香の死因は頭部を正面より撃ち抜かれた銃創によるものと調べは付いている。


「……その自然治癒力はお前が……この言葉を使うのも変な話だが生前『不老不死者ノスフェラトゥ』だったから。あまり知られてない事実だが——」


「——『不老不死者ノスフェラトゥ』?私が?」


 ここで初めて分かりやすい感情の起伏を見せる。


「なんだ、自覚なかったのか。お前はいわば『不老不死者ノスフェラトゥ』の抜け殻。奴らは心臓を核に蘇る……心臓だけ抉りえぐり抜かれた残骸に擬似的な命を吹き込んだ代物。お前はそういう存在」


 そうやって言ってみれば、やけに深刻そうな顔で考え始めたので、しばらく様子を見守る。

 理由は知らないが、何かショックだったらしい。答えの出ない問いを考えているように見えたが、それからどうにか事情を飲み込んだらしく、


「なるほどね。『不老不死者ノスフェラトゥ』は蘇生時、死の原因を治癒して蘇る……今は死んで、かつ核となる心臓も無い状態だから中途半端に蘇ることもなく治癒し続けている……」


 ボソボソと現状の解釈を呟く。

 湧き上がった感情を押さえつけ、無理矢理現実逃避しているようにも見えた。


 結局、コルバンは彼女の事情を一部しか知らない。

 普通、ショックというのは分かっても。


 そして、廃工場の戦闘の映像を見た限り、彼女が記憶を取り戻したと思しい場面で彼女は自身の体の性質を踏まえ立ち回っているように見えた。ただ、現状ではそれを把握していない様子——この辺りは記憶の混濁こんだくが招いた現象と推定。

 コルバンにとって都合の良い人形のウィンター・ミュートと、そうではない盧乃木沙耶香という1人の女との、その両面が混濁した状態だったと。

 今は盧乃木沙耶香ののぎ さやかの側面が強いと推察。


 その辺りの納得も含め


「……なるほどね」


 呟く。


 加えて、あの他者を殺すことに特化した魔術と、記憶を失ってなお染み付いていた彼女の戦闘技術。

 盧乃木沙耶香がカタギなわけはなく、調べた結果、過去のある事件の中心人物として同一と思しい存在が浮かび上がった。


 その事件での実績を見るに、この女はなんとしても手に入れたい駒。

 従順さを欠いていたとしても欲しい。


 それを一時的にでも従えるすべをコルバンは待っていた。

 盧乃木沙耶香ののぎ さやかを無理にウィンター・ミュートへ戻すのではない。盧乃木沙耶香ののぎ さやかを盧乃木沙耶香のまま従えるすべを。

 かつてのツテを頼り、彼女の死体の出所を割り出し、かつその生前のパーソナルデータまで可能な限り集めた。

 この作戦と同時進行で。


 元はジェーン・ドゥの手のうちを探る意図が、別の形で功を奏した形。


 手にした情報に欠けた箇所は多くあれど、隠されず、かつこの状況を進める上で有利な情報。


「それで……ここまでの事情を踏まえ、お前はどうする?」


 一応判断を委ねる態度を示す。

 対し彼女は冷静さを取り戻し、淡々と話した。


「コルバン……だっけ?お前の協力が私に必要ってのは、私が『不老不死者ノスフェラトゥ』を素体に使ったアンデッドだからってこと?」


「そうだ。できるだけ情報を集めたが、お前のような存在は1人もいなかった。1人として。お前のような存在を作ろうとした記録はあっても、その全てが失敗に終わっていた。誰かが意図したみたいにな」


 つまり希少価値もあると遠回しに告げる。

 缶に残されたミルクティーをあおりながら。


「で、だ。お前ができるだけ長生きしようと思ったら俺にメンテナンスを頼むべきだし、組織の力を使い存在を秘匿するべきと進言する。加えてメンテについて俺以上の死霊術師ネクロマンサーは遭遇しやすい有名どころは……『傀儡師クィレイシー』……」


 彼女が露骨に嫌そうな顔をしたことを気に留めつつ、話を進めた。


「ま、言っちゃぁなんだが、頭のおかしい連中ばかりだ。この界隈に詳しいお前なら分かるだろ」


 これで話が付けば楽なんだが……と思いつつ様子を窺い、表情から思考を盗もうとする。

 一応、コルバンが示したのは筋の通った悪くない話。


「そう、この身体で長生きするためには話に乗るのが一番……それは、分かったよ」


 少し、俯き加減の顔を上げ、コルバンの顔を盧乃木沙耶香は見据え、


「でも断る」


「理由は?」


「単に長生きする理由が無いから」


「……そうか」


 こういうことを言いだしそうだとは思っていた。

 こちらを刺し違えてでも殺そうとしてきたあの時の目が、本気でやるつもりだったと汲み取れたから。


「長生きする理由がないと……じゃあ、俺がもう少し生きたくなる理由をくれてやろう。盧乃木沙耶香……いや、この場合は沙耶香と呼ぼう。これはお前がかつて使っていた戸籍の名だろ」


 目の前で、目を細め見つめ返す。


「何が言いたい……」


「いや、もしかしたら再会したい人物がいるんじゃないかと思っただけのこと」

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