第20話 ナイフファイト

 ホテルの外、シルバーのボックス型の車で漆原と武藤圭介は作戦の終了を待っていた。


 漆原は運転席で缶コーヒーを片手にフロントガラスの向こう、ホテルに出入りする者へ監視を続け、圭介が後部座席でそれをぼうっと眺める位置関係。


 そんな折、リンからトランシーバーで連絡が入った。


 ノトが撃たれたこと。

 圭介が見た未来予知が外れたこと。


 その2点が端的に伝えられ、漆原はリンに近くの部屋でノトの応急手当てをすること、圭介は階段で降りてくる敵を迎え撃つことを命じた。


 圭介にとって、ちょうど先の訓練での疲れが取れた頃合いのことだった。


◆◆◆◆


——果たして勝てるのか?


 武藤圭介は要約するとそんなことを考えていた。


 いきなり実戦に駆り出されたことにそこまで不満はない。戦闘訓練を課された時点で、なんとなく察しはついていたし多分精神の変容のせいで抵抗感もない。


 ただそれでも不安は拭えず、それを見透かしたように別れ際、漆原は彼にこんなことを告げた。


「1つ言っておくが、お前はナイフの扱いにかけては結構やる」


 それが言葉のままの意味なのか、何か遠回しに言っているのか圭介には量りかねたが、階段という閉所、この1週間に掴んだ『外道者アウトサイダー』の身体能力など要素を加味しジャケット内に吊るした拳銃よりナイフの方が役に立つと直感が走り、すでに右手で引き抜いていた。


「どうしたもんかな……」


 少し緊張をほぐしてみる。

 肩を回したり。

 よく研がれたナイフに顔を写してみたり。

 そして全身を血とは別の何かがめぐる感覚。肉体の戦闘状態への切り替え。

 これももう慣れたもの。


 少し息を吐く。


 さっきから誰か降りてくる音が断続的に聞こえていた。

 かなり近い。

 踊り場ごとに次の踊り場へ飛び降りてるのか、等間隔の音。


 それから数秒を置き、対峙。


 先日殺害したアダム・スミスのイメージで白人が来るかと思っていたから、その男——龍三が日本人に見えたことに圭介は多少驚きつつ、


「そこ、通してくれないか」


 という、彼の流暢な日本語を無視した。


 冷徹であることを圭介は己に課す。

 少し、圭介がそれでも相手を見据えたのは、今から殺そうとする相手の事を強く意識するため。

 それに対する薄暗い本能に基づく喜びを今は心の底に埋めておく。


 2回目ともなればさほど違和感も無い。


 そして、立ち振る舞いを見るため眺めたのは数秒。

 その後に圭介は跳んだ。


 肉体の躍動。


 踊り場から上の踊り場へ、龍三の元へ。

 必要以上に段を踏む必要なく、たった一度の跳躍でナイフのへ接近を果たし、振りかぶらず挙動を悟らせずコンパクトな斬り。


 殺すより浅く切り機先を制す動き。


 ナイフファイトにおいて、刺突は殺傷力が高い分、隙のデカさと心理効果の低さがマイナス。


 対し、切れば刃に沿い血が溢れ、傷が浅くとも流血で相手はビビる。


 が、今、この瞬間に限れば悪手だったと言える。


 圭介が切り付けかかった男——龍三はただの人間。

 魔術師ですらない、ただの人間でありながら人外魔境の『殲滅部隊』で生き延びてきたのだ。

 こなせる努力は全てこなしてここまで来た。


 即ちこういう、ある程度常識の通用する戦闘は彼の専門分野と言って良かった。


 いやらしく目の高さを狙ってきたその横薙ぎを少し膝を落としかわしざま、ナイフを振り抜き隙を晒した圭介の鳩尾みぞおちへ右拳をめり込ませた。


 呼気と共に軽く繰り出された打撃。


 『外道者アウトサイダー』は人間以上の身体能力を持つが、身体構造は人間でしかない。


 だから龍三の基準で言うは人体を破壊するそれだ。


「ごっ……!」


 それを鳩尾みぞおちに捩じ込まれれば胃液を吐き、のたうつしかない。


 かくして、階段を無様に滑り先落ち先の踊り場に達した圭介。それでもナイフを離さず少し時間をかけ立ち上がる。


 対し殺すつもりで放った打撃を軽傷程度に軽減されたことに龍三は驚きつつ、


「通らせてもらう……」


 と述べた矢先、少し目を細めた。

 無言を突き通す圭介アウトサイダー……それが何やら独り言を呟き始め、龍三をじっと見つめていた。


「これがダメなら……いや、」


 その様は彼の目から見て少し異様でもあった。

 まったく気力を萎えさせることなく、ただ機械のように、障害を排除するように。


——『外道者アウトサイダー』はみんなこうなのか?


 と疑問を浮かべる龍三はすぐさまそれを否定する。

 少しの間上で見た『外道者アウトサイダー』2人はこんなふうではなかった。


 戦闘を楽しんでいるか、戦闘中は意識を切り替えるように振る舞っていた。

 しかし、この目の前の少年。

 少年の姿をした化け物は根本的に何か違う。

 ただ排除しなきゃいけないから排除する。

 それ以上の目的を生来持ちあわせていないように見えた。


 生物として根本的に何かが欠落している。


 だから、得体が知れない——と思いつつ、コートの中から一振りのマチェットを引き抜く。

 黒塗りの刃が蛍光灯の下で鈍く光る。


 ここで時間を取られるのは痛いが、しかし簡単に通れそうに無い。


 そんな覚悟を決めた折、結局その必要はなかったと気付いて彼は安心する。


——保険をかけておいて良かった


 音もなく圭介からさらに階下より迫る来る、小さな影。

 何より頼りになる相棒の姿。


 それに気づけなかった圭介。


 その攻撃にも——


 下から凄まじく飛ぶような速さで詰めてきたマリアナは第一に圭介へ口中に溜めたありったけの血を吹き出す。

 先の血煙と異なり、流れる液体としての血。


 それが圭介にまとわりつき、壁に貼り付け、そしてにかわの網のように全身を覆い拘束したその使い方。


 まったくもって多芸だ。


 拘束された彼の横を悠々と通り、今しがた引き抜いたマチェットを懐へしまった龍三の元へマリアナは辿り着く。


「行こうぜー……」


 端的にそれだけ話し笑顔で階下を示す彼女と、それに安心した龍三。

 そんな2人へ圭介は食い入るような目を向けた。


「くそっ」


 目の前の男へ思考を集中させ過ぎた。

 油断していた。

 その油断は経験の浅さから出たもの。


 その圭介が見つめた2人。

 2人が拘束された圭介のすぐそばを通ろうとした時、ふとマリアナが


「殺す?」


 と言い、それを指し示す。


 だがその時、上の方で扉の開く音が。

 階段へ続く扉の開かれた音。


 だから、


「いや、行こう」


 そう言って龍三とマリアナは圭介をその場に残し立ち去ることに決めた。

 上で響いた音が追っ手の『外道者アウトサイダー』のものか、一般客のものか判断がつかない。


 しかし、対未来予知迷彩コートの有効性の実験を済ませ、敵の『外道者アウトサイダー』1人へ負傷を与え、さらにそれらを捉えた映像は回収を手配済みの今、欲張って残る必要はない。


 そういう意味で圭介に幸運が舞い降りたと言えるのかも知れない。


◆◆◆◆


 ホテルから可能な限り距離を取り、人気のない路地裏で。

 追っ手が付いていないことを確認した龍三とマリアナは、少しばかり足を止めた。


 移動用の車が停まった、その場所までもう少し歩く必要がある。

 しかし彼らはこの時、死線を潜り抜けてきたのだ。

 ほんの少しの状況のズレで死に至る死線を。


 張り詰めた気が少し緩み、脳が疲労を意識し始める。


 そして、


「あ、血が出てる」


 マリアナが少ししゃがんだ龍三の顔を見て伝えた。

 その言葉を受け彼は自分の顔を触り、そして額に浅い横薙ぎの傷ができていることに気づいた。

 気づいた瞬間にほんの少し痛みを意識する。


「そうか、あの時……」


 切られていたのか……と、今更ながら怖気が走る。

 もしあのままり合っていたら、死なないまでも、無事では済まなかったかも知れない。


 そうして拭い取った血。

 それをジッと見つめるマリアナに気付き、


「……飲みます?」


 若干揶揄うような含みを持って言った。

 龍三にしてみれば疲れ切った自分を多少貧血にしてでも、マリアナに血を与えるのはメリットがあった。


 『吸血鬼ヴァンパイア』とその落とし子たる『半吸血鬼ダンピール』は血を補充し続ければ半永久的に活動を続けられる性質。


 であれば、ここでマリアナに血を飲ませるのは龍三にはアリだった。

 そして、コートの襟元を開き、周囲に人がいない事を確認しつつ、剥き出しの首を見せる。


 それに少しムラつきを感じて貪り付くように口を寄せたマリアナは、まず汗を拭いとるように舌を這わせ、そのざらつきを龍三は感じる。

 そして、鋭く尖った上と下の犬歯を突き立て


「うっ」


 少しうめく龍三。

 犬歯が血を吸う注射針みたく機能する最中でもマリアナの小さな舌はヌラヌラと動きをやめず、わずかに吸い損ね、傷口から漏れ出た血をこそぎ取るように舐め取っていく。


 そんなマリアナの恍惚とした表情。

 それを龍三には見せないよういつも気をつけている。


 そもそも血を吸うような体勢でそれを見ようが無いのだが、まるで情事の最中のようなその顔はあまり人に見せたいものではない。


 完全な『吸血鬼ヴァンパイア』にとって血を吸う行為は、食事であり、吸血を欲する欲望を満たす行いであり、その後にとある手順を行うなら生殖行為でもある。


 しかし、子を作れない『半吸血鬼ダンピール』たるマリアナにとっては食事でありつつ、自慰に等しい行為。


 なので、彼女は血を吸う相手をかなり選ぶ傾向にあった。


 そして、己の中の本能の部分を無理矢理制御した彼女は口を離し、少し貧血気味の彼の手を引き、その場を後にした。

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