【KAC20247】アナタが見えなくて良かったです

ポテろんぐ

第1話

 突然、目の前に黒い影が降って来た。

 私は「あっ」と小さい声と顔を上げ、影の主に目をやった。


「あの。お隣、よろしいでしょうか?」


 大きな麦わら帽子とサングラスをした女性が私を見下ろし、ニコッと微笑み、小さくお辞儀をした。

 駅のホームを見渡すと、一つしかない長いベンチに腰掛けている私が一人いるだけだった。

 彼女の手には視覚障害の人が持っている杖が握られていた。地方の利用者が少ない無人駅なので、まだベンチまで案内するパネルが下にあるわけではない。

 なのに、まるで目が見えている様に、自然に私の方へ歩いて来た気がした。


「あの、お隣……」

「あ、すいません!」


 考え込んでしまった私はハッと我に帰り、少し動いて、ベンチの半分を彼女に差し出した。

 だが、彼女は座ろうとしなかった。


「あの、半分開けましたので、どうぞ」

「あ、すいません。ありがとうございます」


 彼女はまたニコッと微笑み、ベンチに腰掛けた。

 やはり、目は見えていないようだ。

 私の方へ歩いて来たのは、ただの偶然だったのか……でも、彼女はなぜここにベンチがあると分かったんだろう?

 突然、幽霊のようにフッと現れたその女性に、不思議な雰囲気を感じた。


 駅の後ろから波の音が聞こえる。それ以外、私と彼女の間には何もなかった。

 私は彼女をチラチラと横目で観察した。

 ベンチに座った彼女は、背筋を伸ばし、真っ直ぐ一点を見つめ、柔らかく座っている。まるで『座る』という行為のお手本のような綺麗な姿勢だ。


 この駅は三十分に一本しか電車は来ない。

 さっきの上りの電車が行ってから、まだ十分も経っていない。あと二十分近くの暇を潰すのは、彼女にとってかなりの骨の折れる事ではないか?

 私は不謹慎ながら、目の見えない方がどのように時間を潰すのかが気になった。


 すると突然、彼女がクスクスと笑い出した。


「どうか、しましたか?」

「いえ。アナタがチラチラと私の方を見られているので」

「え? わかるんですか?」

「実は、目が見えてるんです、私」


 彼女は私と目を合わせ、そう言って来た。

 それを聞いて私は「やっぱり」と、クイズの答えが合っていた時のような嬉しさを感じた。


「なら、何で見えないフリをされているんですか?」


 私が尋ねると、彼女は再びクスクスと笑い出した。


「どうかしましたか?」

「嘘ですよ」

「え?」

「見えてません、私の目は。アナタの顔も仕草も何も」

「は……」


 手玉に取られた私は頭が真っ白になった。

 その間、彼女はクスクスと楽しそうに笑い続けた。


「すいません。アナタが『私の目が見えているんじゃないか?』って疑っている様子でしたから、ちょっと揶揄ってみようかなぁって思って」

「どうして、私が疑っていると分かったんですか?」


 彼女は手品の種明かしをする様に話し始めた。


「目が見えないとですね。目以外の五感? 四感? が、他の人よりも敏感になるんです」

「聞いた事があります。視覚障害でピアノの天才の人がいたりとかって」

「それで、ベンチに腰掛けてから、隣のアナタの息遣いの音が、近くに寄ったり遠くに行ったり聞こえたんで……多分、定期的に首をこちらに向けているんだろうなぁって想像したんです」

「ああ、なるほど」


 私はそれを聞いて、合点が行った。

 確かにチラチラと首が自分の方に向いていれば、「この人は自分を気にしている」と思うのは当然だ。


「でも、なんで『目が見えてるんじゃないか?』って私が疑っているって、わかったんですか?」

「私が最初に話しかけた時、アナタ、辺りをキョロキョロして驚かれましたよね。『何で、私に話しかけられたんだろう?』って」

「あ、そうです……目が見えないのに、どうして私の座っている位置が解ったんですか?」

「アナタから線香の香りがしたからです。それでそこに人がいると思って近寄ったんです」

「あ、そうか」


 私は自分の服装に目を落とした。

 私は今、喪服を着ていたのだ。

 どうして、そんな事も忘れていたんだろうか?


 そういえば、彼女に話しかけられるまで、私はここで何を考えていたんだろう? 何か考えていたはずなのに、思い出せない。


「それで「ここに人がいるな」って分かったんです。そして、声が腰より低い位置からしたんで、座る場所があると思いまして」

「そうか……なるほど」


 私は彼女の行動の全てに合点がいき、小さく笑った。


「どなたか、不幸があったんですか?」

「ええ、古い……」


 私は咳払いを一度した。


「古い、知人です」

「……聞かない方が良かったみたいですね。すいません」


 彼女は少し深刻そうに言った。


「筒抜けですね」

 

 私は苦笑いで誤魔化した。「知人」と言おうか「友人」と言おうか、寸前まで迷ってしまったのだ。


「すいません。私、話し方で感情とかも分かってしまうんです」


 彼女も苦笑いを浮かべていた。その笑みを見た途端、親近感が湧いた。


「本当にエスパーみたいですね。羨ましいなぁ、その力」

「え……」


 そのせいで油断した私は不謹慎な事を思わず呟いてしまった。「あっ」と気づいた時には遅く、彼女は驚いた様子でこちらを見ていた。


「すいません。変な事を言ってしまって」

「あ、いえ……羨ましいなんて、言われた事ないですから……その、驚きました」


 彼女は戸惑いながら、咄嗟に言葉を並べて、その後は無言になってしまった。


 せっかく打ち解けたのに、私の失言のせいで、気まずい空気が流れた。


 その時、下りの電車がホームに滑り込んで来た。

 一両だけのワンマン電車は私たちの目の前に停まり、誰一人乗客を吐き出さずに、またホームを出て行った。

 電車の中には2、3名の地元の人と思われる乗客が見えるだけだった。


「昔は有名な海水浴場だったそうですね、ここ」


 彼女が気を遣って私に話しかけてきた。足跡がしなかったから、彼女にも誰も降りていないのが分かったのだろう。


「私が子供の頃は、この時期に誰も人が降りないなんて、ありえませんでしたね」

「列車の事故があって以来、人がめっきり減ってしまったと聞きましたが」

「そう、みたいですね」

「ご存知ないんですか?」


 彼女が不思議そうにこちらに顔を向けた。


「お葬式に来たと言うんで、てっきり地元に詳しい方なんだと思ってました」

「しばらく、地元を離れていたので……事故はその時に起きたので」


 自分なりに平静を装って言ったつもりだった。しかし、初めて上がった舞台で任された長台詞を言った時の様な違和感が口の中に残っていた。


「亡くなられたご友人と何か関係があるんですか?」

「本当になんでも分かってしまうんですね」


 彼女の感知の鋭さなら分かって当然の動揺の仕方だった。


「私の目が羨ましいと言ったのは、その事ですか?」


 駅を出て行った電車の音が遠くに聞こえる。


「彼とは、一緒に上京したんです。高校を卒業した時に」

「彼……ですか」

「私は役者を目指し、頭の良かった彼は大学に進学を決めていて、お金もありませんでしたから、二人で一緒に住もうと言う流れになりました。

 彼は大学ですぐ気の合う友人を見つけて、彼らと色々、何かをしている様子でした」


 私の話を彼女は無言で聞いてくれていた。


「私の方は毎日、バイトと稽古……正直、バイトじゃ食べていくのがやっとで、稽古に回す時間が取れず、役者として芽がでるなんて想像もできないのが現実でした。

 そんな時、彼が大学の友人たちと会社を作ると言い出しました」


 そう言ったところで、彼女は「なるほど」と全てを悟ったような一言を呟いた。


「大変な努力をされたんでしょうね、ご友人は」

「そう、だと思います」


 彼女の読み通り、彼の会社は成功し、学生の時点で大金を手にした。


「地元に帰ると彼の話ばかりで、私はすっかり幽霊の様な存在になってしまって、それから今日まで帰省するのを止めていました。私はだんだんと彼を憎む様になりました」


 私は込み上げてくるものを必死で抑えながら話した。

 彼女がそんな私の方を見て言った。


「上手く、行っていなかったんですね、彼」


 彼女の言葉を聞いた途端、私の全身の力がフッと抜けた。

 顔を見ると、サングラス越しでも彼女が悲しそうな表情をしているとわかった。ただ、その悲しさも誰に向けられているのか、分からなかった。


「死ぬ少し前に、数年ぶりに彼と会いました。私は相変わらずで、自虐気味に彼に自分の現状を説明しました。酒の勢いで、ほとんどヤケでした」

「お友達は、なんて言われたんですか?」

「フッと笑って『お前が羨ましい。まだ夢があって』って」


 彼女はまた「なるほど」と呟いた。


「優しい人、だったんですね」

「会社が忙しくても、私の舞台を見に来てくれていたそうです」

「夢が叶うことが幸せとは限りませんもんね、この星は」


 彼女は海とは反対側の遠くの山を見ていた。山から吹いてきた風が彼女の髪に触れ、大きく揺れた。


「だけど。私は彼に嫌味を言われたと思って、カッとなって殴ってしまいました。それが彼との最後でした」


 私の話はそこで終わった。


「飲酒運転の、事故です」

「事故……ですか」

「事故、です」


 しばらく沈黙が続くと、彼女が突然言った。


「だから、私の目が欲しいと言ったんですか?」


 彼女の声は怒っている様に聞こえた。


「すいません」


 駅の時計を見ると、そろそろ電車がやってくる時間になっていた。彼女とは後味が悪い感じで終わってしまいそうだと、私は少し残念に思った。


「時に」


 すると、彼女が突然、話し始めた。


「海と言うのは大変に大きくて綺麗らしいですね」

「え?」


 海と聞き、私は咄嗟に後ろを振り返った。

 地元の海の波の音が聞こえる。東京に出て暫くして戻ってきた時、改めて見た

この海と空の広さに感動したことを思い出した。


「そう、ですね。確かにこの海の景色はなかなか、凄いものだと思います。空と海の青が混ざり合って感動します」

「その、海と空が見えなくなっても、私の目が欲しいですか?」


 顔を戻すと、彼女は私の方をまっすぐに見つめていた。

 彼女のまっすぐに訴えてくる視線に、私は返事に窮した。


「ここの海は大変綺麗だと聞いたので、今日、私はやってきたんです」

「……海を見にきたんですか?」

「いけませんか?」


 私は「はい」とも「いいえ」とも答えられなかった。


「私は反響する場所だったら音の跳ね返り方とかで、触れるものだったら触覚で大体の形が分かるんです……でも、形の無いものだけは、どうやっても見えないんです」


 彼女の声と波の音、二つの音は混ざり合う事なく、私の耳をなぜか不快にさせた。


「空の青と海の青のコントラストって言われても、どう言うことなのか、さっぱり分からなくて。でも、現物を見れば何かがわかるかもって思ったんです」


 波の音が、彼女の声を弾き返しているようだった。

 彼女の声だけが海の中に溶け込めず、この駅のホームを彷徨っている。

 海がこんな非情な一面を持っているなんて、私は今まで知らなかった。


「なんで私は生まれて来たんだろうって、浜辺でこの波の音を聞きながらボーッと考えさせられました」


 サーっと波が引いていく音が後ろから聞こえる。私の頭の中に自然と広がる波の形。


「ずっと目が見える様になる事を夢見てたんです、私は」


 彼女の声に聞き入って、波の音が聞こえなくなった。


「贅沢を言っちゃいけないと思います」


 彼女は叱るように私に言った。


「見えないものは、見えないんです」


 遠くから警笛が聞こえた。


「電車、来ましたね」


 彼女がそう言ってスッと立ち上がった。


「乗らないんですか?」


 彼女はベンチに座ったままの私を見て、不思議そうに言った。

 私は笑みを浮かべ、彼女に言った。


「実は、アイツの葬式はこれからなんです」

「え? でも……」


 彼女は不思議そうに、辺りをキョロキョロし、何かを探している様子だった。


「アナタのお陰で遺影の前に立つ勇気が出ました。ありがとうございます」


 彼女の声がする前に、自分が何を考えていたのかを思い出した。


 列車はホームで止まり、ドアが開いた。


「お客さん、乗りますか?」


 車掌が列車から身を乗り出して、彼女に尋ねた。

 彼女は一人、車掌さんの手を借りて列車に乗り込んだ。


「私も、アナタが見えなくて良かったです」


 彼女の声をホームに残し、列車のドアが閉まった。


「さてと」


 何も荷物を持っていない私は立ち上がった。

 もう二十年か。

 アイツに会ったらなんて言おうか? 

 私はそれだけを考えていた。


 やっと会いに行く踏ん切りがついた。




「線香の匂い?」

「あのホームで確かにしたんですけど」


 車掌さんに尋ねると「ああ」と言いながら話を始めた。


「二十年前でしたね。この辺で脱線事故が起きて、地元に帰ってくる予定だった若い子が一人亡くなったんです。確か、今日が命日だったと思います。だから、誰かが線香を焚いていたんでしょうな」


 彼女は車掌からそれを聞き、さっきの彼の感謝の言葉を噛み締めた。


 なんで生まれてきたのかの問いに海は答えてくれた。開いていた窓から入ってくる波の音が彼女の耳にやっと溶け込んできた。

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