第23話 刃物の扱い

——それは瞬きのような攻防


 抜き放たれた刃と刃。


 圭介けいすけの刃渡り15センチのナイフと龍三りゅうぞうの刃渡り30センチのマチェット。

 それらをぶつけ合う運用を両者がしないこ

とは前提として告げておく。


 そのような使い方では簡単に刃こぼれを起こし、果てはほんの少し、力の入れ違いで簡単にへし折れてしまうからだ。

 人外の膂力りょりょくで振るう『外道者アウトサイダー』は特にその傾向が強く、打ち合わせず切られる前に切る日本刀の如き運用を両者狙っていた。


 そのため状況はより速く鋭利を相手の肉へ沈ませ急所を裂いたほうが勝つ……それだけの速さ比べに見えた。


 が、ここで龍三は罠を張っていた。

 いや、本人の認識では罠ですらない。

 半歩すら満たない数センチ彼はあえて退いて、それを圭介に悟らせず行うことで間合いを誤認させる。

 この一瞬の体捌き——彼にとってみれば基礎中の基礎。

 だから半ば自覚すらなく行なった無想の策。


 この退いた状況において、間合いはマチェットにのみ適切なもの。

 身体能力で勝る圭介の振りが龍三より早く届こうとそれが掠める程度、空振った後で龍三が圭介の喉を捉える、その手筈——


——その手筈を脆くも崩したのは『外道者アウトサイダー』の身体能力を圭介がその手中に収めていたからだ


 圭介は原因はともかくナイフが龍三に届かないことを悟った。

 これは脳に至らない情報、むしろ脊髄が反射的に汲み取り、全て判断したと言えるほどの刹那の思考。


 この速さは『外道者アウトサイダー』の人外の体の賜物であると同時に彼の人外の身体を扱う才覚の賜物でもあった。


 だから——結果を順に述べよう。


 圭介はナイフの振りの軌道を捻じ曲げ、龍三のマチェットをまず、へし折った。


 ただ、それは頑丈な合金の衝突。パワーで無理にへし折ったので結果は一方的な破壊でなくむしろガラス同士ぶつけた様な相殺と言えた。


 半ばから折れたナイフと根本から折られたマチェット。

 両者の手に残されたのはそれだ。


 圭介の目はその飛び散る破片が瞼を掠める瞬間もなお集中がまばたきを許さず、すでに武器破壊を終えたナイフを第二撃へ繋げ、対し龍三はそれが遅れた。


 これは、能動性の差だ。


 圭介は武器の破壊を能動的に仕掛けたため第二撃を想定し次の動きを備えた。

 対し、龍三はまず武器を破壊された事実を受け入れる必要があった。


 そこにほんの少し、瞬きのような差があり圭介の折れたナイフは龍三の喉へ力ずくで捩じ込まれた。


 この瞬間に至りようやく龍三は顛末を理解する——


 ビタビタと血が垂れた。


 龍三が血泡と共に何か口に出そうとする。

 血が詰まっていた。

 折れたナイフという栓を圭介は即座に引き抜くと、まるで穴の空いた革袋のように勢いよく噴射を始める。


 それを圭介は返り血を浴びて見つめた。

 全て覚えておくつもりで。


——龍三この男は自分と差し違えるつもりだった


 圭介はまずそれに気づいた。


 おそらくあの一撃目で勝負をつけに行ったら仮に龍三を仕留めてもマチェットは自分の首を刎ねていたのでは?——と考える。


 いかなる生物もそうだが、急所を裂いても実際に力尽きて動きを止めるまでにラグがある。

 シメるため首を刎ねられたにわとりはなおももがくように宙を舞い、ギロチンで断頭された生首は喋ることがあったと数々の記録が証明している。


 この男はそれと同レベルで例え首を断たれても胴体が圭介を仕留めにくるという執念、必ずそうしてくると予感があった。

 まして喉を突かれたぐらいで止まらないだろうと。


 それでは困るという思考も合わさり圭介はまずマチェットの刃を根本から破壊した。

 どうあっても切られないように。


——少し臆病だったかもしれない


 だから、ほんの少し居た堪れなさがある。

 対し、己の死を加味し殺しに来たこの男にある種の格好良さを覚えた。

 だから、


「すごいな……」


 そんな言葉がぽつりと漏れ、それに乾いた目を向ける龍三はその意味を理解する余裕は無く、ただ、今は——


——脇の下のホルスターから速やかに拳銃を引き……抜けなかった


 目の前の化け物に容易く止められた。


 腕をへし折ることもできただろうに、まるで子供のいたずらを止めるように掴まれ、児戯のように扱われ曖昧な思考の中苛立ちが脳味噌の中に募る。


——クソっ


 と、毒づこうとして、龍三の口から乾いた息が漏れた。

 喉が潰れている。

 喋れるわけがない。

 全てを諦めたようなため息すら吐けない。


 走馬灯すら流れない。

 昔、マリアナと面白半分で走馬灯の実在と非実在を論じたことがあったのを思い出す。

 

 自分は確か非実在派だった。


 でも、なんというか多分実在すると思ってた方が夢があったかもしれないと曖昧に思いつつ、ふと、さっきまで見ていた冷蔵庫を漁る相棒の姿を思い出し、すこし、少しだけ吹き出し笑ってしまった。


 圭介はその理由を知ることはなく。


◆◆◆◆


「終わったか……」


 まるで元からそこに立っていたかのように背後に立つ漆原を武藤圭介はすでに感じ取っていた。

 しかし、なんの前触れもなく現れた風に感じ取ったので少しビビる。


「終わっ、終わりましたよ……」


 そう言って、ナイフを渾身の力で握りしめていたことに気付く。

 その手が妙に麻痺したように固まっていたので反対の手で一本一本指をほぐす様に開いていく。


 殺すまではそれほど感じなかったのにそれを終えた瞬間に堰き止めていたものが流れてきたかのように疲労を感じた。

 でも、それは多分精神的なものだ。


「よくやった。じゃあ、死体が消える前に手早く済ませる」


 そう言うと漆原はその死骸の、見開いた瞼をまず閉じさせ、それから仰向けに向きを変え横たわらせた男の額にしばらく触れる。


 そして、それから数分が経ってから


「毒物の組成はわかったが……所詮捨て駒か……いや……」


 『いや……』の後に漆原が呟いた言葉が、圭介には聞こえなかったが、特に気にはしなかった。

 だが、彼は確かにこう言った。


「あの女、わざわざ姿を現すか。宣戦布告のつもりか?」——と。


 そうやってボソリと頭の中を整理するような彼の独り言。

 それを聞き逃しつつ圭介は漆原へ聞く。


「何をしてるんですか?」


「記憶を読み取ってる。どうやら解毒薬は持ってないが、こいつは毒物の組成に詳しい。成分がわかれば棺姫に解毒薬を作らせられる。それより、お前はこの辺の刃物の破片を片せ。死体と死体の所持品は消えてもそういうのは残る」


 そう言われ、早々に作業に取り掛かる。

 その前に漆原から手袋とビニール袋を渡された。準備が良い。


「こうなるってこと分かってたんですか?」


 作業を続けつつ、そうやって話しかけた。

 圭介にしてみればここに至るまでの流れ、全て漆原に仕組まれていたように感じる。

 ノトが撃たれた直後、この階段であの男と対峙させられたのはこの展開に至るための布石だったのではないか——と。


「まあな。だが、どうなるかまでは分からなかった。だから、即興で策を練り、それがたまたま上手くハマっただけだ」


 つまらないこと話すようなその言葉。


「えっと、肉体の情報、適切な場所、鮮明な過去……でしたっけ、それらが揃えば今回みたいな過去の状況の再現ができる——」


「——制限は他にもあるがな。だからお前にはあの階段で敵と対峙してもらう必要があった。そこで仕留められたらなお良かったが、敵の存在をお前が記憶に刻みつけ、なおかつ血液肉体の情報が手に入ったから結果オーライだ。あの時のアレは誰も死なないための最善手だったと思う」


 誤魔化しは混ざらず、本気でそう思ってるらしき発言。


「僕が負けるとは思わなかったんですか?」


 結局、圭介が聞きたいのはそこだった。

 事情もろくに説明せず、駒みたいに扱われたことに若干の憤りがあったことも無視できない。

 訓練を積んだばかりの自分があの男に勝てた事実が未だ信じられずにいる。


 事実に実感が追いついてなくてフワフワしている。


「それは……俺、言っただろ?」


「何を?」


「『お前はナイフの扱いにかけては結構やる』って。だから死ぬことは無いと思ったんだが……」


「それは……分かりにくいですよ。もっと分かりやすく言ってください」


 少し呆れて言った。

 呆れて言いつつ圭介はリンがこの男を嫌ってる理由に合点がいく。


 この男は言葉が足りない。


 それでいて最低限の連携は取れてしまうからタチが悪い。

 ちょっと話が噛み合わない感じがする男だ——そう理解した。


「次から気をつける……じゃあ撤収だ。急ぐぞ」


 ストストと階段を降り始めた漆原の背中を圭介も追って階段を下っていく。


 早々に車へ辿り着き、それからホテルを後にした。


 後には階段に男の死体だけを残していたが、それすらもすぐ消えて何も残らないだろう。


 そして、帰って早々に漆原は棺姫のところへ向かい、毒物の組成とその解毒薬の組成を告げたと圭介は後に漆原から聞いた。


 どうやらそれだけで瞬く間に解毒薬が作られたらしく、ノトはそれを投与され、それから彼女の肉体が回復したのは1週間後のことだった。

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