第60話 ノノギサヤカ

 彼らは廊下を歩いていた。


 天井では蛍光灯の明かりが点滅して目を引き、宙を落ちつ上がりつ浮遊する蛾はその光に集まり、焼かれて落ちてゆく。


「行け、そこの扉の中だ」


 そう言った金髪の男は先んじて進み金属製の扉を押す。軋んだ音を立て開いた。


 中の明かりをつけ光の灯るその中へ、後続の2人を誘導し、その後続の2人は前後で担架を抱え運び込む。

 載せられているのは未だビクビクと痙攣を続ける黒髪の女の亡骸。

 黒い髪はサラサラと、容姿は端正そのもので、生前はさぞや美しい女性だったのだろうと思わせる。残されたほんの少しの子供っぽさも良いアクセントの完成度。


 ただ、生々しく無様を晒す骸姿むくろすがたは元が整っているだけに、返ってグロテスクそのものの印象を際立たせていた。


 美しいものがその美しさを損なえば、より醜く見えるが世のことわり


 視線は定まらず、首の骨が完全に折れているので、それがこれだけの長時間未だ痙攣を続けているのはおかしい。

 さらにその首は筋肉と皮膚と血管のみで繋がれ骨は内部で破断し妙に長く伸びていた。

 おそらく妖怪のろくろ首というのも元はこんな首の伸びた死体——首吊りなどで首の骨が折れ、自重で引き伸ばされた死体を元に発祥し、誇張された話ではなかろうか。

 そう思わせるザマだった。


 そして、担架を運ぶ2人の男——殲滅部隊の一般隊員である2人は中へ。コルバン・ルガー金髪の男の指示の元、緑のビニールが張られた簡素な寝台へ美女の死体——即ち行動不能のウィンター・ミュートを横たえた。


「コルバンさん。他の指示は?」


 2人のうち、より背の高い方が仰ぐ。


「無い。戦闘直後にご苦労だった。別室で休んでくれ」


 そう言って退室を促し、2人の退室後、一通り機材をその寝台の周りに揃え、そしてグリーンの手術着に着替え、銀のトレーに乗せたメスやピンセット、ペンチの種々の器具の並ぶ上で何を取るか思案するように、ピアニストが次の鍵盤を選ぶに似た手つきで


「さて……上手くいくか……」


 作業に取り掛かる。


◆◆◆◆


 その女は目を覚ます。

 全身の神経に意志が通い感覚として、その殆どが通常通り動くことを自覚した。


 そして、やけに重く感じられた上半身を起こし周囲を見回そうとして、首の違和感に気付く。

 動かない。

 なので首に何か纏わりついている感覚だけがあり、指で触って撫で回すと固く、ザラザラと包帯のような感触。


「首の骨の接合はお前の自然治癒力なら今日中にでも。目覚めるかどうかは賭けだったが……」


 ギプスが嵌められて首が回らず、上半身ごとそちらへ向いた。

 簡素な金属机とパイプ椅子。

 腰掛けて、机の上の缶を手に取り中身を啜るコルバン・ルガー。

 キャップが付き開け閉めできるタイプの缶に書かれた文字はミルクティー。


「なんであんだけ種類あってストレートティーの缶のやつってないんだろうな……」


 何事かをボヤいていた。

 そして立ち上がり、修復の終わったウィンター・ミュートの動作チェックへ移る。


「まずは、お前の名前を言え」


「ウィンター……ミュート゛……」


 掠れたラジオのような声。

 ついでに不快感を覚えたのか彼女は喉を鳴らし、咳をする。


「ウィンター・ミュート」


 それで少しは解消できたらしく、改めて答えた。今度は明瞭な声。

 対しコルバンは少し押し黙る。

 表情の変化は無いものの、何か考え込むように。


 彼女は次の指示を待つようにコルバンの顔を見つめた。


「OK、分かった。じゃあ、次の質問だ。お前の最後の記憶をなるべく詳細に語ってくれ」


 既に映像で未来予知を使う『外道者アウトサイダー』との戦闘の記録は目を通し、映像の保管も済ませている。

 それでも一次資料——即ちそれと対峙した戦闘員の情報からしか得られぬものもある。

 そして返答を待った。


 しばらく時間を置き彼女は滑らかな口調でこう答えた。


「覚えていません」


 単調な話し方。


「……そうか」


 そう言って、おもむろにコルバンは上半身を起こし寝台の上に座る彼女の前へ足を運んだ。

 彼の革靴の硬い靴底の音がやけに室内に響き、対しその顔を目線で追う。

 特に繕う必要もないと判断し、コルバンは無表情でその感情は読み取れず、ピタリと——足を止めたのは彼女よりほんの数十センチ離れた距離


「ふむ……」


 少し、目の前の顔を窺うように見つめ、その手に隠していたメスを、その切先を容赦無く彼女の右目へ走らせ、対し、


「やっぱりか。バレバレなんだよ」


 そう言った。


 コルバンはウィンター・ミュートの右目へメスを据え付け、ウィンター・ミュートはコルバンの首をソフトタッチで掴んでいた。

 しかし確かに触れている。


 彼女が魔術を使えばその瞬間にコルバンの命も危ない。そういう状況へと推移。

 無言で、コルバンのガラス玉のような眼を見つめる。その彼女の顔には、既に感情に伴う表情の微動が見て取れた。


「なんでバレた?」


 悠長な質問ではあるが、彼女は自分が有利な状況にいると判断して質問を投げる。


 対し、コルバンは呆れたような表情をわざと浮かべる。実のところ、彼は無意識に表情が変化することはないため、わざとその表情を見せているのだが、それはさておいて。


「なんでって、お前、さっき喉に不快感じて鳴らしたろ。ただの人形ならそういう反応はしない」


「……へぇ。それで、そのメス下ろしてくれない?鬱陶しいんだけど……」


「それは、別に構わんが……」


 呼吸もしてないのに一呼吸分のわずかな時間を空けてコルバンは呆れ顔へ移行。


「お前、もしかして自分が有利な状況にいると勘違いしてないか?……お前の首には爆弾が仕掛けられている。スイッチは信頼できる部下が握っていて、カメラで監視中。無論、カメラが映らなくなっても押すよう指示してある」


 そう言われ、視線だけ動かし室内をうかがえば、ワイヤレスで映像を送るカメラがこれ見よがしに複数台、壁に取り付けられていた。


「なるほど……でも、その場合、お前も無事じゃ済まないと思うけど……爆発するのが早いか、お前の全身が塵と化すのが早いか比べてみる?」


「狂犬だな……お前。生前からそうなのか?むしろこっちは蘇らせたんだから感謝して欲しいぐらい——」


「——別に頼んでない」


「……ったく。記憶戻る前の従順さはどこに……とにかく一旦落ち着けよ。生憎こっちは猫の手も借りたい状況でね」


 そう言って眼球に突き付けたメスをコルバンは降ろした。


「変な気は起こすなよ。お前がこのまま外へ出ても適当な所で野垂れ死ぬのがオチだ。表向き死んだ存在だし、お前みたいな境遇はレアだからな……だから交渉がしたい」


 そう言って真っ直ぐコルバンは彼女の目を見つめた。

 それが本当のことであると訴えかけるかのように。

 その目に何を思ったか、彼女は舌打ちを1つした上でコルバンの首から手を離す。


「……分かった。ただ、いつでも相討ちには持っていけることを忘れないように……」


 釘は一つ刺しておいて、


「分かった分かった」


 なだめるようにコルバンは返す。

 そして彼女から視線は外さずそのまま下がり、背後のパイプ椅子へ腰掛けた。


 ポケットからまだ新しいタバコの箱を取り出し、一本抜いた。徐に口へ咥えてライターを


「あの、タバコ吸うのやめてくんない?」


 その言葉はコルバンには納得し難い。

 副流煙を嫌う潔癖な人種には見えなかったから。


「なんで?」


「……知り合い思い出すから」


 真面目くさった顔で言う。

 それを聞いて、少しだけ迷い、手の内で抜き出したタバコを弄び、ペン回しの要領で箱に戻す。


「ま、いいけど、それでウィンター——」


「——盧乃木沙耶香ののぎ さやか


「え?」


「ウィンター・ミュートなんて横文字じゃない。私の名は盧乃木沙耶香ののぎ さやか


 少し不満を見せつつ彼女はそう答えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る