つる草

 ママは事業の後片付けをしながら、広い家の一部を人に貸し出すことにした。パパはあまり商才がなかったみたいだけど、残した人脈の力は大きかった。その点でもあの集まりは良かったと言える。元々うちに留まっていた人たちから家賃や共益費をいただいて、収入に。新しい入居者も募って、部屋はほとんど埋まっている。

 

 ぽつぽつと絵が売れ始めたスオウさんは、相変わらず離れのアトリエに住んでいる。時々個展を開催したり、画廊の人と会ったりして、家を空けることも増えた。それでも時間がある時は、あたしを迎えに来てくれる。

 

 高校生になったあたしは、気が向いた時にパパの病室を訪ねる。一見普通の病棟なのに、外から見える窓やドア窓には物々しい鉄格子が嵌っていて、ああ、ここは隔離されているんだなと思う。警棒や複数の鍵をぶら下げた強そうな看護師さんが、いくつもの手順を踏んであたしを中に入れてくれる。

 今日は調子がいいから談話室にいるんだって。午後の光の差し込む談話室に入ると、パパは嬉しそうに微笑んであたしを見た。なんだか前よりもっと子供みたいだ。

 お土産のプリンを渡して、2人で食べながら学校や家の話、病棟で出会った面白い人の話をする。ママの話は出ないけど、もしかしたら忘れてしまったのかもしれないし、話したくなければそれでもいい。どんな風でもあたしはパパとママが大好きだから。


 誰もその身に起こる出来事を選ぶことは出来ないのなら、不幸を嘆くよりも全部丸ごと受け入れて愛する方がいい。あたしの家に起きたことを知っている人は同情的な視線を向けてくるけど、あたしは自分が不幸だなんて思わない。


「じゃあね、パパ。また来るよ」


 あたしがそう言うと、パパは置き去りにされた子供みたいな顔をする。頭を撫でるのも変かなと思って握手を求めると、大きな手があたしの小さな手をすっぽり包み込んで、しばらくの間離れなかった。



 病院からの帰り道、いつも通る川沿いのプラタナスの道を歩く。秋の深まりとともに葉もずいぶん落ちて、足元でサクサクと音を立てる。いつもの遊び。アタリ、アタリ、ハズレ。アタリ。

 近づいたもう1つの足音。顔を上げると、いつものように陰気な顔のスオウさんが歩いてくるのが見えた。せっかくいい顔してるんだから、もっと明るくすればいいのに。でも明るくて饒舌なスオウさんが想像できなくて面白い。

 くすくすと笑っていたら、スオウさんはわずかに頬を歪ませて皮肉気に唇の端を吊り上げた。


「カサネはいつも楽しそうだね」


「だって楽しいもん」

 

 もしかしたら、心配して迎えに来てくれたのかな。言ったら嫌がるだろうから想像だけ。いつものように腕を絡ませれば、沈む夕陽が地面に長い影を伸ばす。並木の間に見える建物に巻き付いた赤いハートのつる草。


「今日も描くの?」


「そうだな」


「今日は脱ごうか?」


 ふざけたあたしに答えるでもなく、スオウさんは遠くを見ている。胸ポケットにしまった煙草を無意識に探ってるのは、多分、動揺してるから。

 あの暗い目が生まれたままのあたしを見たら。どうなるのかな。首から下の肌の曲線を。まだ誰にも見せたことがない奥の奥まで暴いて、晒して、つる草のように歪んだ線で描いてほしい。


 多分、その日はそんなに遠くない気がする。


〈終〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

つる草 鳥尾巻 @toriokan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説