第16話 怪物に対抗し得る怪物
薬品臭さが鼻につく。
朝食を終えたばかりの爽快な気分でわざわざ訪れる場所じゃないな、などとコルバン・ルガーは考えていた。
場所は先の喫茶店から徒歩で10分ほどの市民病院。
平日の今日、この日であろうとこの施設へかかる人間がさほど減るわけでもなく、受付前の古い椅子の並びには老若男女を問わず人で埋まっていた。
いや、少しばかり老人の数が多いか。
そんなロビーを抜け、そそくさと前を行くジェーン・ドゥ。
趣味の悪いことにこの病院という環境に慣れ親しんでいるようで、どこか気分が良さげ。
「楽しそうですね」
「ええ、とても。毎日誰かがここでは衰弱していますもの。とても人の行く末を感じさせてくれますわ」
それのどこが楽しいのかは、とんとわからない。
魔術師として優れている奴ほど人並みな人格から外れていくとは聞く。
いや、自分もおそらくその例に漏れないのだろうなと、コルバン・ルガーは思ったりするが、それを時たまおかしいと思える常識だけはせめて残しておきたい。
魔術を運用しつつ、それを弾圧する立場の彼としては。
そうしてやってきた病院の地下一階廊下。
明らかに空気が上層と変わる。
元々湿気ってはいたが、どこが重たくもあった。
いや、違う。
コルバンは否定する。
こんな雰囲気と空気が自然に発生してたまるものか。
ここは何かがおかしい——と、魔術を扱う者としての勘が告げた。
「あの、どこへ?」
「霊安室へ。そこにあなたへのプレゼントがありますの」
「プレゼント?」
「ええ、死体を扱う魔術に長けた者ならば
「一体それは?」
「まずは見ていただこうかと」
そう言ってもったいつけるようにやってきた霊安室の、固い扉をジェーン・ドゥは押し開けた。
中から形容し難い匂いが漂う。
防腐処理をした遺体の匂いとは違う。
むしろ、香水でも振り掛けたような花の匂いとお香の匂いが混ざっていた。
その霊安室には複数の寝台が並び、そのうち全てが空で死体は載せられていない。
壁面の引き出しの中にならいくらか収まっていそうだが、しかし今回はおそらくそれらが目的では無い。
というのも、部屋の一番奥——天井から吊り下げたカーテンで覆われ中が見え無いスペースがあった
スイッチを入れると明かりがパッとついて、そこにも1つ寝台があり何か寝そべっているのが影の形状から分かる。
「どうぞ」
それを見てみろ、カーテンを捲ってみろとジェーンは促し、コルバンは足を踏み出す。
なにか嫌な感覚が一層に増す。
増していく。
いや、そうだろうか。
威圧的ではあるがそれは目に見えない触手で絡めとられたような、魔力。
えもいえぬ魅力。
そしてホコリで薄汚れたカーテンをズラし、そこには白い貫頭衣を着せられた死体が1つ、寝台で寝そべっていた。
ブワリと汗が湧く。
口の中に粘性の唾液が湧いてくる。
「これは……」
ある予感があった。
これは本来お目にかかれるものでは無いと。
身体つきと細さ、肌質から成人手前の女性だとは分かる。
その顔つきは妙に整い、黒髪はサラリと長く、艶やか。
言葉に詰まる。
それより先の言葉が続かなかった。
血色は無く明らかに骸と分かるものの、死後浮き出る斑点や腐敗の進行は無く、しかし死化粧はしていない。
これがもし防腐処理によるものだったなら、その業者には労いの言葉をかけてしまうだろう。
いや、チップを弾む。
いやいや、そもそもそうした処理なしに、これは死んだ時のまま数分しか経過していないと考えた方が辻褄は合うか。
話を聞くにここへ長らく置かれていたらしく、その可能性は無いが。
「頭部と、特に前頭葉の銃弾による欠損、胸に心臓の抉り出しに伴う跡はありましたが、その点はこちらの手の者で修繕させていただきました。それ以外、誓って手をつけておりませんわ」
「これは……なんですか」
声にやや興奮が隠しきれない。
己の魔術を極めたいという、本来道具として扱うべき魔術に求道という価値を見出してしまった己の業を自覚する。
「『
2世代目、つまり始祖たる存在の子供。
「骸?不老不死の存在の……骸?」
矛盾している。
「ええ、ですから正確には抜け殻と呼ぶべきなのでしょう。『
己の魔術の性質と『
この2点を鑑みて、コルバン・ルガーはこれがどういう意図でここにあるのか察しが付いた。
「これを使って私に
「ええ。臓器は摘出せずとも腐らないので、簡単な処置だけで動かせるかと思います。その辺りは専門家であるあなたに諸々お任せしますが」
「なるほど……なるほどなるほど。しかし、これだけの物となればまず時間がかかります。どの道長いスパンでの作戦ではありますが、その間私はこれにかかりきりになってしまい……」
「ええ、ですからその穴埋めを私の方でさせていただこうかと。これを譲渡する見返りとして、貴方の部下を2人ほど貸していただけませんか?」
少し、考えた。
一時的にしろ作戦の主導権を彼女に渡すわけだ。
「無論、あなたの上司がやったようなヘマはいたしません。一切の無駄死にはさせないと約束しますわ。それに目的を設定していただければ、その通りにやってみせましょう」
「……分かりました。いいでしょう」
結局この死体を引き取った方がメリットはデカいと判断。
「では、あくまで目的と貸し与える部下の選別は一任していただく。それでよろしいですね?」
「ええ、もちろん。良い結果をお待ちになってください」
「……一応聞いておきますが、勝算はあるんですか?」
「ええ、『
◆◆◆◆
一通りの打ち合わせと部下の選別を済ませた後に、コルバンはその『
魔術師が己の魔術の研鑽を積む場として本来使われるのが『工房』というものだが、その場はいくらか個人病院の診察室のような趣を見せる。
特筆すべきは部屋の隅に置かれたCT検査用の機械。
人体の内部を三次元情報として読み取る手段は数あれど、結局は一番この世に普及している手を使う。
その点にコルバンはこだわりが無い。
特別な剥製を作る前にはまずCTスキャンをするのがいつもの流れだが、この時は少し手順が違う。
その死体が何処から来た物なのか少し気になったのだ。
『
しかし、第二世代という始祖に近い肉体が抜け殻同然とはいえ自分の手元に転がり込むのは少し信じ難かった。
だから、まずは脳に残された記憶と人格を探ってみる。
そのための機器となるとこれは魔術的な動力のもの。
「よいしょっと……」
金属の寝台に寝そべる『
その頭の横に置いたのは、前時代を偲ばせるタイプライターに分厚いディスプレイをつけて、そこから何本もゴム製の管が伸びたような形状の機械。
動作原理は魔術だが、
機械から伸びるゴム管は先端に短い針が付いて、その全てを死骸の頭に刺していく。
「たしか、前頭葉は破損が酷いんだったか……」
ジェーンから聞かされた話を思い出す。
感情を司る脳の部位、しかし、その他が無事ならばいくらか完璧な記憶が抽出できるかもしれない。
そして、機械の電源を入れた。
ブォンと、分厚いディスプレイに緑の光が灯る。
そして、キーボードをタイピング。
本当は最新のデスクトップPCにでも繋ぎたいところだが、過度なバージョンアップを許してくれるような組織でも無い。
そして、コマンドを打ち込んでいく。
まずは、興味本位からこの人物の名前を表示するように入力。
名前から、どの国で生まれ育ったかが割り出せる。名前は記憶に強く根付きやすいのも理由の一つだ。
そしてタイピングを終え
「『ノノギ サヤカ』?見た目通り日本人か」
そう呟いた。
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