第14話 把握

 蛍光灯の明かりのみが差すその部屋はかえって薄暗く、しかし目の前のスーツの男はいっそうの黒として目立っていた。


「パワーを底上げする感覚は覚えているな?それはお前達の人を殺す本性に付随する。だから、一度でも人殺しに飢えを感じたら感覚は掴めてる。やってみろ」


 椅子に座り淡々と指示を出す。

 ここには僕とこの男——漆原うるしばらさんばかりで、例の煤けたレンガ色のアパートの地下でこのやりとりをしていた。

 あのヒツギさんの居た大広間とは別で、他にも部屋があったのだ。


 そして男の視線は冷淡に、こちらを見つめてくるから僕は見つめ返す。


「やってみろって、そんな言われても……」

 

 やった事ないことをできる前提で話されるとちょっと困る。


「じゃあ、目の前にお前がかつて殺したいと思った人間を想像してみろ。誰かいるだろ、そういう奴」


 最初に会った時より話し方を崩し、感情めいたものを漆原は見せてくる。多分こちらが素の話し方か。


 で、殺したいと思った人間は……何人かいた気がする。

 多分、世の中の大半の人が他者に嫌悪、それを突き詰めた殺意に似た感情を抱いたことがあるんじゃないか。実際手を下すかは別として。

 というか、手を下したから僕は今ここにいる。


 とりあえずアダム・スミスを思い浮かべ、少し違和感を覚えたけど体中に熱く、溶けた鉄のような液体が、血とは別に巡るのを感じた。


 これか……と気付く。


「できたか、じゃあ思いっきり拳を握ってみろ」


 ひとまず言うことを聞く。


「もっとだ。力を込めて」


 握る。


「もっと」


 力を込める。全身の神経が麻痺したように痛覚が遠くなり、爪の先が手のひらに食い込んでも何も感じず


「ちなみにそれ以上込めると拳が握力に負け骨と肉が弾ける」


「え?」


 咄嗟に力を抜いた。


「なん、なんてことさせるんですか……」


「いや、体感させた方が早いだろうと思ってな。結局の所、お前達は人を殺すため高い身体能力を得たが、耐久が追い付いていない。だからフルに力を込めて殴れば自分の腕もろとも吹き飛ぶ」


「吹き飛ぶって……」


「リンみたく自己治癒できるんなら別だが、原則お前みたいのは武器で攻撃するのが前提。武器なら壊しても良いっつー人類の叡智だ。皮肉にもな」


 それは、この黒スーツの男なりの冗談にも聞こえた。

 まるで表情を変えないから受け答えに困るけど。

 そして、漆原はしばらく何か伺うようにこちらを眺めていた。


「なんです?」


「いや、別に。で、話を戻すがお前のために武器をいくつか調達した」


 そう言って傍に置いてあったスーツケースを手渡され、それを止め金を外して僕は開いた。

 武器というものを手渡され静かな高揚感があるのは僕が『外道者アウトサイダー』だからってより、多分もっと本能的にカッコいいと思ったからだろう。

 心の中の男の子の部分がくすぐられる。

 少なくとも日本でお目に掛かる機会は無い。


「本物?」


「本物だ。まずは両刃のナイフ」


 黒いプラスチックの鞘に収まったそれを取り出す。鞘から抜けば、鈍く光を反射して光るスチール。


「刃渡り15センチ、ただの軍の払い下げ品だ。本命はもう一方」


 そう言われて取り出したもう一つのもの。

 僕になんらかの高揚感を与えたソレ。


「デザートイーグル。映画なんかじゃかなり有名だが、都市で戦闘向きの魔術師相手するならそれぐらいの火力の拳銃かPDWパーソナル・ディフェンス・ウェポンが好ましい。それは反動がデカいが、お前の筋力を適切に使えば片手でも抑えられる」


 白銀でやや大型、シャープなフレームの半自動拳銃と予備のマガジンが1つ。

 その正しい使い方をレクチャーされつつ話は続く。


「これもヒツギさんが作ったんですか?」


「いや、海外からパーツ単位で輸入した」


「わざわざ?」


「わざわざって……ああ、『棺姫』あいつの創った武器は使わない方がいいぞ」


「え?」


「あれは単純な構造の物ならまだいいが、精密機械になると本人以外の使用は誤作動を起こしやすい」


「僕は使えましたけど」


「たまたまだろ。散弾銃の1,2発程度なら銃にしては構造も単純だし撃ててもおかしくない。でもそれ以上撃ってたらジャムってたと思うが」


「それじゃあ、リンは?なんか普通に使ってましたけど」


「あいつは特別。あいつが使った場合は誤作動が起きない」


「なんで?」


「さあ?でも、彼女にしても念の為自前の武器は持ってる」


 斧とか、バタフライナイフとかか。そういえばいつも服に隠して持ち歩いてる。


「で、ここからが本題だが、これからしばらくの間、これらの扱いを叩き込ませてもらう。ここなら銃声が響いても悲鳴が響いても大丈夫だからな」


「悲鳴?」


「お前の——


 顎。顎を打ち据え適切な力を加えると人は脳震盪を起こし気絶する。

 昏倒、落ちていく感覚。

 しかし気絶した瞬間に腹を蹴られ苦しさの中、目が覚めた。


「お前の悲鳴が響いても大丈夫ってことだ」


 蹴られたあたりが痛い。

 顎が外れていないのが不思議だった。


「なん……」


「だから、訓練だ。道具は渡しただろう。ハンデだ。こっちは素手でやる。殺す気で来い」


◆◆◆◆


 これが地獄のような1週間の始まりだった。


 チームに入って数日後に始まった出来事。

 ちなみにリンの方はこちらの訓練が終わるまであの能登柚月のと ゆづきという人と組んで動く。


 そんな彼女が別れ際にこの男を睨んでいた理由がわかった。

 要はこれから何が起こるのか知っていたわけだ。

 多分彼女も同じような目に遭ったからこの男を嫌ったのか?

 しかしヒツギさんの言うことには素直に従うから渋々僕をこの男に預けたか。


 そもそも喧嘩すらまともにやったことない僕が、気を抜けば殺されるかもと思いつつ渋々対抗を始め、それが曲がりなりにも一方的な暴力ではなく戦闘の様相を見せ始めたのに自分でも驚いた。


「『外道者アウトサイダー』は人間を狩る生き物だ。なら、生存のためにその手の能力に長けているのは当たり前だ」


 なるほど、そういうことらしい。

 じゃあ、なんで目の前の男はそれを圧倒できている?——という疑問。

 しかも聞いた話によると、この男は『外道者アウトサイダー』ではなく魔術師らしい。

 即ち身体能力は普通の人並。


「鍛えたに決まってんだろ」


 シンプルな答え。

 これは、僕が必死こいて繰り出したナイフの刺突を片手間に流されながらの一言。

 拳銃を扱うような距離と時間は与えられず、至近距離からの男の打突を片手でいなすのも無理な話で、片手にナイフ、もう片手はフリーで対処に専念する。

 そして、鳩尾、顎、気道を始めとした人体の弱点への攻撃で数秒ばかしノビたとしても無理矢理叩き起こされる。

 こうやって人体の急所を丁寧に教えてくれる。本当に丁寧に。


「魔術師と戦う時はなるべくこういう格闘戦は避けろ。魔術には掌で触れて作用するものと遠距離に作用するものの2種あるが、傾向として掌で触れるものの方が強力で即効性が高い」


「じゃあ、そもそも近づかれたら終わりなんじゃ」


「お前の未来を見る能力なら仕掛ける側に回ったらまず負けない。常に1時間ごとに未来を見てれば不意打ちもそうそう受けない。それでもそれらをすり抜けてくる連中はいる。そういう奴らへの備えだ」


 さっきから掌打を中心に漆原が攻めてくるのは、掌から放たれる魔術への対抗策を肉体に叩き込む意図だろう。

 掌に触れずに仕留めろという意図。


「いざとなったら死を覚悟しろ」


「死を覚悟しろって」


「どうしようもなくなれば死ぬしかないって話だ。魔術師との戦いは可能な限り敵を詰みの状況に追い込む狩りのようなもの。それをある程度察知できるお前ならそうそう詰まないと思うがな」


 そういうものだろうか。


◆◆◆◆


——1週間後


「こんなものか……」


 その言葉を聞いて手からナイフを落としそうになりつつ握り直す。

 目の前の男にそんなザマを見せたら間違いなくクドクド指摘されてしまう。


 食事とトイレと睡眠、後は日に数度のペースで能力の検証という名目での予知に費やした時間以外をこの部屋で過ごすように強制されたこの1週間は、ただひたすらにキツかった。


 地獄とかそういう安直な表現が案外的外れでもない。

 その間に負った打撲の数は知れず、骨も何度か折った。


「内臓の傷は治り辛いが、骨折ぐらいなら1日経てば治る。身体能力の向上は自然治癒にも適用される」


 ということだ。だから容赦なく骨を何度か折られた。


 そして、結局この男には一才の痛打は与えられず、銃で撃ってもナイフで斬っても掠りもしない。

 そもそも銃弾については


「飛んでくる方向とタイミングがわかっていればかわせる。お前にもできる」


 と言われる始末。


「後は、射撃の精度だが、それは自主的にやれ。『棺姫』に的を作ってもらってそれを撃ってろ。なるべく毎日欠かさずにな」


「分かりました」


 気を抜かない。

 この男の手口として、話している最中に拳を捩じ込んでくることがあった。

 それで人間のパンチで人の骨を簡単に折ることができるのを僕は初めて知った。


「じゃ、終わりだ。これからは1週間ごとの訓練で良い。ほら、もう行け」


 手で追い払うように振る仕草。

 僕は背を向け、一歩歩こうとしたその瞬間に背後、わずかな空気の流れを察知。


 漆原へ向き直り様、飛んできた拳を踏み込んで握っていたナイフで男の首を容赦なく刈ろうとして、瞬間


「がッ」


 さらに向こうから距離を詰めてくる。

 ナイフの間合いより近く、男の肩が重機の如き重さで胸を押し、僕のよろけた所をおそらく彼にしてみれば軽めの一撃を顎へ叩き込んで、無様に倒れ込んだ僕を奴は見下ろす。


「うん、悪くない」


 その一言を聞いて、意識が落ちていくのを感じた。

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