第56話 嗚咽

 ノトが立ち去ったその後の部屋で、棺姫と漆原はしばらく残り続けていた。

 少し、両者の間に横たわった沈黙の挙句に


「ああいう話し方しなくて良いだろ」


 聞き分けの悪い子供へ言い聞かせるように漆原は口火を切る。

 机はもうないので、より殺風景な部屋で棺姫は残された椅子に座り、漆原がその目の前の、ノトが蹴倒していった椅子を立て直し座っている。


「アレだとお前が全面的に悪いみたいになる」


「見捨てたのは事実だしね」


 冷静に言い放ち、彼女は椅子の背もたれに体重を預け天井を仰ぎ見た。

 淡々と話す口ぶり。

 その感情は推し量れず、少し、漆原は言葉を選んだ。


「見捨てた……か、もとより計画には万全を期す必要があった。未来が方向づけられてる以上、下手な干渉はできない。それでもリンには……いや」


 何を言っても言い訳がましくなることに気付き、漆原は舌打ちとともに発言を打ち切る。


「もしかして、同情してる?」


 理屈を組み立て、慰めの言葉をかけようとしていたのだと棺姫は気付く。

 対しバツの悪さを伴い彼は言う。


「逆にしてないと思ったのか?……長い付き合いだ、情も湧くさ……」


「……意外……いや、もう随分経つか……」


「そうだ。もとより俺はお前の味方をすると決めている。だから、犠牲を看過した俺も同罪ということだ……」


「……そう」


 その一言だけ残し、棺姫はその場から消えた。

 唯一残された漆原もすぐに部屋を後にする。

 いずれにせよ後の展開に備える必要があった。


◆◆◆◆


 圭介は車窓から外を眺めている。

 やけに城のようなデザインのホテルが両脇に並ぶ道。その利用目的は察しがつき、夜になればその利用客は増えるだろうが、昼近くのこの時間では閑散として通行人が時折目につく程度のもの。

 その道を抜け、ふと圭介は隣の、運転席のノトへ目を向けた。


「車、運転できたんだね」


「免許も持ってるよ。偽造だけど……一応運転の仕方は教わってる」


 前を見ながらノトは話す。

 見た所ペーパードライバーというわけでもなさそうだった。

 ハンドル捌きやギアチェンジについても慣れている……ということはそれなりに乗り回してるということ。


「運転できた方が便利だし」


「……まさか通行人から車奪うとは思ってなかったけど」


「それは……ハッ、別に良いでしょ。なんか明らかにガラの悪いチンピラだったし、実際カツアゲしてきたし、社会貢献?みたいな」


 ヤケクソ気味の話し方に、圭介は少し噴き出すように笑う。

 それを見てノトは会話の糸口を掴めた感じを思い、話を紡ぐ。


「あの、リンのことは……」

 

「うん……あ、」


「え……なに?」


「タバコ一本もらっていい?」


 圭介からそんなこと言い出すと思ってなかったのでノトは意外に思いつつ、


「……それは良いけど」


 そう言って箱をポケットから取り出し手渡した。

 車はちょうど交差点の赤信号に捕まる。


「あ、ライター……」


 ノトはそれをどこかに落としたままでいたと思い出す。


「いい、ダッシュボードにあった」


 銀色のジッポを圭介は手に取る。

 車の持ち主の物を。

 そして煙草ガラムの箱から一本抜き、慣れた手つきで吸い口に葉を寄せた。

 ノトはそれをチラリと見る。

 吸い口を叩き、葉を寄せると密に集まり、キマりやすいのは喫煙者の共通認識。


「それ、重めだから寄せる必要ないよ」


 横目に言う。

 圭介はパッケージを確かめるように見た。

 赤いパッケージに記されたアルファベットを。


「ああ、ガラムだっけ」


「前、一回吸ったじゃん」


 そしてノトは考え、


「前にも吸ったことあるの?」


 そう続ける。


「多分、何度か」


 答えつつ口に咥え火をつける慣れた動き。

 少なくともノトにはそう見えた。

 一回こっきり吸っただけとは思えない手つきと、そして


「重いな……」


 そう言いつつ窓を薄く開け、圭介は車外に煙を流す。車内の灰皿に彼は煤を落とす。

 車の持ち主は結構な本数すでに吸い終えていたらしく、吸い殻が山になり積み上がる。

 それを窓から放り出すのはマナー的にはやりたくない。


 その一連の物を見てノトは前に向き直り、まだ赤信号で「長いな」と思いつつ、ふと周囲に目をやった。

 今日は平日だ。

 道を行き交う数多あまたの人々。歌舞伎町から出て、新宿駅近くの交差点。

 昼前で、行き交うスーツ姿の人々は営業先を渡り歩くサラリーマンか、他には大学をサボったと思しき学生、その他、背の高い外国人観光客。


 ノトが諦めざるを得なかった生活を送る人々が駅前を行き交っていた。


「なんか……なんかさ、平和だね」


 それを見て、思わず呟く。


「ん?……え、なに?」


 聞きそびれて圭介が聞き返す。

 ノトは、目の前の光景に目を奪われていた。


「いや、平和だなって」


「平和?……まあ、この光景だけ見たらね」


「……うん」


 大方の人にとって日常の光景。

 確かにこの光景を見る分にはそう言えた。

 その眩しさにノトが少し目を逸らすと、ちょうど圭介と目が合う。

 その瞳の中は、以前の彼と異なる存在だと明白に示している気がした。

 妙に落ち着いて、全てが分かっているような。疲れているが、それが当たり前となって、人間と完全にかけ離れた目をしている。

 少し、棺姫の瞳に似ていた。


「なに?」


 じっと見ていたことに気付かされ——信号の切り替わりがやけに遅い。


「いや……なんでも、何でもないよ」


 少し、話題を変えようとする。


「そういや……そういえばさ。私もあんま詳しくニュース見てないけど、日本の総理大臣亡くなったらしいよ……あと、アメリカの国防長官とか、えっと、トマス……なんだっけ」


「トマス・ハリー?」


「そう、それ」


 信号が青になる。

 今話題に出した彼らの死に加担したことは敢えてあげつらわない。

 今この時の平穏のために。

 ただ、少しだけ圭介がどんな反応を返すのか見たかったのはある。表面的には以前の彼と同じに見えた。


 ノトはハンドルを切り交差点を右に曲がる。

 曲がった先の横断歩道を歩行者が急ぎ足で渡っていたので少し待ってからアクセルを踏み、


「そう言えば、さ……」


 圭介が話を切り出す。

 多分、ノトが会話を望んでいるだろうことを察し


「これ、どこへ向かってるの?」


 行き先も聞かないで圭介はノトへ付いて来た。

 だから聞いたが、その質問を聞き流すように彼女は少し無反応を貫き、対し圭介は特にそれを重ねては聞かない。なんとなくそれが答えのような気がしたから。


 だから、車内には静けさ。

 ラジオでも付けようか……なんて思ってみたら、自分の知っているスイッチとツマミのカーステレオはなく、ディスプレイ付きのカーステレオだったので少し戸惑い、今ってこんな感じなのか——と思い、


「あの、これ、ラジオって……」


 と、ノトに聞こうとしたら赤信号で車は止まり、そしてノトは頬に涙を伝わらせていた。目から流れ続ける。


「どこにも向かってないよ、どこにも……」


 そう言った。

 その顔を目の前の横断歩道を渡るセーラー服の女子高生がギョッとして二度見した挙句、見なかったことにして通り過ぎてゆく。修学旅行中なのか大きなカバンを背負っていた。


 そしてノトは数秒、ハンドルに顔を伏せ、声も出さず、後ろの車がクラクションを鳴らして信号が青になったことに気付き、アクセルを踏んで直進。


「あの、ごめん。これ、愚痴だから。だから、適当に聞き流して……これから話すこと……」


 外の景色は流れてゆく。


「私……私さぁ、ほんとは、本当は……普通に暮らしたぃ……普通に高校卒業したかったし、大学も……成績良くなかったから行けなかったかもだけど、行けるんなら行きたかったし、普通に就職とかして、普通に、普通に暮らしたかった。バンドとかもギター練習してたからやりたかったし……」


 しゃくりあげながら続けた。

 圭介は前を見ながら聞いた。

 目を細める。かける言葉を探る。


「ごめん、ほんと。アンタの方が辛いのに。でも、クッソッ、でも、わっか、分かんねえよぉ、もお。リンは死んじゃうし、棺姫あの人なんか頭おかしいし、漆原さんもなんも喋んねえし、でも、私の居場所あそこしかないしさぁ。もう、なん……なんなんだ、なんなんだよぉ……」


 泣きながら、捲し立て運転が粗くなる。

 そんな彼女は「クソっ」と最後に悪態をつき苛立ち混じりにハンドルを拳で叩くと、クラクションと共にその表面がパキッと少し割れた。


 そして、長く、ため息というより息吹と言いたくなるような長い息をノトは吐く。

 全ての感情を押し流すように。


 そして、運転が元の安全なものに戻り、


「あの、変わろうか?運転」


「いや、良い。適当にドライブ……ドライブしてこ」


 鼻水を啜りながらノトは言う。


「ごめん、ティッシュ持ってない?」


 すでにダッシュボードから取り出していた箱ティッシュを圭介は差し出し、そこから2、3枚引きちぎるようにノトは取った。


「なんか、なんかさ……チンピラの車の割に色々備わってるね」


「ガムとかもあるけど、後はラッキーストライクが1カートン」


 少しだけ、機嫌を直したように


「ふはっ……っちゃえっちゃえ」


 泣きながら少し口元に笑みを浮かべて、更に彼女はアクセルを踏み込んだ。

 外では相変わらず忙しなく人の群れが流れ続けていた。

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