第5話 ボス
——翌日、午前10時前
僕は今、長い階段を下っている。
昨晩は思いの外熟睡できて頭の中は明瞭。
先頭を行くのは彼女——羽二重リンで、その後ろを僕が続く2人きり。
コンクリートに囲まれ空気は冷ややかで、一段一段進むたび金属の階段が否応なく音を反響させる。
その場所は相変わらず歌舞伎町の一角。
表通りから逸れた煤けたレンガ色のアパートの一階、配電設備の部屋のさらに奥。
鍵が厳重な扉の奥にこんな階段が続いていた。
その長さは上を見れば既に天井は遠く、下を見ればどこまでも暗い先行きで、その果ては見えない。
「……あの」
「ん?」
「この先に何があるのかだけでも、教えてもらえませんかね」
「……言ってなかったっけ」
「……聞いてないです」
本当に意識の外だったと言いたげな態度。
「……ごめん、忘れてた。あの、私達のボスに会ってもらおうと思ってさ」
「ボス?」
「そう、説明したでしょ。君はもう人間じゃないって……『
「……あの、その『
「んー、でもさ、なんとなく気付いてるんじゃない?目の前で人が死ぬのに慣れてきてるって……それに昨晩は熟睡できたでしょ?」
昨晩、昨晩は……
——あの喫茶店での一件の後、漆原と呼ばれていた男に案内され、このアパートにやってきた。
その5階の彼女の部屋へ彼女と共に押し込まれ言われたのが、
・この部屋で一晩明かすこと
・午前10時にアパートの地下に来ること
このの2つ。
まったくこちらの事情を聞かずに。
ただ、昨晩出くわした事が異常で、疲れ切ったのもあってか、その夜は部屋で一晩明かした。
そして、目覚めれば意外に疲れは取れていたわけだ。
それが、言われてみれば少しおかしい気もする。例えば震えて眠れないとか、そうなるのが普通なんじゃないか、と。
「人ってね、同族を殺さないよう精神にストッパーかかってるんだよ。あー、ベトナム戦争で人1人殺すのに計算上5万発の弾が消費された話、知ってる?」
「いや、知らないですけど、そうなんですか?」
なんとなくベトナム戦争という知識が自分の中で曖昧だった。
ただ、彼女が言ってるのは、大半の弾が人を撃っているフリに使われたって意味なのかと理解する。
「そーなんだけど、現代の戦争ではそれが着実に減っている。少数の弾で人を殺せる様にね。それって訓練方法変えたり、知恵と工夫の産物で、それでも精神を病む事例と殺人は切り離せない」
やけに理知的な話し方。誰かの受け売りみたいに。
「……要するに、何が言いたいんです?」
クルッと彼女は翻り、僕へ顔を合わせた。
「つまり、同族を殺すため人はそれだけ心血と叡智を捧げなきゃいけなかった。でも、私たちにはそれが必要無い。そのうち君にもその良さが分かるよ」
すこし考えて、その話がまったく飲み込めないことが分かった。
根本的に常識が違う、この人は。
ただ、昨日も見た様な屈託の無い笑みを向けられ、「はぁ、そうですか」と流すしかなかったけど……
「やけに詳しいですね」
「そりゃー、色々調べたからね。なんなら本とか貸してあげるよ」
「いや、大丈夫です」
できるだけ明瞭に、ハッキリ伝える。
それからは無言で階段を降り、何分経ったか。
少なくとも5分とかじゃない、もっと長い経過で1番下へ辿り着き、そこにあったのは映画のスクリーンを思わせる観音開きの扉。
その左右のうち、右側を彼女が開き中へと僕を招き入れた。
◆◆◆◆
踏み込んだ瞬間にヒヤリと、空気が肌にまとわりつく。
空調とは違う。
柔らかい温度が肌寒くはなく、少し立ち止まる。
——変だと思った
四方は真っ黒い壁、天井から光が差し、人工的な光でなく海の底にいるように、その光は波打っている。
違和感の正体を確かめるため、僕は見上げた。
「え?」
一面のアクリルガラス。天井が1枚のアクリルガラスで埋められ、その向こうは水槽として穏やかな暖色の魚の群れが泳いでいた。
それらを投下し光は木漏れ日のように。
魚は床へ影を投げかけている。
「驚いた?」
僕を先に行かせようと、羽二重リンは後ろをついて来る。
「驚いたってか、これどうなって……」
「ここに来た人は、みんな同じような反応するよ」
そう言われて金をかければこのくらいはできるのか、と僕は自分を納得させた。
でも天井の向こうでは水中に1匹のリュウグウノツカイが泳いでるのが見えた。
反物のように揺れ進むその魚が、そもそも購入できるものなのか?と考え始めた辺りでカタッと部屋の奥から物音が。
見れば壁の手前には祭壇。
その上に横たわる長く大きな箱。
黒く塗られた木箱で、人が1人入ってしまえる直方体。
その周囲は花瓶に活けられた種々の花々。
それ以外に何もない殺風景な部屋。
だから、あの箱を棺に見立てれば、葬式会場を現代アート風に彩ったような部屋だと思った。
そして進み、横たわった棺を見下ろしつつ周囲の花瓶から一輪手に取り、顔を近づけてみる。
芳香、放射状に開く百合から少し青っぽい匂いを嗅いで
「やあ」
「いっ」
びっ、くりした。
真後ろで聞こえ身体がビクリと震えた。
「あ……」
「あ、ボス」
部屋の真ん中で羽二重リンがそう言ったので真後ろに突如現れたこの人物が僕と会う予定のボスだと分かった。
というか、いつ現れた?
どこから来た?——という疑問は、僕と同じ様な能力を使ったのでは?という推察で納得する。
背の高い女性だった。
黒髪が長く、床スレスレまで伸びている。
その黒と対極の真っ白いカッターシャツに、黒のビジネスパンツ。
服装だけ見れば社会人でも通用しそうだけど、髪の長さで全てを台無しにしている。
歳は……よく分からない。
たぶん歳上。
ひとまず、そうやって頭の中で情報を整理していく。
そうしてるうち、その女性は僕の横を通り抜け、祭壇の空いてるスペースに腰掛けた。
彼女が見上げ、僕が見下ろす。
そういう位置どり。
「はじめまして。武藤圭介くん」
「……僕の名前、知ってるんですね」
羽二重リンに呼ばれた時も思ったけど。
「悪いけど色々調べさせてもらったよ。それで、私の名前は……適当にボスと呼んで貰えばいいよ、それとも肩書きじゃ呼びづらい?」
そんなことはなかったけど、名前は聞いておきたかった。
「んー、なんだろうな『
「『棺姫』?」
「そう、なにせ私の本体はこの中」
そう言って間際の黒い箱を叩く。
「君の見てる私は、質量を持った幻だと思ってもらえば良い」
「なる……ほど?」
よく分からない。
けど、ひとまず流す。
「その、それで、結局なんで僕は呼び出されたんですか?」
「あれ、リンちゃんから聞いてない?」
「いや、ボスと会うためってだけ言わましたけど?」
その言葉を聞くと彼は僕の背後、羽二重リンの方へ視線を向けた。
「リンちゃーん。私、その辺の説明頼んだはずだけどー?」
羽二重リンが少し目を泳がせている。
「それは……エッヘッヘヘ」
誤魔化す様な笑みを見て、棺姫』はため息をつき、
「ま、いいか」
そう言って、すぐさま僕へ視線を戻す。
「じゃあ、そこから話すけど……君はもう人間じゃない。意に沿わず人外の世界に踏み入ってしまった。ので、人の世界にルールがある様に、こちらの世界にもルールがある。それを教えておこうと思ってね」
「もう人間じゃないっていうのが、そもそもよく分からないです」
「……うーん、それは追々理解してもらうしかないかなぁ。無理にわからせるのは良くないし。ま、ひとまず参考に聞いてってよ。人殺しの化け物としてのあり方を」
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