4-3 真相
「どうしたの?こんな時間に」
「遅くにごめんね。ちょっとだけいいかな?」
優子は怪訝そうにしながらも、玄関に入れてくれた。
「上がってく?」
「ううん。すぐ帰るから」
寒気から暖気に包まれてホッとしたところで、弥生は赤い絵が飾ってある事に気づいた。
むき出しのキャンバスに、赤い色を塗りたくったような絵だ。
表面に凹凸があるので、油彩画のようだ。
―前来た時にあったかな?
気にはなるが、それを聞くために来たのではない。
「実はさ、職場出てから例のパティスリーに行ったんだ」
ここに来るまで、頭の中で何度も練習した言葉を口にする。
「それでね…優子の言ってた話と、土門さんの話が食い違っていたの」
あらそうなの、と優子は微笑む。
「本当は、土門さんに何を言われたの?」
言うと決めた通りに言えた満足感を覚える前に、優子はふふっと笑った。
「あんなに勢いよく出ていったから、あの男に何言われようが、私の肩を持ってくれるとばかり思っていたのに」
この棘のある感じはなんだろう。
優子はいつものように、穏やかに笑っているのに。
「被害者面して守られるのは得意なくせに、逆になるとてんでダメね」
「…優子?」
「あんたのそういう善人ぶろうとするところ。そこだけは昔から大っ嫌いだった」
淡々とこちらを見つめる優子から、表情が消えた。
「いい機会だわ。教えてあげる。あんたがトラブルに巻き込まれて、何で私は動けたと思う?なんで的確なアドバイスを言えたと思う?」
「え…?」
「だって、私がきっかけを作ったんだもの。クラスメイトの物を盗んだり、噂を広めたりしてね」
優子が何を言っているのか、理解できない。
「じゃあ、私が財布を盗んだとか、誰と誰が付き合ってるって噂広めたって誤解された時も…全部?」
「えぇ。あんたは嘘つきで信用ならない人間だって広めたから、間接的には全部って事になるのかしら」
「小中高と、やまゆり園で起きた事も?」
そうよ、と優子は楽しげに笑う。
「誰にも気づかれずに、あんたを孤立させるにはどうしたらいいかって、計画を練って考えて、行動に移していった。あの頃は充実していたわ」
このまま回れ右したい。そのような衝動が弥生を襲った。
これ以上、聞きたくない。
「でも思っていた以上に、みんながあんたを攻撃し出したから、それを止めるのには苦労したわ。あんたに自殺でもされたら、楽しみがなくなっちゃうからね」
優子は、心の底から、本当に楽しそうに笑っていた。
一番いじめが酷かった、中学2年生の頃が思い出される。
優子の指摘の通り、自死する事を真剣に考えていた時期だ。
耳を塞いで、うずくまりたかった。
だが、逃げるわけにはいかない。
土門が聞けない事を聞けるのは、自分しかいないからだ。
「じゃあ、今日の人形の事も、優子なの?」
優子は、いつものように穏やかに笑っていた。
それが、答えだった。
「…どうして?」
優子と目を合わせられず、弥生は下駄箱の上に置かれた、赤い絵を見ていた。
血で塗ったような絵を。
「私は優子の事親友だと思っている。優子もそう思ってくれているとばかり…」
ガン!と金属音が響く。
驚いて顔を上げると、真顔になった優子がすぐ目の前にいた。
一秒遅れて、ドアを叩かれたのだと理解できた。
「親友?」
嘲笑の混じった声。
「頭の中が年中お花畑なあんたを、そんな風に思った事一度もないわ」
底なし沼のような、光が感じられない優子の目に視線が吸い寄せられる。
「幽霊が見えるとか、みんなの注目集めたくてついた嘘を未だに引きずっててさ。私がずーっと合わせてやってたとも知らないで、バカじゃないの」
息が止まりそうだ。優子だけは、信じてくれていると思っていたのに。
「最初からそう思っていたの?私の事、ずっと嫌いだったの?」
張り付けたような笑みが、優子の口元に広がる。
「嫌い?そんな事ないわ。私はあなたの事好きよ」
子供をあやすように頭を撫でる手が、徐々に弥生の頬へ下がってくる。
その冷たさに、背筋が凍った。
「色んなものに怯えて、おどおどしちゃって、小動物みたいで可愛いもの」
どうしよう。もう何を言えばいいのか分からない。
「あんたはずっと私といればいいの。あんたが怯えて、おどおどしているのを眺めていると、私は満たされる」
優子と過ごした時間を思い出す。
泣いていた自分を慰めてくれた優子。
自分の事を分かってくれているんだと思って安心した。嬉しかった。
でもその裏で、私の事を貶めていたの?
ざまみろ、って思っていたの?
だから、『イッショニイナヨ』だったの?
「私の元を離れて、どこに行こうっていうの?あの男のところ?どうせ、あんたの体が目当てでしょ?何でも信じちゃうあんたなら、簡単に股開きそうだしね」
こんな時、あの人ならどうするだろう。
「…優子、やめて」
必ず無事に家に帰してやる、と言い切った、強い目を思い出す。
「あの人は、そんなじゃない!優子でも、言っていい事と悪い事があるよ!」
思っていた以上に声が出て、自分でも驚いてしまった。
それは、優子も同じだったようだ。
「分かった…。優子の気持ち、聞けてよかったよ」
「そう。分かってくれて嬉しいわ」
「…今まで一緒に過ごしてくれて、ありがとう」
そのような強がりしか言えないが、この場はこれでいいのだと言い聞かせる。
優子に背を向け、くぐるのが最後になるであろう、ドアを開ける。
「バイバイ。御手洗さん」
真綿のように軽くて優しい、背中越しの声。
弥生は振り返らずに、その場を後にした。
階段を降り、エントランスを抜けたはずだが、感覚が薄い。
気がづいたら、土門の目の前に立っていた。
マイナス気温の中にいたにも関わらず、土門は顔色一つ変えずに佇んでいる。
弥生は何故か、目を合わせたくない、と思った。
私の顔を見て、何もかも察しているのだろう。
「すごいですね。全部、あなたの言った通りでした。それどころか、私がいじめられていた原因、全部優子が仕組んでいたそうですよ」
「……」
「陰陽師って優秀なんですね。頭の中お花畑な私なんかと、大違い」
二月の冷たい風が、むき出しの頬を刺す。
「…知らないままの方が、良かったか?」
「…っ!」
どうしてこの男は、ここまで冷静でいられるのか。
「私には、優子しかいなかったんですよ!?」
弥生はいつしか、感情の濁流に呑まれていた。
「学校でも施設でもずっといじめられて、友達なんかいなかった!一人だけの友達を、失くしたくないと思うじゃないですか!」
土門が何も言わないので、弥生は来た道を戻り始めた。
少し後ろを、押し殺すような足音がついてくる。
あぁ、違う。
こんな風に言いたいんじゃない。
息が苦しい。
これじゃ完全に八つ当たりだ。
命を助けてくれた人なのに。
歩きながら思い出すのは、優子の事ばかりだった。
たくさんの時を重ねて、色々な話をして。
なのに、私は優子の何を知っていたのだろう。
涙が止まらなかった。
涙が流れた跡が冷たい夜気に触れ、ひりついてくる。鼻の奥がつんとして痛い。
すると、テンポよく雪を踏みしめる音が近づいてきた。
「泣いたり叫んだり、忙しい奴だな」
嫌味な言い方だ。
「…あなたみたいなコミュ力お化けと一緒にしないでください」
土門は、お化けって何だよ、と苦笑いすると、そうかもな、と付け加えた。
「昔、クラスメイトによくそう言われた」
「え?」
「自分の見えているものが他人には見えないんだと分からなかったし、学校も休みがちだったから、色々な意味で幽霊扱いされたな」
それは、いじめの告白に他ならなかった。
少なくとも弥生には、そのように聞こえた。
顔がいい、というだけで、何の問題もない人生を歩んでいたのだろうと、勝手に思っていた。
施設育ちという事で向けられてきた偏見に悩まされたのに、自分自身が偏見の目で土門を見ていたのだと気づき、恥ずかしい。
「まぁ、俺の話はいいか。その様子だと、呪詛の事までは聞けなかったようだな」
「すみません。頭がいっぱいで…でも、多分優子は何も知らないと思います。私の霊感を信じてくれてると思っていたのに、本当は信じてなかったみたいですから」
そうか、と土門はそれ以上何も聞いてこなかった。
気まずくない沈黙があるという事を、弥生は初めて知った。
あとは御手洗さん次第だ、と言われた意味が、この瞬間ようやく理解できた。
自分は目的を達したから、その先の展開で、弥生に恨まれようが構わない。
そう言いたかったのではないのか。
「土門さん、あの」
立ち止まって恐る恐る呼びかけると、素っ気ない返事が返ってくる。
「…色々とごめんなさい」
やはり目を合わせるのは怖い。
「それと、ありがとうございました」
土門はやはり、ノーコメントだ。
だが弥生には何故か、土門が笑ったように感じられた。
「…もう一度、店に来ないか?」
「え、今からですか?」
「あぁ。今からだ」
辺りの雪山が目に入り、雪かき、というワードがちらつく。
「今日は諦めろ。急いで帰って始めたって、この量は終わらない」
ニヤッとする土門を見て、やっぱり私の考え読んでいるんじゃ、と弥生は少し怖くなったのだった。
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