第22話 想起顕現
セーフハウス、セーフハウスだ。
そんな風に龍三は心の中で2度唱えてしまう。
外観はよくあるマンション。
築15年は経過した様に見える、やや黒ずんだクリーム色の外壁。
部屋は3階の一番奥。
「よーやくついたぁー」
そんな風に言いながら龍三の横でマリアナが伸びをしている。
凝るはずもないのになんで肩なんて労わるのか龍三は気になって前に聞いたことがあったが、「気分だよ気分。そんぐらい察しろ」とおどけた風に言われた。
たぶん、そう言うんならそういうことだろうと彼は納得はしている。
そして、龍三は事前に渡されていたキーをドアノブの鍵穴に挿し込み開いたら中へ、すぐさま中に盗聴器や侵入の痕跡が隠されてないかチェックを始める。
そして何もないことを確認し、2人はようやくひと心地ついた。
マリアナは早々に部屋の隅の冷蔵庫を漁り始める。
「保存が効くのばっかだなぁ」
中身への文句を呟いた。
「仕方ないでしょ。ただのセーフハウスですし」
と龍三は言いつつ内心、安心を覚えていた。
セーフハウスと彼が呼ぶこの場所は『殲滅部隊』実働役の拠点として、この街に配置された中の1つ。
複数あり、その都度場所を指示される。
その理由は『殲滅部隊』の運用方法にあった。
それは監督役と実働役の完全な役割分担のためだ。
監督役が指示を出し、数チームの実働役がその都度動く——となれば各チームは分散し拠点を分けて用意した方が一網打尽を防ぐことができる。
また、定期的に別の拠点を使わせることで足跡を掴みづらくさせ、さらに実働役は作戦の全容を知らされず、任務を遂行することで徹底したリスク管理を行う。
このような監督役から実働役への一方通行のやり口のせいで監督役を
「そういえば」
冷蔵庫に入っていた水を投げ渡しつつ、マリアナは思い出したように口を開いた。
「そのコート、長いこと着てたらダメなんじゃなかったか?確か
そう言われるまでもなく、龍三はその言葉を覚えていた。
その副作用がなんなのかは結局教えてはくれなかったが、しかし、魔術で動く道具は往々にしてそんなデメリットを抱えがちだ。
「ああ、言われなくても今脱ぎますよ——
——その時、唐突に龍三の視界が暗転した
◆◆◆◆
——およそ同時刻
「俺の魔術について話しておこうか、武藤」
ここに来て、たった今この場所で話さなくても移動中の車の中で話せば良かったのに——と圭介は思っていたが、漆原が今から行使する魔術は起動までに10分程かかるから充分に時間はあると聞いていた。
「分かりましたけど……」
なんか悠長に感じつつ、視線を向ける。
今回は条件が整っているから漆原の魔術を使ってノトの症状回復の打開が見込めるとは事前に聞いていた。
そのためにある場所へ向かうと言われ、彼に連れられ圭介はやってきたのだ。
つい40分前まで居て血生臭い争いを繰り広げたあのビジネスホテルの階段へ。
それもあの日本人顔の『殲滅部隊』の男と圭介が対峙した3階と2階の間。
あの男がちょうど立っていた踊り場で漆原がかがみ込み、両掌を床に付く。
一方の圭介はあの瞬間の立ち位置を再現するようにそこから一つ下の踊り場に立っていた。
「まず初めに、俺の魔術は過去を司る」
「過去?」
「そう。それも人間個々人が見た記憶として過去。つまり主観的な過去だ。時に武藤、お前は昨日の晩飯を覚えているか」
すこし、思い出すように視線が泳ぎ、
「なんの話……えっと、ローソンのサンドイッチ」
「そうか、じゃあ1週間前は?」
「えっと……覚えてないです」
「だろう。過去は記憶の中で忘却され、歪むものだ。しかし鮮明な過去であれば、俺はそれを部分的に空間へ再現できる」
「再現?」
『呼び出す』ではなく『再現』と言った。
「どういう——」
「——つまり、つい40分前、命のやり取り、『
言われるがままに圭介はナイフを鞘から引き抜く。
服に仕込まれた、一見すると隠された鞘だ。
圭介は、まだ少しだけ釈然としない。
でも言われた通り思い出す。
その男の身の丈と格好。
立ち振る舞いとそれに対し彼が何を思い何を警戒したのか。
「つまり……何が起こるんですか」
目を閉じ、集中する
「お前があの男と2人きりで対峙したあの瞬間と類似した状況をここに持ってくる。だから、別のやつは連れて来れなかった。術者である俺以外がいるとノイズになるからな。さて、そろそろ来るぞ」
「なにが?」
「この街のどこかにいるあの男をここにワープさせるってことだ」
そう言いつつ漆原はポケットからジップロックに入った乾いた血の付くハンカチを取り出す。
あれは、例の男を切りつけたナイフの血を拭ったハンカチ。
それを床にファサッと落とす。
「肉体の情報たる対象の血液もここにある。肉体の情報、適切な場所、鮮明な過去の3つが揃えば……」
景色が、歪む。
例えるなら漆原のいる横あたりに空間を人型に歪め寄り集めた何かが形成され、しかし次の瞬間には、パッとそれがつい1時間ほど前に見た男の姿形になる。
唯一違うことといえばあの野暮ったいコートを着ていないことだけか。
そして、まるで身動きが取れないのか、意識がないのか、すぐにでも切り掛かってきそうなものがボウッと立ち尽くしている。
これも漆原の魔術のせいか——と圭介は考えた。
「この通り」
得意げでもなんでもなくただ起こるだけのことが起こったと言いたげな言い草。
「さて、後はお前の仕事だ」
「え?」
「あの時この場に俺はいなかった。だから俺はこれ以上干渉する術を持たない。しかし、この男かお前のどちらかが死ねばそれが解除され、生き残った1人と死んだもう一方が現在のこの場に反映される。そう設定した……」
少し間を置き、
「つまり、生きたきゃこの男を殺せってことだ。この男の死体があればノトの毒はどうとでもなる」
その言葉だけ残し、漆原は徐々に肉体に光が透過していくように透けて消えていった。
圭介だけを残して。
◆◆◆◆
龍三は目を覚ますと自分が任務の最中、逃げる段階で駆け下っていた階段に立っていると気づいた。
そして目線を下げると、すこし困惑した様子の『
龍三は落ち着き、頭の中で状況を整理した。
これを夢……と考えるのは都合が良すぎる。少し、思い出す。セーフハウスにたどり着き、ひと心地ついて、コートを脱いで、その直後、視界の暗転。
そして今、ここにいる。
龍三はこの流れを取り急ぎ何者かの魔術による攻撃と断定。
一々最悪を想定する癖が彼の習慣になっていた。
そして——これだから魔術師や化け物相手は嫌なんだ——と、内心ひとりごちた。
一々常識が通用しない。
どれだけ気をつけたとしてもそれを掻い潜ってなんらかの影響を及ぼしてくる。
自分達『殲滅部隊』のような対魔術師、対化け物を想定した部隊、そしてフリーランスの殺し屋たる処刑人が界隈の最下層にいるわけだ。
あまりにも致死率が高すぎる。
8割が一年もたないと聞く。
——と以上が龍三のほんの1,2秒の間に頭の中で走った思考の全て
ただし今は取り急ぎ目の前のこの化け物を殺す。
それしか打開策がないことを猟犬独自の嗅覚で嗅ぎ取り、速やかに脳味噌は戦闘向けの思考に切り替え——はすでに終えてちょうど今、数十分前のあの瞬間を再現するように目前までナイフの間のその中まで跳躍してきた化け物を捉え
「芸のないっ!」
吐き捨て様、今度は拳じゃなくて速やかに殺す意図を込めて懐のマチェットを抜き放つ。
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