第12話 誰かとは誰か

「おっ、起きた起きた」


「おっ...俺様...は...」


ハナクソ狼が、こちらを覗きこんでいる。その向こうの空は、青と茜色の、グラデーションになっていた。


「あいつらなら、死なない程度にボコボコにしておいた。これでもう、懲りただろうね」


「ああ...そうか...」


かっ、体が。まるで言うことを聞かねぇ。


「まだ動いたらダメ。過剰量の媚薬の副作用が残っている。徐々に緩和させるしかない。ありあわせの薬草でなんとかするから」


「奴等は...奴等は、飲んだのか」


「いいや。すんでのところだった、彼らは飲んでない。ただ俺が奴等をぶっ飛ばした直後に君は...」


ハナクソ狼の手元の革袋には、布の切れ端のようなものがいくつも入っていた。そして、腹にはねばっとしたモノが張り付いて、固まっている。


「...」


そうか。ギリギリだったのか。


少し安堵したと同時に、その途端。自分のことがひどく惨めに思えてきた。ハナクソ狼はただ、淡々と治療を進める。


気だるさに任せて空を眺めていると、ハナクソ狼は調合を終えたらしき薬を木の器に移し替え、液体をスプーンによそう。そして、息を吹き掛け始めた。


「冷ますから待って」


「...子供扱いすんなよ」


「強がれるような状況か。ほら」


口元に、薬が運ばれてくる。拒む理由は悔しいが、無い。


「うぅ...不味いよぉ...」


「ほら、しっかり飲んで。明日に響くから。...あのさ」


「何だよ」


「お前、泣いていたな。」


薬を飲み込む。


ハナクソ狼は、こちらの体を拭き始めた。


「...うるせぇ」


その時、何かが頭によぎって。


そう、返すのが精一杯だった。本当に、うるさいヤツだ。コイツは。


「まだ後スプーンで二杯ね」


「マジ?」


「マジ。ほら、口開けて」


冷まされた薬が、喉を通る。一口目に比べれば覚悟がある分少しくらいは慣れたかと思ったのだが。


「めちゃくちゃ苦い...」


「我慢して。こればっかりはちょっと、仕方ないから。それで、君が泣いてた理由だけど...」


デリカシー無いかよ、こいつ。


クソが。


「ただ...昔のことを思い出していただけだ」


「そうか。その、...すまなかった」


ハナクソ狼が、項垂れて謝る。


「何だ。藪から棒に」


「君が泣いているのを見て思ったんだ。ルーハではあの日からずっと、しつこく君の過去について質問攻めにしていたが、君は答えなかった。だが」


顔を上げてこちらを見る奴の眼差しは、真剣だった。


「話したくないのなら、話さなくても良い。僕は考えを改めることにした。だから、どうか許してくれ」


「は...ははは」


「ど、どうした?」


本当に、読めない奴。


「あっはっはっはっはっはっ!!お前、ようやく俺様に従う気になったか?」


また、泣いていた。だがこの涙は、さっきのものとは違う。何だ。この気持ちは?気味が悪い。俺様はいつか魔王として君臨する存在だぞ?それが。なんでこんな奴に。


「いや、別に従うとか、そういう話にはなってないし。それとこれとは別だからな?」


「相変わらずのスカシ顔。気にくわないぜ、全くお前って奴は!...最悪だ」


「あ?なんだよ。人がせっかく手をついて謝ったのに。もう治療やーめた」


「きっ、ききき貴様!クソォ、わかった、わかったから!大人しくしといてやる」


「おお、そうか。なら、治療を続けよう。次はこれをスプーンで5杯...」


「さっきより増えてるじゃねえか!盛ってるんじゃないのか、その数字」


「まさか。こっちは真剣だ。ほら、口開けて。あーん、ほら。あーーん」


「バカにすんな!5杯だろうがなんだろうが飲みきってやる!...まっっず!!なあこれさっきのより数段不味くない!?」


4月中頃、ルーハの外れの森の入り口、夕方。二人の声は、森中に響き渡る。その様子を見る一つの影が、


「これは面白い。見逃せないな、『神様』としては...ね」


そう呟いて去っていったのを二人はまだ知らない。



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