2.記憶をたどる旅

 コインパーキングに向かう道すがら、オレ達は自己紹介をした。


 男は、土門博臣どもんひろおみと名乗った。やはりというか意外というか、こちらがパティシエだった。


 女性の方は音羽おとわさん。土門さんが開くパティスリーのスタッフになるそうだ。苗字を聞いたが、「音羽でいいですよ」と押し切られてしまった。


 土門さんが借りた車で、まずは市役所に向けて出発する。


「あの、お二人は夫婦なんですか?」


 当然といえば当然の疑問を、オレはぶつけてみた。


「あら、夫婦ですって!聞きましたか?店長」


 オレと並んで後部座席に座った音羽さんは、楽しげに笑う。


 対する土門さんは、ため息交じりに「ただの店長と従業員だ」と言った。


 夫婦ではないのか…。だが、先ほど広場で話していた二人の間には、ただの信頼感以上のものを感じた気がした。


「そういえば、小樽には天狗がいるのですか?」


 赤信号で停まった時、音羽さんはだしぬけに、そんな事を言った。


 車の横には路線バスが停まっていて、『天狗山ロープウェイ』と表示されている。

 運河、水族館と並ぶ、小樽の観光スポットだ。


 オレは、天狗山について調べた時の資料を思い出していた。


「天狗山には、元々山岳信仰があったそうですよ。天狗は、修行を積んだ修験者が死後になるとも考えられているので、無関係ではないかもしれませんね」

「あらお兄さん、妖怪にお詳しいんですか?」

「一応、大学院で民俗学を研究していて…」

「まぁ。どうりで」


「天狗にも種類があると聞いた事あるが、どんな分類がされているんだ?」


 土門さんも運転席から加わってきた。


「資料によっても違いますけど、大天狗と小天狗って分け方がありますよ。大きな体に高下駄を履いて、赤くて長い鼻と顔に、うちわを持っているのが、大天狗です。天候も操れるといわれてます」


「なるほど。修験者のイメージとも近いな」

「小天狗は、どちらかというと、人間に対して積極的に悪さをするようなイメージですね」

「小樽にはどちらがいるんだろうな」


 あまり表情の変わらない土門さんだが、心なしか楽しそうだ。


「店長、よかったですね。妖怪の話ができる人と出会えて」

「お二人とも好きなんですね。妖怪」

「えぇ。それはもう。妖怪にまつわる場所にも、ずいぶんご一緒させて頂きましたよ。遠野物語の舞台とか、九尾の狐を封印した殺生石だとか」

「音羽、喋りすぎだ」

「あら、こういうお話ができる方は、意外に少ないと思いますよ?」


 こういうやり取りを聞いていると、本当は夫婦じゃないのか?と疑いたくもなる。


 音羽さんの言う通り、SNSで同好の士を探すのは簡単だが、リアルではなかなか出会えないのではないか。


 土門さんも結構詳しそうだし、最後に連絡先交換できるかどうか、聞いてみよう。


 小樽市役所には、5分ほどで到着した。


 市役所からして既に歴史的建造物とは、さすが小樽だ。ちらりと見えた正面の大きな階段は、映画に出しても映えるだろう。


 小樽で商売を始めるための手続きらしいが、少々時間がかかりそうだからと、土門さんとは一旦別れ、オレと音羽さんは、近くの公園で待つ事にした。


 秋が近いとはいえ、まだまだ木々の葉は青い。午後の色をした空がまぶしかった。


「ここには昔、小さな遊園地があったんですよ」


 道は整備されているとはいえ、舗装はされていない。だが音羽さんは、アスファルトを歩くときと変わらず、すっすっと草履で歩いていた。


 遊園地の名残と思しき広場には、家族連れが多かった。

 観光街とは打って変わって、地元の人しか来ないような場所。

 人の行き交う場所に目がいきがちだが、小樽に根を張って生活している人も大勢いるのだ。


「お母様ももしかしたら、あなたを連れて来ていたかもしれませんね」


 音羽さんは、オレの考えを見透かしたような事を言ってくる。

 最初は驚いたが、この瞬間はもう受け入れてしまっていた。


 ベンチに座り、先ほどちらりと聞いた、妖怪にまつわる場所を巡った話を聞いた。

 土門さんも詳しい様子だったが、音羽さんも負けていない。


 楽しい時間だったが、二人の関係が、ますます分からなくなった。


「そろそろ戻りましょうか」


 そういえば音羽さんは、時計をしていないし、スマートフォンも持っていない。


 歩いて数分の市役所の駐車場では、土門さんが車内で待っていた。

 音羽さんの体内時計は、よほど正確らしい。


 土門さんの言う通り、市役所の真裏に建つレンガ調の建物が、小樽市立図書館だった。

 入った瞬間、多くの時間が降り積もってきたにおいがする。

 人はそんなに多くなく、話すのもはばかられる静けさだった。


 まずは端末で、美術館の会報誌を探す。

 それは意外にも、あっさりヒットした。

 書架の場所をプリントアウトし、示された場所に向かう。


 その書架には、「禁帯出」とあった。つまり貸出禁止だ。

 会報誌は膨大な量があったが、年代はオレの年齢から、おのずと絞り込める。

 当たりをつけた数冊をテーブルに広げ、三人で読み込んだ。


「おい、これを見てくれ」


 見つけたのは、土門さんだった。


 それは、母のインタビュー記事とともに載せられた絵の写真だった。

 当時の荒い印刷では分かりにくいが、ともかく大きな手掛かりだ。


 絵は、どこか高い場所から市街地を見下ろす形だった。遮蔽物はなく、かなり見晴らしがよさそうだ。


 タイトルは、『我が祝福と呪い』。


 何の変哲もない風景画には、アンバランスに感じるタイトルだ。

 それに、こんな絵は画像検索で見たことがない。

 それを伝えると、「依頼を受けて描いた作品かもしれないな」と土門さん。


 タイトルは気になるが、ともあれこの場所が、母にとって重要な場所である事は間違いない。

 そしてそこは、オレが昔暮らした家だという確率がかなり高い気がした。


「市街地だけど、中心部じゃなさそうですね」

 オレの言葉に、二人は頷く。


「店長、ここ土手になってますよね」

「あぁ。これは橋だな。小樽に川は二つあるが、市街地を通るのは一つだけ。エリアはだいぶ絞れるな」


 オレは絵の中でひときわ存在感を放つ、右側の大きな建物を指さした。


「この建物、見たことあります。確か、観光街のお土産物屋さんでしたか?」


 道路の角に立つ、重厚な造りの建物だ。銀行みたいだ。


「そうですね!私も見覚えがあります。観光通のスタート地点ですよ」

「…だとしたら、写真の場所は、おそらく『東雲町』だな」


 東雲。しののめちょう。そんな雅な響きの番地があったとは。


「初めて聞きました」

「エリアは小さいし、ほとんど住宅街だからな」


 オレ達は図書館を後にした。


 土門さんが念のため、物件探しの相談をしている古民家バンクに問い合わせてみたところ、東雲町に登録済みの物件が一つだけあるという。ただリフォームはされていないから、荒れ放題らしい。


 車は、いったん古民家バンクの事務所に立ち寄り、今度は土門さんと音羽さんで入っていった。


 待つ事数分。


 車に戻ってきた土門さんの手には、小さな鍵が握られていた。


「え、内観するのにオレたちだけで?」

「あの担当者、説明が長いんだ。日が暮れる前に済ませたいから、断ってきた」


 そんなものでいいのだろうか?疑問は残るが、東雲町にはすぐに到着できた。


 コインパーキングに車を停め、少しずつ夕暮れが迫っている道路を歩く。

 川を挟んで両方向に車道があり、交通量は意外に多い。


 会報誌で見たように、通りの先には重厚な造りの土産物屋の建物が見えた。


 土門さんは、いつの間にか撮影したらしい会報誌の写真を見ながら少し考えて、一つの坂を指さした。


 急勾配の坂だ。ひたすら真っすぐに伸びていて、見ているだけで息が切れそうだ。

 案の定オレはひいひい言いながら、土門さんは顔色一つ変えず、音羽さんは相変わらず見事な裾裁きで、坂を上った。


 太い通りからは、車がすれ違えるか微妙な細い道が、何本も左右に分かれていた。

 しかも住宅街なので、ほぼ同じ景色である。

 夕方だからなのか、歩いている人は他におらず、異界に迷い込んだ気分になる。


 だから担当者を連れてくれば良かったのに…という言葉が喉まで出かかったところで、土門さんが立ち止まった。


 土手の上に建てられた、二階建ての家だ。


 年月を経たコンクリートの塀に、薄汚れた玄関フード。


「どうだ?」


 土門さんに促され、隣の小さな空き地から、絵の写真と実際の景色を見比べる。

 ビルなどはだいぶ変わってしまっているが、上の階からなら同じ景色が見られそうだ。


「正直記憶はないんです。でもこの家は…見たことあるような気がします」

「決まりだな」


 土門さんが玄関の鍵を開ける。

 着物が汚れるからと、音羽さんは外で待つ事になった。


 カラカラと音を立てて、引き戸が開いた。

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