第15話 あなたのことはなんと呼べば?

 優雅な時が流れていた。


 新設されたばかりのビル一階に入った喫茶店。しかし、この時は開店したばかりにも関わらず閑古鳥が鳴いていた。


 客は男と女の2人のみ。


 その2人の所作について、女はその手つき、背筋の伸ばし方から白指の先端まで一々機微を利かせた優雅さで、もう一方、男はいたって平凡な手付きで手元のケーキを突つく。


 テーブルを挟み外のテラス席で向き合う両者の、その日本人離れした顔付き。

 目立ちそうなものだが、他に客はいないので店員がたまに目を向けるだけ。


 少し補足しておくが、この店の客足が不自然に途絶えたのはこの2人が食事を終え店を出るまでの間で、それ以降はそれまで通りの客入りが戻ってくる。


「なかなか美味しいですね」


 それらのことはさておき——そうやって口を開く殲滅部隊監督役せんめつぶたいかんとくやくコルバン・ルガー。

 彼とテーブルを挟んで座る寧楽楪ねいらくちゃ・ドップマンの使者たる黒装束の女。


 両者ともファッションには幅を持たせない主義なのか、先日と似たデザインの服を身につけていた。


 女は相変わらず黒いワンピース。

 コルバンはそこらで買ったジーンズとカッターシャツ。


「それで——」


 話題を切り出す。


「——結局あなたのことはなんと呼べば?」


 コルバンがやや砕けた口調で言った。

 結局、口調をどの程度丁寧にするかという問題は解決したらしく、今では適切な距離感を保っている。


「名前……名前……」


 呟きつつ、女は手元の紅茶で満たされたティーカップをソーサーに置いた。


「では、ジェーン・ドゥとでも」


「ジェーン・ドゥ?」


 名無しのジェーンという意味だ。これは。

 あからさまな偽名だが、それをコルバンが気にすることはなく


「分かりました。では、そう呼ばせていただきます。ジェーン・ドゥ」


 どの道呼び方に困らなければ良いだけ。

 そして、一通り食べ終えたコルバンは最後にコーヒーを啜りつつ、話を変えた。


「それで、こちらから提出した報告書と映像は……」


「目を通しましたわ。なかなか興味深い内容」

 

 そう言ってジェーンは白い指を組む。


「思うに、少女はアダム・スミスが目の前を通過するタイミングが分かっていたのでしょうね。しかし、それが少女の能力であるとするなら電車での逃走に違和感が残る。だから少女の能力は自身の傷の治癒と見るべきでしょう」


「……正確なタイミングを把握したのは少年の能力だと?」


「その通り」


 そう言って彼女は紅茶に口をつけ流し込んだ後、ホッと息を吐く。

 明け方でも近頃は過ごしやすい気温になってきた。


「その少年について我々でも調べてみましたが、あらゆるデータが市井の記録から抹消済み。戦闘での動きから『外道者アウトサイダー』になって日が浅いと思われたので何か掴めるかと思いましたが、向こうが一枚上手だったようです」


 なりたての『外道者アウトサイダー』は人間だった頃の情報を残している。

 だから弱みの一つでも握れたら良かったが、コルバンには叶わず。


「で、ここからが本題なのですが、あの少年の能力はなんだと思いますか?アダム・スミスをあっさり跳ね除けた、あの能力は」


 コルバンとしてもいくつか候補を出していたが、絞りきれていない。

 それに結論を急げば足元を掬われる。

 さらに目前の女性を試す意味もあった。『老人』という最高峰の魔術師の部下がこの質問にどう答えるのか興味がある。


「未来予知ではないかと」


 拍子抜けするほどあっさりと述べた。


「簡単に答えを出すんですね」


「出し渋る理由がありまして?」


 不遜な物言い。

 いや、それこそが自然体か。


「いえ……理由を聞かせていただいても?」


 そう言われてジッとジェーンはコルバンへ視線を合わせた。


「それは……私も同じ、いや、よく似た魔術を運用するからですわ」


「は?」


 あっけらかんとしたその物言いに思わず意表を突かれたコルバン。

 魔術師が簡単に手の内を晒した。

 目の前の人間を殺すわけでもないのに。


「なにか?」


 あからさまに驚いた表情をしてしまったか。


「いや、言っても大丈夫なんですか、それ」


「ええ、問題ありません。この件が終われば意味はなくなりますし、なんなら見せても良いでしょう」


 『この件が終われば意味はなくなる』という言葉をコルバンはこの時さしたる内容として捉えなかった。

 その意味を知ることになるのはまだ先の話だが、さておき。


「見せていただけるというのであれば……お願いします」


 見せてもらえるのなら見ておきたい。

 見せた後で殺すというのは、この場合無いだろう。


「ええ、それでは……」


 その言葉と共に、数秒。

 ジェーン・ドゥの瞳孔が細く閉じる。

 そのエメラルドの瞳がコルバンの顔をジッと見つめているようで、しかし、より深いもの、脳の表面の皺の本数を数えられるような、皮膚の粟立つ感触に——身じろぎ、


「動くな」


 先までと違う厳命の口調。


 先の態度が不遜とすれば、これは全てに価値を感じていない虚無。

 呼吸を許されているのが少し違和感が走る感覚、それが後から思い出したらほんの数秒の出来事で。


 そして、


「なるほど、もう良いですわ」


 少し掴みどころのない、元の女性らしい雰囲気に戻る。

 そして彼女は膝の上に置いていた小さな鞄から市販のボールペンとメモ帳を取り出し、手慣れた素早さで何か書き込んでいった。


 先までの雰囲気に当てられ、それを呆然と眺めるコルバンは、さらに待ち、数秒後。

 そのメモ帳を閉じた状態で手渡される。

 開こうとして、


「それは閉じたまま。なにか、話してくださいません?」


 先に話を差し込まれ、唐突な指示。


「なにかって……」


「なんでも良いですわよ」


「なんでも……」


 本当になんでも良いことを確かめるように、たまたま昨晩食べた食事のことを思いだし、この国のコンビニの品揃えの良さと、利便性について話し始めた。

 そして最終的にはこの国の食文化の話に発展してオチを付けるつまらない話。


「ふむ、あなたどうでも良い話を面白おかしく話すのが得意なのですね」


 それをとりあえず褒め言葉として受け取りつつ、先ほど手渡されたメモ帳の、ジェーンが何か書き込んだページを開くように指示されてコルバンはそれを開いた。


 そのページには


 『コルバン・ルガーが日本のコンビニについて語り、日本の食文化の話に発展する』と丁寧な文字で記述があった。

 つまり、なにを話すのか、話し始める前に知られていた。


「……なるほど。あの、もう一つ試して良いですか?」


「表、裏、裏、その後7回は全て表」


 つまらなさそうに言う。


「……」


 先回りされた。

 コルバン・ルガーはコイントスの結果を予知させることでさらに検証しようとしていた。

 その結果はすでに見ていたということか。

 試しにコインを適当に投げてみたが、彼女が告げた通りの結果となった。


「これが未来予知。お分かりいただけまして?」


「ええ、それはもう充分に」


「ちなみに今日1日、あなたが死ぬことはありませんのでご安心なさってください」


「はは、ありがとうございます」


 乾いた笑いが出る。


「しかし、敵方にもあなたと同じ能力を持つ者がいるとは厄介ですね」


「そうですわね。しかもおそらく向こうの方がいくらか強力でしょう」


「……どういうことです?」


「これは魔術による未来予知全般に言えることですが、予知した未来は原則変えられない。仮に変えたとしても、それは結果の先送りでしかないということ。死ぬことが予知された人物は死を避けても近々運命が収束して死ぬ。これが原則ですわ。だから、多くの魔術師は未来予知ではなく、未来に留める」


「未来予測?」


「予知する未来の精度を落とし、敢えてそこに変動するカオスを残すこと。簡単に言いますと、未来予知が外れる可能性を敢えて作るということ」


「それは、どうして」


「完璧な精度の未来予知をした場合、必ず予知した結果に行き着いてしまう。ただ、精度を落とした未来予測は、ある程度未来がどうなっているかを把握しつつ、観測した未来を変える可能性が残されているということ」


「えっと、つまり行動次第では未来予測の内容と別の未来に行くということですか?」


 未来予知は観測することで確定した未来を作り出してしまうが、未来予測は観測することでそうなるかもしれない未来を作り出す。

 死ぬ未来と死ぬかもしれない未来では危険度に雲泥の差がある。


「そういうこと、中々飲みこみが早いですわね。しかし、アダム・スミスさんが殺されたあの戦闘を見るに優勢だったのは明らかにアダム・スミスさんの方。さらにあの少年と少女は回りくどい作戦を仕掛けていたから本来ならどちらか一方、あるいは少年と少女2人が死亡する未来が本来のものだと推察できる。しかし、未だあの少年と少女が死んだという情報はなく、さらに、障害物越しの射撃というコンマ秒単位の完璧な精度の予知。つまり完璧な精度の予知と、その予知した未来を変えられる都合の良い未来予知の可能性が高い……」


「敵ながらあっぱれと?」


「ま、そういうことですわね。敵を過小評価することほど愚かなことはないですもの。未来という人の行動と認識から形成される架空の概念は本来なら彼ら、『外道者アウトサイダー』の十八番おはこということでしょう」


「しかし、我々はそんな彼らを殺さなければならない。そうでしょう?」


「ええ、無論ですわ。そんな彼らを狩るにはそれ相応の武器が必要。獣を狩るため人は常に戦術と武器を備えてきた。今朝、あなたをここへ呼び出したのはそのため。オープンしたばかりのこの店を試してみたいという目的もありましたけど……」 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る