第7話 アダム・スミス
昨晩から今日にかけて3件、不可解な殺人事件が続いたという。
——1件目
夜半。
その男は駅前のパチンコ屋を出て、店の前で巨体の外国人とすれ違った。
それを見て特に気にすることはなく、履いていたダメージジーンズのポケットから紙タバコを取り出し、吸い始める。
ちょうど路上喫煙が禁止されていたエリア。
罰金の対象にはなるだろうが、この辺りの警察はいちいちその程度を咎めるほど真面目じゃない。
これは男がパチスロで散々粘った挙句負けた日の習慣で、さらにこの日は離婚した元妻へ払うはずの子供の養育費にも手を付けケツに火が付いていた。
そんな折
「アナタ、ロジョー喫煙はいけませんよ」
背後からカタコトの日本語が聞こえる。
「は?」
振り返ってみれば先程すれ違った外国人が上からまっすぐに男を見つめていた。
背が高いせいで視線を合わせようと思えば自然に目線は上がる。
そして、「なんだこいつ?」と思いつつ彼が外国人を無視し、立ち去ろうとすると
「アナタ、罪深イですね」
その一声。その一声と共に男の首は切り離され、その瞬間に宙を舞った。
目撃者の証言では、その外国人が何か言った直後、空中を撫でるように右腕を振ったらしく、その途端に飛んだのだ。
なお、その断面はなめらかであった。
——2件目
同じように巨漢の外国人が路上にガムを吐き捨てた男を注意し、それが無視されたところ男の首が飛んだ。
——3件目
明け方、人気の無い路地裏でスリルと快感を求め路上で立ったままセックスを繰り広げた男女。
それを巨漢の外国人が見咎め注意。
男女が無視し腰を振り続けたところ、2人の首がたちまち飛んで、その光景を監視カメラが捉えた。
以上3件。
これらの事件は、いずれもこの外国人が重要参考人に挙げられたものの、結局のところ迷宮入り——という結末になるよう決まっていた。
◆◆◆◆
「えっと……」
あなた嘘つきですか——って、え?なに?
戸惑う。僕は戸惑っている。
「あの……」
「アナタは嘘ツキナンですか?」
迷う。なんか不審者っぽい、この人。
正直に言うべきか?
いや……少し、周りに視線を。
電車は走り続ける。
真昼間なので通勤、退勤時間からまぬがれ乗客は少ない。
その少ない乗客はなるべく目を向けず、見て見ぬふり、聞かぬふりをしている。
そして僕は何か観念したような気持ちで、
「あの、僕は、武藤圭介、です」
なんとなくプレッシャーに耐えかねて答えてしまった。
「ナルホド、分かりました。アナタはどうやらショージキにハナしてくれたみたいデス。エライですよ」
またもズイと顔を近づけられ、後ずさる。
「はぁ、どうも?」
ガラス玉みたいな目をしていた。
曇ったガラス玉みたいな青い瞳の外国人。
「デモ、ソレはソレとして、アナタは。アナタというアウトサイドな存在は、罪深イィです」
「え——」
突如上着の襟を背後から掴まれ、のけぞった勢いのまま投げ飛ばされ近くの座席で背中を打つ。
「い゛ったっ」
背中の鈍痛。そして、何事かと開けた視界で上を見て、
「え?」
空……?なんで電車で空が見える?と思った途端に遠くの方で金属板が地面に落ちひしゃげるような音が聞こえた。
「なん……」
「——危なかった……」
聞き覚えのある声がした。
目を向けると見覚えのある顔もあった。
「大丈夫だった……?」
羽二重リンの無駄に作りの良い顔が上から屈み気味の姿勢で見つめていた。
「なん……」
「なんで」と言おうとして矢先に周囲の違和感が肌に刺さる。
寒い。
その原因。
「天井が無い⁈」
見ればわかることにようやく気付いた。
蓋を外したみたいに天井が消えている。
「切り飛ばされたんだよ……」
そう言われて車窓のやや真ん中辺りの高さで、スパッと切断したみたいな跡が目についた。
ちょうど、さっきまで立っていた僕の首くらいの高さ。
多分羽二重リンが襟を掴んで後ろに引っ張り倒したのだ。そうしてもらわなかったら首が飛んでいた。
「なんっ……」
「ヨけないでください」
「なんなんだ、お前」
へたり込んだまま僕は男へ言う。
男としてはその質問に何か満足感を覚えたようで、その話し方は少しだけネイティヴな日本語に変化。
その一文だけ必死に覚えたような滑らかさで
「ああ、申し遅れました、私の名はアダム・スミ——」
状況を理解した誰かの悲鳴が上がる。
ゆっくりと、現実を鵜呑みにした数少ない乗客たち、そのうち僕の視界で2人の男が運悪く座高が高かったみたいで、頭が中途半端にぶった斬られ床に脳漿とタンパク質をぶち撒ける。
その鼻につく匂い。
また、この匂い。
そうした不快、そして、存外冷静でいる自分に違和を感じた僕を尻目に男へ襲撃を加える羽二重リン。
彼女は淡々と巨体の男へ仕掛けた。
その手には大きな鞄。
その中からあまりに、現実と不釣り合いで物騒な物が取り出され、
「なっ、」
細い銃身を円柱状に繋ぐガトリングガン。
光を反射しないドス黒フレーム、上部、後部にグリップが付きベルト状に長い弾倉がぶら下がって……いや、なんだよそれ。
そんなもん何で持って、そもそもそんな物をこの場で撃つ?
「待っ——」
声は掻き消された。
うろ覚えだけど、1分に4000発。
本来なら軍用ヘリに載せる機械式の凶器を個人で扱えるサイズに抑え、なお有り余る獰猛な破壊。
その反動を彼女が細腕で容易く抑え着弾点はいずれも、あの白人の胴へ殺到する中、誰かの這いずり回り泣き叫び逃げ惑う乗客の悲鳴が掻き消されるこの惨状で
それを覗き見ようと思ったのは、多分僕も化け物じみたメンタルへ変質を遂げたからだ。多分生き延びるすべを探っている。
そして彼女の意外にも余裕の無い顔。
冷や汗を垂らし、睨みつけた視線の先を追う。
1発もあの巨体の男へ着弾することはなく。
男の前に空間の歪みとでも呼ぶべきものがあった。
空間を一枚の絵としたら、それを無理やり寄せ集めぐしゃぐしゃに固めたみたいな歪み。
傍目にはその歪みが銃弾を阻み、ひしゃげた鉛クズをその場にボロボロ落とす。
そして十数秒かけ赤熱したガトリングは真っ赤に染まり回転を止めた。
弾切れ。
「まずい……」
羽二重リンが呟く。
「勝てないかも……」
自信なさげな声。
それに対峙する男はかえって自信に満ち、カタコトの日本語で話す。
「ヒトが名乗る最中、手を出す物ではありません。改めまして、私はアダム・スミスです。ドウゾお見知りおきを」
そう言ってコートの襟を直す。
その態度に歯噛みする彼女。
僕は黙って見るのが辛くなり、考え、最終的には羽二重リンの手に触れる。
多分あの男は僕を殺そうとしている。
だから自分の感情は抜きにして羽二重リンに協力すべきだと思考した。
そして、触れた彼女の視点から未来を覗き見る。
触れた時、彼女が軽く僕に視線をくれたけど、なんとなく察したのか、あの男へ違和感を与えないよう口を開く。
「驚いた。アナタ、相当強いんだね。並の魔術師ならあの火力で死ぬだろうけど……」
おそらく時間稼ぎだろう。
羽二重リンが会話を投げる——その光景は既に彼女の視界で見た。その後であの男に彼女がバラバラにされるまでもセットで——いや、なにかあるはずだ。とにかく——
「あの男の半径2m以内に入らないで……」
その情報を羽二重リンへ共有。
未来での彼女の負傷は主にそれだった。
半径2mの射程に捉えられた瞬間に彼女は細切れ。
さっきの車両の天井を丸々斬り飛ばした切断は一車両の長さを考えたら10~15メートルは届く。
なんでわざわざ近づいてくるのか分からなかったけど……
というか細切れにされたら彼女でも無理なのか?脳味噌ぶち抜かれても大丈夫だったのに?
彼女にしろあの男にしろ情報が少ない。
とにかく、もう一度見てみる。
彼女とアダム・スミスとの会話は進行中、それを聞き流し未来の中で——僕はある物を見つけた。
◆◆◆◆
電車は走り続ける。
「驚いた。アナタ、相当強いんだね。並の魔術師ならあの火力で死ぬけど……」
これはわりかし本気の言葉。
あれで無傷とか、逆にどうやったら傷付くのか。
どうしよっか……
隣で私の手に触れた彼が今、多分私の視界で未来を見てくれている。
「あの男の半径2m以内には入らないで……」
彼からのアドバイス。
それはそれとして私の方でも頭を回す。
鞄の中には他にもショットガンとか、拳銃とか、刀とかボスに創ってもらった品質の高い武器を色々持って来たけど、最高火力の
「魔術師……?」
「ん?」
目の前のデッカい男がボソリと呟く。
心なしか目元が険しい。
「あなた今、ワタシを魔術師とイイましたね?」
「違うの?」
「その間違いは罪深イ。罪深イデスよ。ワタシは、いわば国家公務員トいうやつデス。セカイいち小サク、偉大なクニのね」
男が今、聞き逃せないことを言った。
世界一小さい国……バチカン。
バチカン市国。
「え……」
その言葉から私は遭遇したら死を覚悟した方いいとボスに言われた連中を思い出す。
魔術師の中でも明らかに格も次元も違う——俗に『老人』と呼ばれる5人の魔術師とその側近。
殺しても死なない連中ばかりの高位の魔術師と、
その他、こまごまと個人名が挙がり、最後に付け加えられたのが、あらゆる異常を潰して回る『現実の守護者』にして、本来タブー視される魔術を操り化け物と魔術師の殺害を担う『殲滅部隊』。
日本みたいな宗教が根付きにくい国で派手なことはできないはず……それが、なんで?
「なぜ、トイウのは些事な悩みとオモイマス。神の意思はワレワレニ知りうるモノデハナイ。タダ、ワタシは貴方たちの様な化け物があれば東へ西へ……」
思った以上に踏み込んじゃいけないところに踏み込んじゃったか。
冷静に頭は回るけど本能が命の危機を感じてる。
「サテ、お祈りはスマセましたか?」
「もうちょっと待ってくれない?」
「イイエ、もう時間切——」
「——逃げるよっ!!」
「え、」
我に返り振り向くと、私の鞄の持ち手に両腕通して背負った彼が真剣な眼差しで見つめてくる。
「今!すぐに!線路の外っ!ああっ、僕背負って!早く!」
迫真の勢い。
それに困惑しても疑うことはせず、彼を背負う。
『
だから、その通りに。
「マチなさいっ!」
ただ、問題はあの男が追いかけてくること
「振り向かないでっ!」
彼の言葉を信じるしかない。
飛び降り、隣の線路に足をつき遠くの柵へまっしぐら。
そして、このタイミングで逃走を促す彼の意図が分かった。
線路からほんの数十センチ離れた、その時。
怒号——としか言いようのない何より響く音が真後ろで鳴り響く。
ゴッでもドッでもない。強いて言うならその両方が断続的に聞こえる破砕音。
鉄骨が高所から落ちるような。
それがなんなのか振り向かずとも察しが付く。
多分私達を追ってきたあの男が向かいから来た電車に轢き飛ばされたのだ。
ほんの少し、視線を後ろへ投げれば、急停止し、先頭車両のひしゃげた貨物列車が視界に映る。しかしすぐさま視線を前に、金網の柵を一息に飛び越えた。
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