めぐる季節は呪詛の味~パティスリーシノノメの事件録

望月ひなた

この良き日ーエピソード0ー

1.小樽運河にて

「はーい!撮りますよ~。皆さん、もっと全体的にぎゅっと寄ってくださいね」


 すぐ横で聞こえた声に、はっとする。


 人込み、歓声、石畳の道に、ガス灯。

 広場の下は水路になっている。つんとした水のにおい。


 あぁそうだ。オレは、小樽運河にいるんだった。


 とりあえず手近なベンチに座り、行き交う人々を眺める。

 いるのはほぼ旅行者のようで、日本人、アジア人、欧米人と様々だ。

 誰もかれも楽しそうに写真を撮ったり、談笑している。

 旅をしている人々の高揚感で、広場は満ちていた。


 ふと、広場の隅に目が行く。


 喧騒の中にあって、その場所だけは切り取られたように空気が違った。

 折り畳みのイスに座り、スケッチブックを広げ、写生をしている初老の女性。

 集中しているのは、その背中を見ればわかる。


 写生……絵……。


 お母さん。


 そうだ。オレは母の絵を探すんだ。そのために来たんじゃないか。


「お兄さん」


 明らかに自分に向けられた柔らかい声に、オレは顔を上げる。

 そこには、薄いグレーの着物姿の女性がたたずんでいた。

 年は二十代半ばだろうか。結い上げられた薄茶色の髪の中からは、猫の顔をあしらった、丸いかんざしが顔を出している。


「これ、落としましたよ」


 差し出しされた女性の手には、オレのスマートフォンがあった。いつの間に落としてしまったのだろう。オレは礼を言って受け取った。


「着物、素敵ですね」


 普段、初対面の人にこのような事は言わないのだが、素直にそう思ったので口にしてしまった。


「あら、ありがとうございます」


 お隣よろしいですか?と聞かれたので、どうぞと促した。

 ハンカチを広げて座る所作は、見ていて気持ちがいい。

 着物の裾には、満月を見上げた猫たちの円舞という絵が入れられている。よほど猫好きらしい。


「お姉さんは、観光で小樽に?」

「いえ。店長が小樽にお店を出す事になったので、その場所を探しに来たんです」

「そうなんですね。なんのお店を?」

「パティスリーです」


 それは凄い。色鮮やかで、洗練されたデザインのショートケーキが、ケースに整然と並ぶイメージが浮かんだ。


「お兄さんは、地元の方?」

「いえ。でも、小さい頃に少しだけ住んでいました。どこに住んでいたのかは、分からないんですが」

「絵を描かれるんですか?」


 意外な質問だった。オレの考えを読んだのかと、ドキリとさせられる。


「そう見えましたか?」

「写生している方を、熱心に見ていらしたから」


 あぁ、なるほど。そんなところを見られていたとは。


「オレの母は、画家でした。アマチュアだったそうですが、個展を開いたり、仕事を依頼されて描いた事もあったそうです」


 オレはスマートフォンに母の名前を打ち込むと、画像検索した画面を女性に見せた。


「わぁ凄い!これが油絵ですか?写真を見ているみたいです」


 その純粋な反応に、オレは少し迷ったが、小樽に来た理由を話す事にした。


「両親は、オレが三歳の頃に離婚しました。オレは父に引き取られたんですが、高校生になるまで、母が画家だとは知らなくて…。」

「では、お母様に会いにいらしたのですか?」


 女性は真っすぐにオレを見つめてくる。何故か居心地が悪くて、オレは写生の女性を見ていた。


「母は、オレが成人した年に病死しました」


 一呼吸の間。

 母は死んだ。自宅で倒れて、誰にも看取られる事なく。


「母は生前、数点だけ人物画を手掛けた事があるらしいと人づてに聞きました。きちんと管理する人がいなくて、絵はかなり散逸してしまっているんですが。小樽の自宅がもしまだ残っているなら、もしかしたらそこに、その人物画があるかもしれない。オレはそれを探しに来たんです」


「なぜですか?」

「もしかしたら、オレを描いてくれていたのかもしれないから」


 初対面の人にここまで話している自分が、不思議だった。


「そうでしたか…でも、せっかく小樽までいらしたのなら、お父様に家の場所を聞いてみてはどうですか?」

「そう思って、ずっと連絡しているんですが、父と繋がらなくて」


 女性は、ふと広場の入り口に目をやった。


「店長が戻ってきました」


 視線の先には、ジーンズに白無地のTシャツ、紺のロングカーディガンをさらりと羽織った男がいた。年齢は、アラサーといったところか。


 男はよどみない足取りで、こちらに向かってくる。

 俳優のように整った顔立ちだ。

 やや癖のある髪を無造作に後ろで束ねており、高い身長も相まって侍のような印象である。

 目つきが悪い…というか鋭いが、黒縁眼鏡がそれを不思議と中和していた。


「お疲れ様です。お話しはまとまりましたか?」

「今のところ空振りだな」

「そうですか。きっと次はいい物件が見つかりますよ」


 その短く、何気ない会話を聞きながら、オレは何故かどぎまぎしていた。

 ほんの数秒で、この二人を取り巻く空気が、明らかに変わったからだ。


 信頼感、パートナーシップ、仲睦まじい。

 とにかく、どんな言葉を当てはめてもしっくりこないが、お互いにそう思っているであろうと、肌感覚で分かった。


 二人とも美男美女だからではない…いや、それもあるのか?


音羽おとわ、こちらの人は?」


 いきなり会話に巻き込まれ、オレは秒速で立ち上がってしまった。


「あの…っ!こ、こちらの女性が、オレのスマホを拾ってくれて…その流れで、少しお話を」


 やましい事は何もないぞ!と念じながら、どうにか言い切った。


「…店長。この後お時間は大丈夫ですか?この方は、お母様の絵を探すために、小樽までいらしたそうなんです」


 女性は何を思ったのか、先ほど打ち明けたばかりの個人情報をカミングアウトしてしまった。


 オレが凍り付いたのを感じたらしい女性は、一言詫びを入れた後で、「店長も私も、小樽には多少の土地勘があります。お力になれるかもしれません」と続けた。


 女性は真剣だった。

 どうして会って数分の人間に、ここまで言ってくれる?

 もしかして悪い奴らなんじゃないか?だとしたら目的は?

 ネガティブな考えが浮かんでは消える。


「…分かりました。よろしくお願いします」


 オレはそう言い切った。そして、先ほど女性に話した内容を、店長と呼ばれる男にも話した。

 二人が美男美女だからではない。

 二人の纏う空気が、「澄んでいる」と感じたからだ。

 そうとしか言えなかった。


「何か手立てはありませんか?店長」

「…一つ確認なんだが」


 眼鏡の奥の目は冷静で、女性の雰囲気とは正反対だ。


「インターネットでは、画家としての母親の情報は探せても、あんたの母親としての情報は探せない。そういう事なんだな?」


「そうですね。経歴は出ていますが、母もその辺は徹底していたみたいです。見つけたのは、小樽に住んでいたらしいって情報までですね」


「なるほど…だったら、図書館を当たってみるか」


 図書館?母に著作本はなかったはずだ。


「どんな業界にも、会報誌というものがあるだろ?そこから調べてみるのはどうだろうか」


 男が示したスマートフォンの画面には、小樽市内の美術愛好家に向けたと思われる冊子の表紙が写っていた。

 なるほど。デジタルで探せないなら、アナログというわけか。


「店長、それなら美術館に行くべきでは?」

「図書館には、所蔵物を探す検索機というものがあるからな」


 男が若干ドヤ顔をしたところで、彼の性格の一端が見えた気がした。

 常時冷静だが、意外とユーモアがあるのかもしれない。


「今からちょうど市役所に向かうところだったんだ。図書館は真裏だし、少し待っていてもらえたら、手伝ってやる」


 こんなとんとん拍子に進むと思わなかったが、ともかくそういう事になった。

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