第24話 ウィンター・ミュート
広いだけに見えたその部屋は精緻な模様の円形テーブルと椅子が二脚、それ以外は一切の家具がない。
駅前、都会の喧騒から高さで距離を取るその高層の空間は、どこか浮世離れして——
だから余計に広く感じるのか——とコルバンは考えていた。
人里離れた廃屋のような物。
人の気配は無く、物も少ないからガランとして、それを綺麗に改装すればこんな風になる——という思考。
ただ、それを目の前の女性に言わないだけの分別は備えていた。
この部屋の主——ジェーン・ドゥには。
2人で向き合って椅子に座る。
目の前のテーブルでは用意された紅茶の湯気が天井へ昇り消えてゆく。
その紅茶はコルバンがこの部屋へ入った時、すでに用意され、ちょうど淹れたばかりのように温かく、だからかえって手はつけづらい。
誰がたった今淹れたのだろう——などと考えてしまうからだ。
まさか目の前の女性手ずから淹れた訳でもあるまい。
「では、時間も時間ですし、話を始めましょう。今回の報告を」
「ええ、文面だけでは認識のズレる箇所もありますしね」
そう言ってコルバンはジェーンへ話を促す。
内容は一時的に彼女へ委託された先日の作戦、その顛末。
その顛末の話はそれから15分ほど続き、報告書通りで新鮮味もなく、紅茶の冷めた頃合いには一区切りつく。
「……結果は以上。あなた方に譲渡したコートの実証実験は完了。充分実用に足るでしょう。犠牲者は1人……一応生死は不明」
ジェーンはそう言って結果を総括。
対し、黙って全て聞いたコルバンはしばし間を開け、結局紅茶には手を付けず口を開いた。
「いや、恐らくやられているでしょう。龍三は」
「その根拠は?」
「秘密です」
おどけるように。
「……なるほど、構いませんわ」
隠し事はお互い様だ。
「ところで……」
そう言って彼女は指を組んでその上に顎を乗せる。
コルバンが部屋へ入室したその瞬間から気になっていたであろう事を彼女はようやく指摘することにしたのだ。
「その右腕はどうされましたの?」
それはコルバンの右腕が付け根から存在しないことだった。
右腕を根本から削いだような喪失。
服の袖だけがプラプラ揺れていた。
少し、その重心に慣れてなさそうな姿勢は、つい最近その傷を負った事実を暗に告げた。
「これは貴方からいただいた例の骸をイジった最中やられましてね」
「まあ、それは申し訳ありません」
そう言って手元の紅茶に彼女は口をつけ、
「それで、一体何が?」
聞いた。
少し考え、コルバンは話して良いと判断する。
そもそもあの『
ひいてはその背後にいる『双頭の翁』たる
本当にああなることを予期できなかったのか話の反応から割り出せるかも——と考えた。
若干当てつけを含むことは否定できない。
そして話す内容を頭でまとめるとコルバンは話し始めた。
昨晩、何があったのかを。
◆◆◆◆
その夜、コルバンは寝台に横たわる新鮮な死体の最終調整を行なっていた。
「記憶の封印は完了。命令権はコルバン・ルガーを第一優先に。他には……」
声を出し確認してゆく。こういう手間は惜しむべきでない。
そんな作業の最中、骸を直視。
寝台に横たわり美しい黒髪は明かりを照らし返す。その髪の中から生えたように頭部の数箇所へ複数の管を繋げていた。
机の上のゴテゴテした端末から伸びるゴムの管だ。
既に脊髄周りや筋肉の駆動は調整を済ませ、今は脳の調整中。
脳とは生の人体がそうであるように死体にとってもデリケートな箇所。
「問題……無いな。いや、問題無さすぎると言ってもいい」
それが、目下、彼の頭に引っかかり続けることだった。
普通の人間や動物の死骸ならどれだけ新鮮に保たれようと多少の劣化は免れない。
そもそも鮮度を保つため肉体の中身は最低限動かすのに必要なものを残し、他——胴体に詰まる大方の臓器は取り除くのがいつものやり方だ。
しかし、この『
だから普段は行う臓器の摘出も、今回は急ぎで作業を進めた都合もあって行わず、もし、これが目覚めたなら食事から消化、排泄まで可能かも——とコルバンは考えていた。
「いや、それは流石に……」
無いとは言い切れない。
「いや、とにかく……」
脳のテストだ。
動かすのは首から上だけ。
この段階で体も動くよう設定すると想定外の挙動で襲いかかってくることもある。
「始めるか……」
いくらか簡単な質問をし、その応答を聞く。
そういう単純なことから順に進める。
手元のタイプライター型魔道具を操作、その近くに用意した高圧ボルトのバッテリーからその骸の脳へ電気信号を送り込む。
そして、首が痛みに打ち震えるようにビクビク振動を始め、それがピタリと数秒で収まったかと思えば、美女がゆっくり目覚めるように、瞼を開いて天井を見上げた。
そして視線を動かし、周囲を窺い始め、その顔には困惑の表情。
通常の剥製を動かした時以上に自律的、意識的な挙動をしてる様にも見えたが、このぐらいは通常の死体でも稀に起こる。
「OK。起動は成功……じゃあ、名前を名乗れ」
命令を下す。
脳がきちんと動くなら骸は耳で聞き脳で考え口で答える。
「ノノ……
多少のノイズはあったが、流暢な喋り方。
なお、嘘をついたり黙ったりなど反抗的な態度は取れないようロックをかけている。
「じゃあ、そうだな……お前のことを少し話してくれ」
数秒の沈黙。
「質問の意図がよくわかりません」
コルバンはこの返答を聞いて少し安心。
この返答を聞きたくてあえて曖昧な質問を投げた。
この、目の前の骸が自分の手に負えるものと確認するために。
自意識を持たない骸は明確な意図と意味の質問にしか答えられない。
だが、これを切り札として運用する以上、何か想像以上の結果を求めてしまう。
その一方で自分の手に負えないことを恐れており——その矛盾をコルバンは自覚する。
「どうしたものか……」
「何がですか?」
「いや、お前には言ってない」
「そうですか」
その返答を聞きつつコルバンは近くのテーブルからタバコの入った箱を取る。
その角を指でトントン叩いて一本引き抜き、咥えてからジッポで火をつけた。
吸ってから紫煙を吐く。
肺が煙で満たされる感覚。
室内に満ちるタバコ臭さ。
コルバンは気付かなかったが、その時、横の寝台で横たわる死骸の右瞼がピクピク痙攣を始めた。
いや、仮に気付いたとしても初期不良として見過ごしていたか。
だが、次の瞬間起こったことは流石の彼も見過ごせなかった。
「タバコ……やめたんじゃなかったでしたっけ、後藤さん」
流暢な女の声。
部屋にはコルバンと死体の2体ばかり。
彼の表情が固まる。
「は?」
口からポトリと、まだ長さのあるタバコがこぼれた。
口元が歪む。その感情は困惑というより動揺に近い。
「なん……なに、なんだって?」
後藤?誰?誰だそれは。
いや、そうじゃなく……
——頭が妙に回る感じ。状況の適応を脳が強いる感じ
「だから、タバコやめたんじゃ……タバ、タバコ……あ、あえ?わた、私……あ?」
信じられないものを見た。
どう見てもありえない挙動。
それでも続けたのは、それをもっと見たいという欲求に抗えなかったから。
そうして死体は自分の意思で起き上がる。
そうなるはずがない。ありえない。
動けるはずがない。
動いている。
ここはどこだと言わんばかりに。
そして、頭部に繋がれる管の数々を無造作に自ら引き抜き
「ここ……どこ……あ、ケイン……探さないと……」
「ケイン?」
ポロッとコルバンの口からこぼれたその言葉。
それを聞きようやく骸はこの部屋にコルバンの存在を認めた。
目が合う。
なんつー目ぇしてやがる——と背筋に怖気の走るコルバン。
邪魔する者は皆殺すと言わんばかりにその有無を言わさぬ圧は、何を喋ったものか、次の挙動を嫌でも躊躇わせる。
「誰?」
一挙手一投足が死につながる。
それでもコルバンは喉の奥から声を絞り出した。
「まず……誤解がないよう伝えておくが敵じゃない」
「だから……誰?」
次にその答え以外ごちゃごちゃぬかしたら殺す——そう言ってるようだった。
「……殲滅部隊監督役コルバン・ルガーだ」
「殲滅部隊?キリスト教の?それが、なん、いや、そもそも今は……あれ?あ、ケイン……なんで私を……撃った、あ、ああ゛、ああああああ゛っ!!」
感情の洪水に飲まれていた。
何があったのか知らない。
ケインとか後藤とかごちゃごちゃ口からこぼした名前が誰なのかもわからない。
——恐らく生前の記憶だろうと思ったが、コルバンには全てどうでも良いこと
だから、急に頭を抱え咽び泣きだしたその様子を見てコルバンはチャンスと思ったのだ。
今は起動時に送り込んだ電力で動いてるだけ。
それが活動限界に達すれば自然に動きは止まる。
まずはこの部屋からズラかって後で戻ってくれば良い。
その思考のもと、隙をつき出口へ駆け出すコルバンは、ただ、その右腕を背後から掴まれた。
ここで反射的に警戒が
戦闘向きの魔術師は手の平で触れ最も殺傷力の高い魔術を行使する。
しかし、彼のこれまでの経験と理性がこの状況でそれがありえないことを告げていた。
例え、魔術師を剥製として甦らせてもコルバンの腕では生前使ってた魔術を使わせることはできない。
だから、簡単に振り解けると思ったその油断——右腕から急速に力が失われ、ボロボロ崩れ始めるその瞬間に全てが想定の上を行っていたと彼は悟った。
◆◆◆◆
「これが事の顛末です。正直『
「それはそれは、災難でしたわね」
ここまでの話を聞いたうえでジェーン・ドゥは淡々と言った。
そんなに期待してなかったが、結局彼女からわかりやすい反応を引き出すことはできなかった。
「で、せっかくなので直に見てもらおうと思いまして……おーい、入ってこい!」
コルバンは扉の外へ声を張り上げる。
すると木製の扉が静かに開き彼女が中へ入り込む。
それを見つめるジェーン・ドゥ。
見つめられた彼女はそれでも臆することなくストスト姿勢の良い歩きで向かい、コルバンの横に立った。
その服装はSPを思わせるような黒のスーツ。
「どうです?上手いもんでしょ。ほら、自己紹介しろ」
言葉に呼応するように、そのかつて抜け殻だった黒髪の女は静かに
「初めまして。ウィンター・ミュートです」
と話す。
「ウィンター・ミュート?」
「ええ。本名を名乗らせたら記憶を思い出す恐れがありましてね。あえて偽名を付け、記憶を封印する方式を今回は取りました。名前は……まあ、元ネタは小説ですが……」
「ああ……ニューロマンサー。なかなか洒落てますわね」
この女もSF小説読むのか——などと思いながら
「ええ、意思と記憶から切り離されたウィンター・ミュート。コレがあることで計画も次に進むかと……ま、新しい右腕用意する手間に見合いましたね」
そう言った。
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