第6話 静的現実

 世界は『静的現実せいてきげんじつ』という法則のもと構築されている。

 棺姫は最初にそう言った。


「要するに大衆の認識が世界を形作ってるって話だけど……」


 いきなりなんの話だ、と思いつつ僕は付き合う。


「……それは例えば、僕があなたを認識してるから、あなたは存在してるとか、そういう哲学臭い話ですか?」


「哲学というより法則。この世の誰かが私を認識してるから、私はそこに存在する。と同時に世界を認識してるから世界は存在する……みたいな」


 少し、目の前の女性は考える。唇に指を添え、視線を下げるのが癖らしい。

 指先がピクピク動いている。


「例えば、天動説から地動説への推移。昔の人は地球が宇宙の中心で、天が動き地球の周りを回ってると考えた。今は地動説が正しく天動説は間違ってたことになってるけど、それは大半の人が天動説が間違いで地動説が正しいと主張を変えたから——」


「天動説が正しいとされてた頃は、星が地球の周りを回っていたと?」


「その通り」


「大勢の人が、たとえば大抵のことは科学で説明できると思っているから、世界は科学技術で成立していると?」


「もちろん」


 なんだかなー……と、オカルトとか陰謀論じみた話が始まったな、と呆然とする。


「それは……信じ難い、ですね」


「そう?じゃあ実例を一つ……」


——パンッと彼女が一回の拍手


「へ?」


 やけに響き……

 柔らかい天井の明かりが妙に明るく、いや、明るいというよりは白く変貌。


 何事かと思い天井を見る。


「あれ……」


 水槽が無い。

 そもそもあの神秘的なアクリルガラスはどこにもなく、コンクリート剥き出しの天井に単なる蛍光灯が並んでいた。


「……手品?」


「いやいや、違うよ。この場にいる全員の認識を変えた。君が未だ起こらぬ未来という認識に関与するように、私にも他者の認識に関与する力がある。天井に水槽があったと君たちが思っていた時には水槽とその中を泳ぐ魚は実在した。でも、今は存在しない。その認識を書き変えたからね。なんなら彼女——」


 そう言って羽二重リンを指差す。


「彼女の力も見ただろ?彼女が致命傷を負っても傷が消えた瞬間を。こんな風に私たち『外道者アウトサイダー』は生物の認識をいじる。そこから逆算して限定的に世界を書き変える。世界が一枚のキャンバスとしたら、人の認識は絵筆。それを操る我々は『静的現実を歪める者』と呼ばれている。そして——」


「——『人狩り』とも呼ばれてるけどね」


 その言葉がやけに耳に残る。


「人を殺すから?」


 僕はそれが一番聞きたかった。


「超能力があるのは分かりましたけど、で、なんで人を殺したいって話に……?」


「少なくとも君も殺人への抵抗は減っているはずだ。君が例外である理由は……」


急に、彼女は話を止める。


「いや、そもそも……あー……」


 その瞳が心の奥底を覗いてくる。


「な、なんです?」


「君、すでに人を殺してるね?」


 喉の奥が詰まる。


「そんなわけ……ないでしょ」


「それならそれでいいけどね。続きを話そうか。それで——」


 全てを見透かしたような目でこちらを見つめてくる。

 老獪ろうかいなのに純真無垢な、賢しさと子供っぽさを抱き合わせた目。

 初対面なのに、すでにこの人のことが……嫌いだ。


「——それで、大衆に存在を認められてないが、ルールの外に存在するモノが我々以外にも存在する。例えば『吸血鬼ヴァンパイア』、『悪魔デーモン』。大衆にとって道理から外れ、フィクションにのみ存在する連中。さらに『吸血鬼ヴァンパイア』は普通の食事で生きられるのに、血を欲し、それが叶わなければ狂う。我々の殺人衝動も同じ様なもの」


 少し、考える時間を委ねるように『棺姫』が時間を置く。

 悪魔が自分の本性を受け入れろと囁く様に。


 僕も結局のところ心の変化、異常なる変化。惨たらしい死への慣れを無視できない。


「そして、これらの存在を闇に隠そうと動く勢力がいる。彼らは大衆から闇の存在を秘匿し、利益を独占するか、抹殺しにくる。彼らに会えば殺すしかないね」


 空気が張り詰めてるように感じる。


 そして、ここまで話し終えた彼女——『棺姫』は「ふー……」と区切りをつけるために息を吐いた。


 ここまでの内容は嫌でも頭に叩き込まれた。


「それで……」


 少し声を強め強調され


「悪かったね。脅すつもりじゃ無かったんだ。それで……君は、私達と手を組むかい?」


 頭が回らない。

 でも、なんとなく話を聞く傍らで考えてはいた。


「……手を組まないって選択肢は?」


「お勧めしない。『外道者アウトサイダー』は、人を殺す定めにある。殺人衝動や運命がそう導く。そうなったら一般人と徒党を組むのは難しい。我々同士助け合う必要があるね」


 選択肢は無いと遠回しに説明してくれた。

 親切すぎて涙が出る。

 ただ、話を聞いて僕の心に溜まったフラストレーションは無視できない。


「あの、嫌、嫌です。手を組むの」


「え?」


 この時「え?」と言ったのは羽二重リンの方。目の前の女性は相変わらず何考えてるか分からない顔で、静かにこちらを見つめている。

 というか、後ろの羽二重リンは本気で僕が手を組むと思っていたのか。


「なるほど。それはどうしてだい?」


 『棺姫』が言う。


「どうしてって……そりゃ、嫌に決まってるでしょ……」


 あー……なんだろう。なんとなく話が通じない感じがしてきた。


「だって、昨日から、ずっと、昨日から僕は酷い目に遭って、殺されかけたり、返り血浴びたり、それに……その挙句、君はもう化け物だから私らと手を組めって納得できるわけないでしょ……」


 息継ぎ。


「それに、その、そうやって一つ一つ外堀埋められるみたいな?選択肢無い選択押し付けられるの、嫌なんですよ。そういうわけで——」


 肩を掴まれた。

 不意に触れられびっくりし振り返ると、なんか羽二重リンが肩を掴んでいた。


 え、なに、その顔は。


「なんで……」


 頭のおかしい女と思っていたのに。

 なんなら唐突にキレるとか、そんな反応なら分かる、訳のわからないものとして理解できるのに。


「なんでそんな顔、僕は別に……」


 息を吸う。落ち着かない。居づらい。


「あの、かえ、帰ります」


 そう言って手を振り払い、そそくさ僕は、逃げるみたいにその部屋を立ち去った。


◆◆◆◆


 彼——武藤圭介が立ち去った後。


「あーあ、フラれちゃった」


 ボスはそうやって言う。

 誰に言ってるのかと思ったけど、どうやら彼と入れ違いで入った漆原に言ったらしい。


「大丈夫?リンちゃん」


「あの、はい。大丈夫です」


 キチンと受け答えする。


「それで?」


 漆原が言う。


 空気を読んでるのか読んでないのか知らないけど、今はその淡々とする態度に合わせた方が気分はマシで、私も会話に参加。


「彼、大丈夫ですかね」


 ただし尋ねるのはボスへ。漆原の発言は無視。


「ヤバいだろうね。昨日の戦闘で多分顔も見られてるし。能力はまともに使えず、顔が割れてるともなれば、カモがネギ背負ってるようなもんだ。リスク犯してでも確実に殺しに来るよ」


「ですよねー……」


 そう言いつつ、私はちょっと考えた。

 昨日の喫茶店での襲撃。これまでの偶発的、散発的に稀にあったものと違い、明らかに組織だったやり口。

 そもそもあの喫茶店で彼と話す事になったのはたまたまだったはずだ。


「他に手ぇ空いてる人いました?」


「居ない」


 これは漆原が即答。


「近頃は色々動きが読みづらい。今請け負ってる件から人を外すのは避けてもらいたいな」


「なるほど、じゃあ、リンちゃん。あなたが行って」


 少し、迷う。


「……分かりました」


 少し返答に迷ったけど、部屋を去った彼を追うことにした。


◆◆◆◆


 窓の外を景色が流れていく。


 あれからしばらく経って、僕は電車に乗っていた。


 立ったまま眺める外は昼特有のゴミゴミした光景で風情とかは無く、今向かう自分の住んでいた場所——あれを自宅と呼びたくないのでそう言うが、あの住んでいた場所へと向かう。


 別に、帰宅したいとかそういう意図があったわけじゃない。

 ただ、あの集団に、ひいては羽二重リンに聞かされた話から、どうしても確認しなきゃいけないことが1つだけあった。


「てゆーか、僕、悪くないよなぁ……」


 それはそれとして、さっきから自分にそう言い聞かせ続けている。

 脅して「彼氏になって」って言ってきたり、「もう人間じゃないから仲間になれよ」とか言ってきたり


「頭おかしい、頭おかしいよ……」


 そう思えば頭の中のモヤつきも多少は晴れるか……いや、そんなことはない。


「いや、今はとにかく……」


 あの場所へ。


「アノ……」


 ぶつぶつ呟きながら窓の外を眺めていたら、不意にそんな声がかかった。


「え、はい?」


 振り向いてみると、少し気圧される。

 巨漢。

 その身の丈は2mを悠に超え、電車の天井に頭を擦りかけた外国人。

 頭にはグレーのフェドラハット、全身を覆う同色のトレンチコート。

 白人で、短い金髪と碧眼、鉤鼻。

 見るからに目立つ立ち姿で、周りの乗客も控えめながらチラチラこちらに視線を送る。

 こんな、やけに目立つ男を僕は知らない。


「あの、なにか……」


「アナタはムトウケイスケさんですか?」


 そう言ってズイッと顔を寄せてくる。

 日本語を習熟しきってないのか、ひどく単調な文法。

 つーか、なんで名前知って、いや、どうする?——反射的に


「違いっ、ますけど」


 嘘をついた。

 思わずたどたどしい言い方になる。


「ソウですか。それは失礼、シマシた」


 そう言ってペコリと頭を下げ、頭を天井に擦らないためやや前屈みになりつつ彼は車両の中を進む。何かを探す様に。うろうろ視線を彷徨わせて。

 その行き先と反対方向に車両を変えようと視線を離しこっそり僕は踏み出して、


「アア、ソウ言えば、」


 こちらに声が。

 思わず首を巡らせ


「アナタ、嘘ツキですカ?」


「え?」

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る