第55話 哀れなる者たち

——追憶


 その子と初めて会った時、漠然と、とても綺麗な子だと思った。お人形みたいで、髪はサラサラと。その時は染めていなかったから黒髪がとても印象的だったのを覚えている。


 そして彼女と話して、彼女がその端麗な容姿以上に変わっていることを理解してもその印象が揺らぐことはなく、でも彼女は……羽二重はぶたえリンは傍若無人で嘘つきで、見栄っ張り。誰かに甘えたい願望が強く、やっぱりなんかサイコパスで、——あー……この子、まともな人間関係作れないタイプだなーと、思ってからはこちらから気を使い話しかけるようになった。


 それが、なんか、しれっと男を見つけたらしく、やけにナヨっとしたガキで、大丈夫か?と最初は思った。

 後、彼……武藤圭介はなんか胡散臭かったし。

 けれど、よくよく話してみれば彼も彼女と似たモノ同士のようで、なら大丈夫だなと思っていたのだけど——


◆◆◆◆


「なん……え、なんの……」


 喉を鳴らすように、目の前で女は笑った。

 芝居掛かった具合に。


「ふざけてま——」


「——いや、そんな動揺しなくても、ククッ……ま、その話は置いといてさっ……」


——置いておくならなぜ、そんな話をした


 と、聞きたかったものの、これ以上話がズレるのをノトも望まない。


「じゃあ、話を戻そうか。先に確認しておくけど、君が知りたいのは『なぜ武藤圭介を拘束するのか』だね?」


「……ええ、そうです。そうですね」


 少し、イラ立ち混じりに答えた。

 なるべく落ち着こうと努力はしている。

 そんな感情を見透かされている気がした。


「それについてはこう答えよう。彼が敵側に寝返る恐れがあったからだと」


 数秒の時の空白。


「は?」


 先のおちょくりとは違う意味で言葉を飲み込む時間をノトは要した。

 意味の咀嚼はできそうにない。


「待ってくださ、敵?敵って……殲滅部隊のこと?なんで」


 知らぬ文法で話されたような困惑。

 だって、圭介は戦っていた。

 それが、なぜ寝返るとかそういう話になるのか。

 いや、リンから圭介の記憶喪失について相談されたことがあったと思い出して、そのことと無理やり紐づけようとする。

 それなら有り得るのか……?——と、紐づけようとして結局できなかったが。


「殲滅部隊もそうだけど、正しくはそれに準ずる存在……むしろその背後にいる存在と言えばいいかな」


「……他に敵対してる連中がいるってことですか?」


「そう……『双頭の翁』寧楽楪ねいらくちゃ・ドップマンに連なる者。かのおうは『外道者アウトサイダー』を庇護する存在であり、同時に敵対する存在ともなった。そして今回の敵、『殲滅部隊』との闘争に当たり、武藤圭介には全面的にこちらの味方で居てもらう必要があった。だから彼の過去を封印し……リンには——」


「——おい」


 漆原は黙ってここまでを聞いた。

 しかし、そこから先を話すべきではないと棺姫を制す。


「やめておけ」


 少しだけ感情を露わあらわにして。

 しかしノトはあくまで


「……なんです?」


 問う。


 少し、嫌な予感はした。

 聞くべきではないと、直感が告げている。

 だが聞かなければならないと決意が促す。


「リンには?」


「——リンには死んでもらう必要があった」


 冷静な言葉。冷や水のよう。

 この部屋へ踏み込んでから一番話の理解に苦しんだ。

 それにノトは思う。

 その言い方はなんか……違うんじゃないか——と、それだと、まるで、棺姫がリンが死ぬよう仕向けたみたいになってしまう。


「いや、違うな。死んでもらった方が都合が良かった——か。別に難しいことじゃない。彼と共に彼女、リンにも目立つ活躍をしてもらう。それだけのことだ。別に死ななくても良かったが死んでもらった方が都合が良かった。彼女は、昔の彼によく似ていたからちょうど良いかな……と思ったんだ。恋仲になってから死んでもらったら、少なくとも殲滅部隊の側には付かなくなる」


 常識が、この部屋でだけ歪んでいる気がした。

 ノトは目の前の理解できない存在を見る。

 コレは……なんだ?何を言っている?

 なんでそんなことが言える?


「あの、それ、本気で……?」


「本気も何も、そうなったでしょ」


 いや、待て、待った、冷静に……冷静に


「いや、いやいやそれだとアナタの側にも付かないでしょ」


「さぁ、どうかな。何にせよ私は彼の信奉者だからね……」


 無性に、やけに冷静な態度が鼻につく。

 漆原が現況に対しため息をつく。

 それをチラリと見るが、ノトは正面に視線を戻した。表情が引き攣るというより硬直してゆく感じ。血の気が引く。

 ただ、真っ先に胸の内へ湧いたのは、コイツは今すぐに死ぬべきなんじゃないかという使命感に似たもの。


 体は勝手に動いて——

 目の前の机を蹴り上げ、天井へ当たる寸前、それは消え失せ、進み出て椅子へ座る棺姫の胸ぐらを掴み上げる。

 それになされるがままの彼女を前に、拳を固めた段階でそれが全く意味のないことだと理性が告げ始めていた。手を止める。

 漆原も様子を伺う、手は出さず。


 目の前の女はゾッとするほど整った顔付きで、なりゆきを見守る目をしていた。

 深奥を覗ききれない淵を覗く感覚。

 他人事のように。

 まるで当事者じゃないかのように。白けた目をノトへ向けて、腹が立つ、


「あの……おかしい、ですよね」


「何が?」


 唇が震えた。


「何が、何がってアンタ。だって、あの子死ぬ理由ないでしょ……」


「それは……言ったはずだよ。武藤圭介が万が一にも裏切らないようにする為。そもそも殺したのは私じゃない——」


 大きく息を吐かざるを得なかった。

 気分は落ち着かない。

 世界という常識が自分を置き去りにしていった、あの時のような感覚。殺人衝動を意識した、その時のこと。


「分かってんなら……分かってたんなら殺したも同然、でしょ……」


 もっと、喚こうと思っていた。

 それでもやけにか細く声が出る。

 『外道者アウトサイダー』の本能がその昂った感情を均そうならそうとしている。

 冷静になれと。いつでも人を殺せるようになれと。

 愛し合った挙句にそのまま相手を殺せるような異形の精神が促す。


 これは、自分が言いたいのは倫理の話だと彼女が自覚する一方で、それをお前が言うのかと冷笑する自分も存在する。

 散々人を殺したお前が言うのか——と。


 だから、胸ぐらを掴んだ手を離せば、トスンと、棺姫は席に着く。

 対し、ノトは机を蹴り飛ばした際、自分の椅子も蹴り倒したので、それを起こすのも億劫おっくうな気がして立ったまま、イラつき、少しウロウロ足を動かす。足の指に力が入っている。


 結局自分が何を聞きたかったのか、ようやく思い出した。


——圭介をなぜ監禁するのか


 それはもう聞いたから、それで……だからなんだ。

 頭の中がまとまらない。

 まとまらない頭で思考をまとめ、唯一頭に浮かんだ質問を絞り出す。


「最後に一つだけ、いや、圭介の居場所も教えてもらいたいから二つなんですけど」


「どうぞ」


 清々しいまでに棺姫は落ち着き払う。

 掴んだ胸ぐらも元に整う。

 ノトも冷静に話そうとする。


「圭介の裏切りを恐れる理由はなんですか?その、人畜無害……じゃないですけど、良いやつでしょ?」


「……彼は昔、といっても今の彼に生まれ変わる前のことだが、あることをやってね」


 少し、意味のわからないところはあったが、この際ノトは無視する。


「なんです……」


 タチの悪いユーモアを込めようと思ったのか、彼女は


「逆に質問。なぜ我々『外道者アウトサイダー』は若い奴らばかりなんでしょうか。別に40代50代の奴がいても良いよね」


 それに面食らう。


「はぁ?そんなの、知りませんよ」


 急に話が切り替わった。


「そう。じゃあ言うけど正解は彼……武藤圭介がみんな殺しちゃったから。彼はね始祖の『外道者アウトサイダー』であると同時に『外道者アウトサイダー』を皆殺しにしようとした叛逆者はんぎゃくしゃでもある」


「え——


◆◆◆◆


 ベッドに腰を掛けている。

 立ち上がった。

 どこかで空調の音が鳴り続いている。


 この部屋にある音といえばそれぐらいの物でゴォゴォと、老人がむせるような、そういう乾きと煤けたすすけた音色を含む音がこうも長く聴いていると地響きのように耳に残り続ける。


 そして立ち上がって、何をしようとも考えていなかったことに気が付いた。


 それで、なんと無く洗面所に向かい、設置された鏡を見る。

 鏡を見ると他人の顔が映っていた。


 いや、この他人の、少年の顔こそが自分の——いや、ぼくの顔だ。


 多分、僕は、僕の前の自分もそういう認識で生きてきた。

 彼らが何をその時考えて何に悩んでいたのかは分からないし、時折波のように彼らの感情が噴き出すことがあるだけだけど、彼らもまた僕なんだ。


 だから、ぼくが自分の顔に自身のアイデンティティを見出すことはできない。

 これまでの8度の人生も、今の9度目の人生もそうだ。


 それで……


「リン……」


 彼女の存在をこのところ夢に見る。

 それもそのうち薄れてしまうのか、という認識が悲しい。


 いや、でもここから出ないと。

 このまま殻にこもっていては駄目だという漠然とした焦りが誘発される。

 僕にはやるべきことがあると、だから部屋から出ないといけないと思ったその時、まるで殻を破るかのように扉の開く音がして、靴を脱ぎ捨てた後、ドタドタと上がり込む音。


「圭介っ、居るっ?」


 と言った矢先、洗面台の前に立った僕に気づいた彼女。


「ノト?」


 彼女の名を呼んだ。

 本名ではない愛称のようなものだが、リンにつられそういう呼び方をしていたし、本人もその方がしっくり来てるらしかった。


「なんでここが……」


「棺姫さ……棺姫に聞いた。あの、色々言いたいことあると思うし、私もあるけどさ。あの、ここ出よ」


「出るって、それは、もちろん」


「あ……いや、言葉が悪いか。率直に言うと……このマンションから出ようって話」


「……え?」

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