第3話 ゾンビ潰し

 ゾンビ。


 彼女は凶器を持つあの表情の抜けた集団をゾンビと呼んでいた。


 それを聞いて僕はなんとなく死体を魔法やウィルスで蘇らせた存在をイメージする。

 映画のバタリアンとか、ゲームのバイオハザードとかのアレだ。


 でも、あの集団はモツや脳みそがはみ出たり、汚らしいなんて事はなく、妙に小綺麗で、なら古典的、原点的な意味でヴードゥー魔術で操られた人間って意味のゾンビか?


 とすれば、それを思い切り無骨で無粋で、ただの鈍器手斧で冗談みたいにかき混ぜる彼女は殺人鬼、それもタチの悪い大量殺人鬼か?


「そーれ、ヨイショぉっ!!」


 その一言で上半身を切り飛ばす。

 妙に小綺麗、とは言った。

 いや、小綺麗だったと言うべきで、

 足元まで血の池が広がり思わずへたり込んで引き下がる。

 ちぎれた頭が飛んできた。

 ゴロゴロした潤いある、まぁるい目玉と目が合った。


「ア、はは」


 もうどうにでもなれ、どうにでも

 

 どうにでも……


——吐く


 吐いた。さっきまで飲んでたコーヒーの匂いとゲロ臭い自分の吐瀉物。

 少しジーンズにかかる。

 あとは彼女の引き摺り出す臓物とその中に混ざった血と消化物と便の混合する匂い、ひたすら鼻腔へ叩きつける酸鼻な匂い。


 見ない、何も見ない。

 現実を、今この瞬間の認識から自分を切り離す現実逃避。

 何も見ていない、何も嗅いでいない、何も聞いていない、何も、何も、何も、なにもなにも……何も……聞こえなかった……


 気付けば静かになってることに気が付いた。


「あー、もしもし?話が違うんだけど……うん、うん、狙撃手は始末した?あそうですか。……あー……貸し一つですよ。後片付けも。じゃ、よろしくお願いします」


 経った時間は1分?いや、時間の感覚がグズグスでよく分からない。

 もはや全身血に塗れてデロデロの彼女が自分のスマホで誰かと話してた。

 

 てか、逃げないと。

 逃げ、腰が抜けてる。


「あ……」


 まずい。動けない。


 彼女がこっちへ歩いてくる。近づいてくる。

 顔は笑顔で——頭おかしいんじゃないかッ?!


 逃げ、逃げないと——動かない。


 唯一動く膝から先と両腕が動き、かろうじて無様に引き下がる。

 すぐ背後は壁、壁、這い下がれない。


「えぅ゛っ!」


 込み上げてくる吐き気を我慢してえずき、たまたま手元にあった返り血を浴びたマグカップを彼女に投げつける。


 それで彼女の不況を買ってしまえばそれこそおしまいだって思考が欠如して、そもそも手の甲で空中のソレを払い除けられた。

 その手の甲に彼女は切り傷を作ったけど、次の瞬間に消えている。

 思えばゾンビに肩を抉られた時も、頭を銃弾が撃ち抜いた時も次の瞬間にその傷全てが消えていた。

 治るのではなく、元から傷なんて負っていなかったみたいに消える。


 喉の奥から息が出る。

 呼吸一つ一つが苦しい。


「た、助っ——」


「——よーし、よしよし、大丈夫だから」


 抱き寄せられた。

 しゃがみ込んだ血塗れの彼女に抱き寄せられて、血の匂いがする。

 後頭部へ回した腕で犬みたいに撫で回される。

 なんなんだ、この女は。

 なんで、なんか、もう、よく分かんなくって涙が出てきた。

 そうして何度か背中をポンポン叩かれて、離れて彼女は立ち上がる。

 そして髪をかき上げ前髪払いのけてこう言った。


「よーし、じゃあ一回深呼吸しようか、ほら、鼻だと臭いから口でね、ほら、吸ってぇー」


 吸う。

 それこそ犬みたいに彼女の言うことに従う。

 もう思考能力が自分の中に無い。


「吐いてぇー……」


 吐瀉物を一緒に吐き出さない様に気を付けた。


「落ち着いた?」


「ははっ」


 「はい」とも「いいえ」とも言えず乾いた笑いが出る。彼女がそれをどう受け取ったかはもはやどうでも良くなった。


「うん、笑えるなら大丈夫だね」

 

 両側の口角を吊り上げて、こんな状況じゃなきゃ見惚れる様な彼女の笑み。


——何も大丈夫じゃない


 どこかサディスティックでおちょくる様な風味があり、頬はアネモネの花みたいにわずかに紅潮し、口から白い八重歯が少しのぞいてる。

 やや切れ長の目は笑みでさらに細められて、その隙間からわずかに悪寒を催す無邪気な瞳孔。猫みたいな瞳孔。


 血まみれの彼女。


 これが彼女とのファーストコンタクト。


 「へへっ」


 変な笑いしか出ない。


「あ、それじゃあ約束通り君は私の彼氏ね」


 なんて風に言って、意味ありげにチラッと背後のボロ切れみたいな死体の山へ彼女は視線を送った。


「それと、私の名前は羽二重リン。覚えてね。武藤圭介くん」


◆◆◆◆


 頭がおかしくなりそうだ。

 続け様に羽二重リンと名乗った女から語られた話もそうだった。


 言う所によると、この世には人間じゃないものが実在するとか。


 例えば『魔術師』、例えば『吸血鬼』。


 そんな、創作の中で使い古されたような連中が本当に実在するという。


 で、そういうカテゴリーの1つ、人間から突然変異として現れる種が『外道者アウトサイダー』。

 それが彼女の正体らしい。

 人を殺す因果の中にある生物——要約するとそんな感じ。


 人から変質したのに、人殺しに躊躇がなくなり、むしろ殺したいとすら思い始める人殺しを欲する、人によく似た生き物。


 僕もその『外道者アウトサイダー』に変質しつつあるよ、と当たり前みたいに言われ、


「あの、」


「なぁに?」


「おちょくってます?」


 今みたいな話をエレベーターの前で、待ち時間に手早く叩き込まれる。

 ここは5階。階段で降りるには高い。

 本当は一刻も早くこの場所を離れたかったけど、彼女に押し切られエレベーターを待っている。彼女は階段が面倒臭いらしい。


「え、分かりにくかった?」


「いや、そういうわけじゃないですけど……」


 そう言いつつ、やや後退る。

 なんで雑居ビルの廊下はこんなに狭いのか。

 できれば彼女——羽二重リンに近づきたくないけど、右手をガッシリ握られてるからしょうがない。


 そして何を思ったか、こっちが距離を取った分、笑顔で詰め寄ってくる。


「あの……んー、いや、その『外道者アウトサイダー』ってのは、えっと、僕みたいな超能力持ってる人ってことですかね……?」


 ボソボソと彼女の話に付き合う。


 結局、僕自身が普通じゃない能力持ってるせいで、彼女の話も否定しきれない。


 それに、機嫌を損ねたくないという打算もあった。


「そうだね、君の未来を見る能力とか、私の負った傷が無くなる能力とかね……」


 そうして視線を合わせてくる。

 微笑み続けてる。楽しそうに。


「後は、ああ、みんながデフォで持ってる能力が2つ……ひとつは、単純な身体能力の強化。……あと、もう1つは自動的なんだけど——」


——エレベーターが5階に来て、扉が開く


 だいぶ待たされた気がする。

 誰かどこかの階でモタモタやってたか……

 いや、彼女と2人で緊張しっぱなしだったから長く感じた。多分そうだ。


 そして手を引かれて乗り込み、彼女は1階のボタンと「閉」のボタンを押す。


 未だ僕の手は握られたまま。


「じゃ、ふたつめだけど——」


「——あの」


 食い気味に差し込む


「なんでずっと僕の手、握ってるんですか?」


「痛かった?」


「いや、そうじゃないですけど、別に逃げないですよ」


 逃げれないし……


 多分逃げてもすぐ追い付かれる。

 そこだけは自信がある。


「あー……嫌?」


「別に嫌じゃないですけど、その、あー……女の人に触られた事そんな無いからドキドキ?しますね」


 色んな意味で。


「えー?エー、エッヘッヘへ嬉しいなぁ。うーん、じゃあ、ずっと手繋いでるのもアレだね——」


 そう言うとついに手を離し、彼女は自分のほっそりした首から黒いチョーカーを外す。


「——これあげるよ」


 そして僕の首に巻き付けた。


「それ見るたびに私を思い出してね」


「え、ああ、ハイ……」


 生返事。

 彼女が巻きつけたチョーカーは少し収まりが悪く、締め付けがキツイ。


 そして、エレベーターが1階に辿り着く。


 ピーンと電子音を鳴らし、扉が開く。外から空気が流れてきて、蒸せ返る血の、主に彼女の服についた血の匂いが少しやわらいだ。


 彼女と共に降り立った先、正面がビルの出口、左手に階段のシンプルな造り。


「ああ、そういえば言い忘れるとこだった。『外道者アウトサイダー』が必ず持ってる2つ目の能力」


「そうでしたね……」


「それはね、『外道者アウトサイダー』の殺した生き物は死体が跡形もなく消えるって事だよ」


「……え?」


「あー……正しくは私らが人を殺したら、死体とソレが身に付けていたものが消える。血痕とかも消える」


「それは……ほんとに?」


 聞き逃せなかった。

 外気を浴び外に出つつ、話を聞く。


「本当本当。ああ、さっきの集団は例外だよ。あれは……人間じゃないし。魔術師が死体動かしてただけだし」


「……へー……」


「なんか、やけに興味津々だね」


「いや、そんなことはないですけど——」


 と言いつつ歩いていたら、ビルの前に黒い影。


 全身が黒スーツ。口髭を生やし、足が悪いのか老人が使うような杖を突いている。

 僕と彼女の進路を立ち塞ぐようにボウッと立っているから、こちらに用があると明白な姿。


「あの、知り合いですか?」


 チラと彼女を見ると、露骨に嫌そうな顔。

 でも、ツカツカと男の方へ歩いていき


「遅かったじゃないですか、漆原うるしばらさん」


 と、開口一番に文句の言葉を投げる。

 その態度を見て彼女は、あの黒ずくめの男が嫌いなんだなと理解した。


「これでも急いで来たが」


「良いですよ別に。急いで来てもらわなくても。ほら、彼。目的の彼ですよ」


 彼女のその言葉に呼応し、男の目線が僕を捉えた。

 鷲の様に鋭く切長の目。

 見定める光をはらんでいた。

 

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