2月は呪いの季節〜エピローグ
三月も終わりに近づいてきた、ある夜。
弥生は、営業が終わったパティスリーシノノメの二階のカフェ席に、土門と音羽と座っていた。
テーブルを挟んだ二人の前には、出前で届いた、蕎麦のどんぶりが湯気をあげている。
ぱちん、と割りばしを割ると、ちょうど中心部で綺麗に割れた。
「いただきまーす」
少し気分を良くした弥生は、まずは大きな海老天を一口食べた。衣のサクサク感と、エビのホクホク食感の違いで、なんとも幸せな気分になる。
「どうですか?」
「…美味いな、この蕎麦」
土門が選んだのは、かけそばの上にニシンの甘露煮が載った、にしんそばだった。
ニシンの群来の時期だけの、密かな北海道名物。なかなか渋いチョイスだ。
「でしょう!?老舗のお蕎麦屋さんなんですよ。つゆも美味しいんですよね~」
「そうだな…うん。甘露煮も美味い」
「気に入ってもらえたなら、良かったです」
命を助けてもらっておいて、その礼が蕎麦の出前というのは、正直頂けない。
だが、弥生に出せる精一杯の金額で謝礼を渡そうとしても、『自分から首を突っ込んだ案件なのだからいらない』と、受け取り拒否されてしまった。
その代わりとして、『市民が選ぶ飲食店を知りたいから、晩飯を一回奢ってくれればいい。ただし肉類が食べられないから、それがメインにならないものがある店で』という、まるで謎かけのような謝礼を要求されたのだった。
数日考えた挙句、弥生が選んだのが、蕎麦の出前だった。
上の具は選べるし、蕎麦なら仕事の後にさらっと食べられる。
正直、土門とどこかに出かけるのはハードルが高い。
コミュ力お化けなので気づかれているかもしれないが、本音なので仕方がない。
「そうだ!この前のラジオ聴きましたよ」
「あぁ…あれな。若干不満だったぞ」
女性パーソナリティが、店の情報よりもしきりに土門のルックスを褒めちぎるので、マイクの後ろでやりにくそうにしている姿を想像し、どうにも笑いが止まらなかった。
「女性客も増えている感じするし、いいじゃないですか」
「…まぁ、それはそうだが」
「そうだ!土門さんの顔、いっそSNSのアイコン画像にしませんか?」
少なくとも、眼鏡フェチ女子の集客増は見込める。
だが本人は、思いきり渋い表情だ。
「先に断っておくが、顔出しはNGでいくつもりだ」
「えー、何でですか」
「陰陽師としての自衛策だ。名前は仕方ないとしても、インターネットで顔まで晒すのはリスクが大きいからな」
「呪詛をかけられないように、って事ですか?」
「そういう事だ。色々対策はしているが、無用なトラブルは避けたい」
「…分かりました」
不満だが、プロがそう言うのなら仕方がない。
ラジオ以外にも、弥生が開設した公式SNS、小樽トライアルのホームページで発信した結果、客層は市民と観光客が半々ぐらいとの事だ。
三月限定で発売された、桃と甘酒のムースは好評で、何度か行列もできた。
『ひな祭り…桃の節句は元を辿れば、古代中国から伝来した、陰陽五行節が元になっています。陰陽五行節において桃は、邪気を祓い、不老長寿を与える仙果と信じられていました。桃の節句は『
ラジオで土門が紹介していた説明を聞いて、陰陽師らしいと思ったのは、土門のもう一つの生業を知っている弥生だけだろう。
「でも、せっかくのアピールポイントなのになぁ。もったいないです」
「まぁ、この顔が客寄せパンダになるなら、リアルで来店してくれた客にはアピールするさ」
「この前うちのオフィスに来た時みたいにですか?」
あの爽やかな笑顔は、やはりそういう意図だったのか。
「それこそ、口コミでもしてくれたら儲けものだからな」
自分がイケメンの部類に入るのを自覚しているとは、大した自信である。
「ところで、所長に呪符の入手先は聞いてみたのか?」
「あ、はい。この前行った四国で買ったそうです」
あの呪符は元々、所長のお土産でもらったものだ、と土門に説明をした時に、それとなく入手先を聞いてみるように、言われていたのだ。
とある霊山の麓で店を構えていた、土産物店で勧められて購入したものらしい。
だが店の名前は憶えていないそうだ。
あれは魔除けのお札じゃなくて呪いグッズみたいですよ、と軽くつついてみたところ、呪いなんて、そんなものあるわけないでしょ。御手洗さん、疲れてるの?と返されてしまった。
自分だってお守りをじゃらじゃら下げているくせに、と言いたかったが、そこは呑み込んだ。
「四国の、どの県だ?」
「えっと、高知だって言ってました」
土門が急に黙ってしまったので、不安になってくる。
「高知だと、何かあるんですか?」
「…いや。本人がそう言っているなら、それ以上は突っ込まない方がいいな」
何だか妙な間が開いた。
「そうですね。土門さんの名前は出せませんし、私もそうしたいです」
はぐらかされた気がするが、それ以上突っ込まない方がいいのは、こちらも同じだろう。
「そういえば、小樽にはいくつか市場があるよな。御手洗さんもよく行くのか?」
「あー…残念ながらあまり利用した事は…。どこか行ってみたんですか?」
「あぁ。
なぁ?と話を向けられた音羽は、どこかうっとりした表情だ。
「はい。新鮮な魚がたくさんあって、小樽はいいところですね」
魚の並ぶ風景を思い出しているのだろう。
式神だ、猫又だ、と言っても、性格は猫そのものだ。
やはり生でバリバリといくのだろうか。
その時は人と猫の姿、どちらだろう?
前者は絵的にショッキングなので、後者であってほしいと思う。
「土門さんって、肉はダメって言ってましたけど、魚はオッケーなんですね」
「そうだな。魚介類は平気だ」
「アレルギーなんですか?」
「そういうのじゃない。好みの問題だな」
「肉食べないなんて、ヴィーガンみたいですね」
「ヴィーガンなら魚介類も食べませんよ。出汁で摂取するのもダメですよね」
現代を生きる土門に仕えているからか、音羽は様々な言葉を知っていた。
弥生は、ヴィーガン生活をしていた若い女性が、数年で老け顔になったという話を思い出し、それを話してみた。
「あぁ…そんな話もありましたね、博臣様」
「動物性のタンパク質を極端に排除した食生活を続けていたら、タンパク質不足で筋肉が落ちる。筋肉が落ちれば顔もたるむ。老け顔にもなるだろうさ」
「土門さんは…意外と大丈夫そうですね」
「どうしても不足してくる栄養素は、プロテインやサプリメントで補っているからな」
思いがけない単語のオンパレードだ。
今どきの陰陽師は、ダブルワークもするし、健康のためにプロテインも取り入れるらしい。
「…蕎麦伸びるぞ?」
「あ、そうですね」
食事は再開したものの、先ほどから互いの蕎麦をすする音しか聞こえてこなくなった。
話題がないなら食事に集中したいのだろか。
ただ弥生にしてみたら、気まずい。
何か言わないと、と必死に頭を使った。
「いやー、それにしてもお肉食べないなんて…」
弥生は、とあるロボットSFアニメのタイトルと、肉が嫌いという設定のある、メインヒロインの名前を口にした。
「…みたいですね。そういう人が現実にいるなんて、思わなかったですよ」
「…何だ?それは」
予想外の反応に、全身が熱くなる。
アニメの知名度に気を取られ、見たことのない人間がいるなど思いつかなかった。
訝しむ土門に赤面しつつ、弥生はアニメの概要を説明した。
「なるほどな。最近のアニメは全く知らないんだ」
「世に出たのは90年代ですけど…じゃあ、逆に何か知っているんですか?アニメ」
土門が答えたのは、縞模様のちゃんちゃんこを来た少年が活躍する、国民的妖怪アニメのタイトルだった。
しかも、1970年代に放送されたシリーズが一番好きらしい。
「半世紀ぐらい前じゃないですか…。土門さんって、一体何歳なんですか?」
27だ、というそっけない一言に、蕎麦を吹き出しそうになってしまった。
「はい!?20代!?その顔で!?」
思わずため口になってしまう程の衝撃。
確実にオーバー30だと思っていた。
そして場所は違うにしても、弥生と同じ時期に学校に通っていた事になる。
同級生のような気がしたのも、納得だ。
「平成2年生まれだからな。残念ながら20代だ」
「残念ながらって…私は平成5年です」
「なるほど。御手洗さんは24か」
ふぅん…と笑みを含んだ返事だ。
「何ですかその顔。童顔とか学生みたいとか言いたそうですね」
思わず言ってしまった瞬間、空気にひびが入った気がした。
「…そっちこそ、俺の事老け顔って言っただろ」
箸を止めた土門の空気感が、明らかに変わっている。
あの人を殺せそうな目に少し近いので、血の気が引いた。
「そ、そんな事言ってないじゃないですか!」
「いや、その顔で20代、って、老けて見えると言っているのと同じだろうが」
実際そう思ってしまったので、言い逃れもできない。
「いいじゃないか童顔で。実際年食ってきたら、若く見られるぞ」
「そういう問題じゃないですよ!私は歳相応に見られたいんです!」
そういうものか?と土門は再び蕎麦に戻る。
実年齢より上に見えるのは、顔の造作以前に、雰囲気や言動が年齢不詳だからという気もしてきた。
「…土門さんこそ、平成2年生まれとか言って年齢詐称していません?」
鬼の首を取ったような土門にも腹が立つので、密かに反撃を試みる。
「というか、実は音羽さんと同じで妖怪でした、何てことないですよね?」
「実はそうでした、と言ったらどうする?」
妖怪アニメの話をした後なのもあるが、この男の場合、ニヤッとするのがあながち冗談にも思えないから怖い。
「そんなふうに考えた事ありませんでした。博臣様があやかしだったら、何でしょうね」
楽しげな音羽に、弥生は知識の中を探した。
「さとりじゃないですか?人の心が読めますからね」
「あら、確かにピッタリ!」
ひとしきり二人で笑うと、そんなに可笑しいか?と言いたげに土門がこちらを睨んでいる。
どうやら、手元のスマートフォンで、さとりを検索したようだ。
毛むくじゃらの猿のような見た目なので、一緒にされたら怒られそうではある。
「あの、もう一つ聞きたかったんですけど、何でパティシエと陰陽師でダブルワークしているんですか?」
互いに蕎麦を食べ終わったところで、弥生はその疑問をぶつけてみた。
それは、助けてもらったあの晩から、ずっと気になっていた事だ。
「知りたいか?」
「は、はい!是非!」
頬杖をついている何気ない姿も、悔しいほど様になる。
ほぼ同年代だというのに、内包しているオーラは年代不詳。
かと思えば、好きなアニメの話をする楽しそうな顔は、確かに27歳の若者だったように思えた。
つくづく、不思議で掴めない男だ。
「…やっぱり秘密だ」
「えぇ!?」
「人の事年齢詐称だとか妖怪だとか言う奴に、話す気はないな」
こちらをおちょくるような顔は、最初から話す気などなかったのだと語っていた。
実年齢より上に見られる事は、彼なりに気にしているらしい。
「…ま、まぁいいですよ。そのうち聞きだしてやりますからね!」
「負け犬の遠吠えか?俺はかなり口固いぞ?」
「御手洗さん、口で博臣様に勝つのは、少々難しいかと思いますよ?」
パティシエで陰陽師の店主と、その式神で猫又のスタッフ。
異色も異色なプロフィールの二人は、この小樽で、どんな風に店を切り盛りしていくのだろう。
非常に楽しみだ。
弥生はふと、頬の辺りが痛い事に気づいた。
笑うたびに、ピキピキとする。凝り固まった部位を、久しぶりに動かした痛みのようだ。
口角をそんなに動かしていなかったんだな、と頭の片隅で思う。
だがそれは、意外と心地よい痛みに感じられた。
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