第54話 これから始まること

 既に日は高く、午前10時を回っていた。

 その時間ともなると、この街でも人通りや道路を行く車の気配が増えてゆく。

 夜にのみ本性を表す歌舞伎町という街は「眠らない」ではなく「夜型」の街という形容がよく似合うが、それはさておき、この時間のこの街に、その煤けた煉瓦色のマンションは依然変わりなく佇んでいた。


 もとより表通りを外れ、奥地という立地の悪さで目立ちようがないのもあるが、普段通りの姿形を保っていた。

 何もなかったかのように。


 明け方に終わったばかりの戦闘の痕跡は瞬く間に片付けられた。

 そこには異能による隠蔽の助けがあったとは、その住人と一握りの者しか知る由はない。


 そして、中では未だ片付けが続けられていたが、その忙しさと、一時的に切り離された空間があった。

 10階の、とある一部屋だ。

 その1LDKには机と一脚の椅子のみが並ぶ、うそ寒い空間。

 部屋には2人の存在。


 1人は椅子に座る棺姫。

 彼女は机に並べた5台のタブレットへ視線を送り、延々とニュース動画を眺めている。


 顔をしかめたニュースキャスターが病院の前で告げていた。

 数多の人が病院の前へ押しかけリポートをしている。


『えー、たった今、永井総理大臣が亡くなったことが確認されたとのことです……えー、こちら、今一報でお伝えしていますが永井総理大臣が搬送先の病院で亡くなったことが確認されたとのことです。死因はハッキリとはしておらず——』


『先日、会見中に倒れました矢神次郎外務大臣が搬送先の病院で——』


『先日、アメリカ合衆国国防総省のトマス・ハリー国防長官が搬送先の病院で亡くなっていたことが発覚しました。これにより、今、ペンタゴンは——』

 

『先日、イギリス軍将校2名、元将校3名が謎の不審死を遂げた事件について不確定ながら死因が判明しました。なんでも司法解剖の結果、臓器の一部が消失していたとのことです。また、彼らは非合法な臓器移植を受けていたとの発表もあり——』


『これら一連の事件についてロシア政府は何者かによるバイオテロの可能性を——』


 つまらなそうに眺めた。

 机に並べたタブレット端末を。


 全てわかりきったことだから。

 白けた目を向ける。

 そんな彼女は陰謀やオカルト系の動画を覗き、投稿者がどれだけ真相と離れた空想……いや、推理をしているか見た方が面白い——などと考える始末。


「楽しいか?それ……」


 その様子を見てとった漆原が口を挟む。

 彼は椅子に座らず壁にもたれ視線を下げ、だらけた様子の棺姫を見ていた。

 前傾に机へ顎を乗せていた彼女は視線に目を向け、


「別に……そっちは?」


 と返す。

 漆原は手にスマホを持ち横向きに、画面を眺めていた。


「……暴落だな」


 直角の折れ線グラフを見つつ答えた。


「種を蒔く準備は万端か……」


 呟く。


「……これからやることに横槍入れさせないのが目的だからね」


 その言葉を聞き、用は済んだとばかりに壁から背を離し、彼は扉へ向かう。


「……俺はそろそろ行く。今後の打ち合わせも終わったし……」


 と言った矢先、その見ていた扉が外へと開かれた。

 元より鍵はかけていなかったものの、部屋の前の姿を見て、


「あ……」


 それは、扉を開けた者の声。

 外気が冷たく吹き込み、そこにはノトがドアノブを握りしめ、しばし固まっていた。

 中を見て、漆原と棺姫の姿を認めて、しかしあちこち探し回った挙句この部屋へたどり着いたものだから、ここにいるかも半信半疑だったから漏れた——そんな声。


 彼女が扉を開ける寸前に棺姫は姿勢を正して、


「そろそろ来ると分かっていたよ」


 落ち着いた声で言う。

 ノトからすれば普段聞く彼女の声。

 しかし、漆原はその言葉へ眉を顰めたひそめた

 棺姫が「そろそろ来ると」ではなく「」と言ったことに。

 その些細な違いは、当人を除けば漆原にしか分からない。

 だから、


「入れよ」


 そう言ってノトへ入室を促し、漆原自身も暗にしばらく部屋へ残る意思を示して、その予定変更へ呆れとも、うすら笑みとも付かぬ一瞥いちべつを向けた棺姫。


 ただ、その全てのやり取りはノトが気づかぬ程度の些細で酌み交わされた。

 ノトは靴を脱いで玄関を上り、出現した椅子、


「長居するつもりは——」


「——武藤圭介のことだろ?」


 棺姫が差し挟む。少しだけニヤついて。

 彼をなぜ拘束するのか、それを問いただすためやってきたノトはもちろん……図星だったものの、こうも直で当てられると分かっていたなら、なぜ何も説明がなかったのかと別の勘繰りも湧いてくる。


「……時間は無いが、その前に君には色々話しておきたくてね。だから、聞いて欲しい。それに亡くなった者たちのことなら心配ない。既に防腐処理は済ませてある……」


 自分のペースで、棺姫は話を進めている。

 ノトは感情が先に走ると相手の言い分を無視する悪い癖があったが……やはり棺姫の前だとそのペースも崩れた。


 この人の言いつけ通り動けばうまくいく——そう思わせる蜜が目の前で垂れているからだ。

 甘く、蕩けて、飲み過ぎれば自律思考を奪う甘い蜜。

 実際それでうまくいくからタチが悪く、彼女もそれに甘えている節があったと、この瞬間にようやく自覚を得た。

 じんわりと、この部屋にこのままいても良いのかと警戒心が芽生える。


「ノト」


 横から声がし、首を回すと漆原が促すように見つめている。

 だから気を取り直し、


——場所を変えるべきか?


 例えば歩きながら話すとか……そういった相手のペースを崩す方法を考える。

 どうにも、この空間が良くない気がした。

 棺姫と向き合い話さねばならぬこの空間が。


——いや、考えすぎだ


 何を警戒しているのか。

 自分のことを疑問に思いつつ、


「……わかりました」


 部屋に残り話を聞く意思を示す。

 出現した椅子へ座れば視線の高さがちょうど同じで目が合う。

 その目の感じが少しだけ子供っぽい笑みを含んでいた。


「それで結局、話というのは」


 その質問へ満足げな笑みを絶やさず口を開き、足を組み、


「んー……外道者アウトサイダーの今後について、どうやって数を増やすかとか、武藤圭介について、とか……」


「それは……みんなに伏せていた話も?……なんで私に?」


 話す順序を考えるように間を置き


「渦中にいる者の中で、君だけが事情を知らなさ過ぎるから……かな」


 意味が分からなかった。


「渦中って……?」


「武藤圭介に近しい者って言った方が良いか。ま、その前に……ちょっとやってもらいたいことがあって」


 そう言うや立ち上がり、その瞬間机へ並んだタブレットのうち、4台までが消え失せる。

 その内ちょうどノトの手に合う小さな一台が残され、その電源を落とし、ノトへ滑らせ渡され、ピタリと目の前で止まる。


「あの、これ……」


「私の能力で創ったやつ。パスワードは『1952』ね」


「……いや、パスワード言われても」


 棺姫の創り出した物体、中でも科学技術に依存した品はそれを創った彼女にしか扱えない。

 リンだけがそのルールの例外だったが、それを今、ノトに動かしてみろと言っている。


「いいから」


 そう言われ戸惑い、そのままにサイドボタンを長く押したノトは、ディスプレイに光が灯るのを見る。


「あれ?」


 このマンションで初めて棺姫と話した時も同じことをやるよう言われた。

 でも、その時はボタンを押しても何も反応がなく、


 そしてロック画面へ移り、


「『1952』でしたっけ?」


「うん」


 何か期待し、待ち望むような棺姫の瞳。

 それを訝しみつつ番号をタップしてゆく。

 1、9、5、2……

 ロックが解除されアプリが並んだ画面へ移行。


「開きましたね……」


 電源が付いた時点でそうなりそうな気はしていた。言いつつおもむろホームボタンを2度押し、起動中のアプリを表示。

 先まで棺姫の見ていたアプリの形跡とバッテリーの「100%」の文字。

 順に視線を運んでそこまでやって、


「それで、これが?」


「そのこと含め、これから話すよ」


 そう言った瞬間にノトの手からタブレットは消え、空を握る感触が手に残る。

 今のはなんだったのか、その疑問を飲み込み、ノトの視線の先で棺姫は口を開く。


「まず率直に聞いておきたいんだけど……」


「なんです?」


「君、圭介のこと、少し好きになってきてるだろ」


 その言葉を飲み込むには、長めの時間を要した。

 この場でそれを聞く意味が分からなかったし……


「……え、は、はぁっ?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る