第48話 人魚姫
観音開きの扉を開ける。
さながら劇場に踏み込むように。
その先で天より差す光が揺れていた。
包み込むような暖かさはこの場合に限れば不快で、戦闘が始まりしばらく経ってなお未だ血を啜っていない異例の状況の聖剣『エル・カド・ハムル』を手に携え、アリーシャ・ドロステは地下大広間へ入室を果たす。
ふと見上げれば、アクリルガラスの透明の向こうにジンベエザメとリュウグウノツカイがゆらゆらと泳いでいた。
「できることなら人魚でも泳がせたいんだ。本当はね……」
声が透き通る。
細々と、しかと聞き取れる声量で。
視線の先、静謐な大理石の古代ローマを思わす台座の上へ棺がポツンと置かれ、その上でスーツを着崩す女が胡座をかいて座る。
その、うつむき加減の姿勢。
長い髪が身体の前面を覆い隠すように垂れている。
「人魚?」
「そう。アンデルセンの人魚姫……好きなんだ」
そう言って
「最近のじゃなくて原典の方ね……」
気さくな話し方。
「原典……それを子供に読み聞かせして泣かれたことあるがので私は嫌いですね……」
などとアリーシャは悠長に返してしまう。
なぜだろうと思いつつ会話を続けた。
人魚姫はメジャーな話。
ただ、例に漏れずそのあらすじは後世の改変が多い。
原典では確か、足を手に入れた人魚姫は王子に拾われ宮殿で暮らすが、彼にはお見合いの相手ができて叶わぬ恋と気付き、それから……
「王子を刺して生き血を浴びれば元の人魚に戻れるって話になるんだけど……」
そう、確かそういうくだりだ。
それが子供にはウケが悪い。
ついでにラストの話もウケが良くなかった。
結局人魚姫はそんな物騒な事をせず泡になって消える。いや、風の精になるんだっけか……
そもそもアリーシャが子供へ読み聞かせをしたのはかなり前の話で、うろ覚えで——
「で、これから殺し合う相手に何故そのような話を?」
「どうせなら……相手のこと少しは理解してからやりたいでしょ?」
共感はできない。
もとよりするつもりもないアリーシャは剣を構え、周囲360度取り囲み出現した重機関銃タレットと、真上より迫る爆弾を抱えるドローンの襲来に応じる。
◆◆◆◆
景色が背後へ過ぎ去ってゆく。
全ては流れる勢いだ。
踊り場ごとに飛び降りるせいで、一足か二足、足をつければ次には瞬く間に下の踊り場へ圭介は
あの幼い魔術師を仕留めてから
不可解ではありつつも敵はこちらの狙いを読んだのだと気付いたが、しかし随分な自信過剰。
棺姫と自分、2人を同時に相手取れると想定し道を開けたのだから。
地下大広間で繰り広げられる戦闘は互いに攻め手を欠く状況で拮抗にもつれ込んだと
——ヒツギと互角か……
実際にそうなのかは直に見なければ分からない。
特に相手が手の内を隠すうちは。
そうして、最下層のコンクリートを踏む。
降りてきた階段の欄干に手を置き、その威容と言うより入りづらさを躊躇いとして感じつつ、そんな瞬くような時間と迷いを切り捨て
防音が完備されていたのだろう。
中へ入ればやかましいまでの銃撃の音。
腹の底を震わすような。
そしてスイと踏み込み、床を踏んだ一足、さながら飛んで突き出した一刀はその寸前でアリーシャに気づかれ首の動作でかわされる。
目を細めたアリーシャと視線が噛み合う。
——かわされた
圭介の思考。
背後からの奇襲で決めるつもりだったのに。
と思った瞬間に急速な動きで圭介をその視界に収めるため彼女は後退り、それを見送る。
「向かってきてるとは知っていましたが、挨拶も無しとは……無礼が過ぎませんか?」
「聖職者が無礼を説くかよ」
芝居掛かった皮肉の応酬。
それを聞くため棺姫は一時、その攻撃を止めた。
いや、彼女はこの時分身を生み出していなかったが、現していたならその顔は満面の笑みであったことは間違いない。
それほど待ち焦がれていた。
「ま、良いでしょう。ちなみに私はアリーシャ・ドロステと名乗る者。あなた達両名と殺し合う者の名です」
「殺し合う?」
手慰みに刀身を撫でつつ
「殺すとは言わないんだな」
「それは、そうでしょう。ねぇ?」
「は、ちげえねぇ」
そう吐き捨てた圭介へ、釣られ上品に笑い始めたアリーシャは少しだけ楽しそうに。
その意図とは、条件の近しい相手、つまり剣士との闘争が望めると見込んでのこと。
彼女が密かに『最強』となって以降、その相手は多くの場合異能に頼った戦い方をする者、銃に頼る者が大半であった。
無論、この状況でも棺姫と圭介双方を相手取る点と、両者の備えた異能を思えば単純な剣の闘争とは言い切れない。
しかし、彼の振るい方には少々濡れるものを感じていた。
それに、聖剣という神秘——未だその一端しか見せぬ最高峰のバックアップが手元に残されている——とすれば条件はほぼ同一と言って良い。
だから楽しみなのだ。
目の前の少年に見える怪物がどのように刀を振るうのか、あるいは振るわざるのか。
「さて、始めましょうか——
音を置き去りにした初手。
互いに剣の間合いへ敵を捉える。
西洋剣と日本刀という得物の違いはあれど個人で携行し、片手、両手双方の扱いが可能という意味で、その間合いは同一のものと言えた。
そして互いの意図を読み合うように——
圭介の振るった刀の間合いが瞬時に伸びる。
その握り手が右手一本へ移行し、かつ位置が鍔元から柄頭、即ち持ち手のギリギリにまで滑り込む。
2度は使えない、一度きりの間合いを伸ばす奇襲を速やかな斬殺のため惜しまずに使用。
ゆえにアリーシャは攻撃の中断の必要に迫られたかと思えば、倒れ込むように、その身が沈む。
敵はその意図からして速やかに仕留めにくると読んでいたために後の先に合わせ圭介の足を獲りにいく目論見をはなから仕組んでいた。
であれば、その攻防はアリーシャに
だから相手の力量を読み切る前に早々に戦闘を終わらすため賭けに出られたのだ。
——重機関銃の砲の如き音が鳴る
まるっきりタイミングを合わせた棺姫によるタレットの形成。
一歩間違えれば圭介諸共巻き込みかねない——それゆえアリーシャも予想せずにいた位置とタイミングで銃撃は、意表を突くこととなるが、それを躱し——いや、掠めた。
掠め——
「厄介な……」
と嬉しそうに彼女はボヤく。
既に棺姫の呼吸と言うべきか、どの状況で、どのタイミングで、どの位置で攻撃を加えてくるか既に自身の無意識かつ本能に刷り込みつつあった彼女は野生のような勘でそれを躱し得た。
そのまま流れる動きで弾道を避けタレットへ接近し斬り伏せる。
しかし、わずかながらの出血。肩の位置に。この場合、これは讃えるべき事実だが。
「人間とは思えないな」
「人間死ぬ気になればこのくらいできますよ——
その
ただ、それを彼は握っていない。
投げてきたのだ。
その手に握った得物をなぜ捨てる真似をしたのか——について瞬時にアリーシャの脳に可能性が示唆される。
——間を詰め脇差による居合抜きの目論見
——投擲物、銃器による攻撃
——棺姫による援護
全て違う。
断じて否だ。
圭介の打刀、その投擲の一直線というシンプルな軌道が急に握って振るような不規則性を備えた。
圭介が投げた刀、それへ彼自身の跳躍により追いつき握っていた。
弾く動作をしていたなら次で手遅れ。
素晴らしい騙し討ち、おそらく『
知っていたから対処できる。
そのままに両者接近。
近間での斬り合いに移行。
とはいえ圭介はその日本刀を聖剣へぶつける無様をしない。
日本刀はもとより理想的な扱いをする場合鍔迫り合い、打ち合いなどはすべきで無い。
何より切れ味が命でそれを失えば途端に棒切れと化すので
「ふっ」
どちらのものともわからない呼気の音だけが続く。
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