第46話 通算168回目

母は、私の元部屋の扉を開けた。


私は、異臭に思わず鼻をつまんだ。

しかし、そんなことがどうでも良くなるほどの景色に、呆然とした。


「・・・」

左脇に位置するベッドを中心に、紅い血液が飛び散っていた。


「あら、知らなかったの?」

「いや、夢で見た景色と完全に一緒でな」

「そう」


私は、ベッドの脇にしゃがむと、血の中心に触った。

小さい私は、ここで一人で戦ったのだ。


「のお母さん・・・」

「なに?」

母は、私を邪魔しないようにか、部屋の中心で窓の外に目をやっていた。


「母さんは、私のこと、大切だった?」

いつも穏やかな母の表情が乱れた。


「いや、すまん。忘れてくれ」

そうだ。昨日、小さな少女の話を聞いたときに、不意に気になったため聞いてみたが、母がクソガキを大切に思っていたわけがない。

なんて思い上がった質問をしたものだ。


諦めのついた表情を浮かべたと自分でも分かった。

この部屋にも、未練を残していても、所詮自分は、あの少年の言うとおり、悪霊にしかなれなかったのだ。


「あなたはなぜそんなに

「ごめんね。私、母さんの立派な娘になれなかったよ。ごめんなさい。本当に」

涙を流しながら、私はそう伝えた。

本心だ。

自分は国の英雄で、最強で、素晴らしい人間だ、とおごった過去はある。

その事実も変わることはない。

そうなることを願い、今まで生き続けてきたのだから。


「私は今までこの手で、数字では表せないほどの多くの人の命を奪った。それが私の生きる理由だったから。でも、でも・・・」


何をもって自分が涙を流しているのか、分からなかった。

今まで、どれだけ親しい者を亡くしても、心に悲しみが宿ったことはなかった。


それどころか、まともに会話をしようと思い、実行したことはあっただろうか。

少なくとも、5歳を過ぎてからはそんなことは無かった。

初めて、リンに声をかけたに時は、声帯が機能せず、むせた記憶さえある。


小さな私に強く抱かれた夢は、私をここまで連れてくると同時に、地獄へと招き入れたのかもしれない。



自身の勝手な想像が、膨らみを止めなかった。

しかし、母は私を優しく抱擁ほうようしてきた。

「少なくとも、私はあなたにそんな思いを抱いたことは無いわ。あなたをこの地へと送り出したのは私よ。あなたは悪くない。ごめんなさい」


母の最後の一言に、不意に、私の目から涙が止まった。

あぁ、母親とは、このようなものなのだろう。

自身の腹に、子を宿し、生涯かけてそれを育てる。

愛情がなければ到底やっていけるものではないだろう。

私の母に愛情があるのかは分からない。

というよりそれを聞いたのだ。


しかし、私には、家族という関係性はどうやら苦手という概念にあたるらしい。

母は愛情を持っていると答えた。

私には、それを信じるほどの自信が無かった。

同情が欲しいわけでもなかった。



またも不意に、一つの考えが浮かんだ。

何処か懐かしい。

私の部屋は、女子寮の最上階。数字にして、約28m。

投身自殺で確実な高さは20mだと、自身の経験から分かっているので、十分な高さだ。

おまけに、光がないと生きていけない体故に、窓も天井もガラス張りになっている。


母の手を振りほどくと、虚ろな足取りで窓へ駆けた。

強力な結界だが、解除は私には訳もなかった。

私は自身の身を投げた。

母の息を呑む声と、こちらへの足音が聞こえた気がした。


「これで、通算168回目じゃな」

空中で微笑んだ私は、王宮の裏側に落ち、無惨な音をあげた。




アルコールの匂いが鼻を刺した。王宮の機密病室か。

すぐに存命を悟り、右手をあげた私を誰かが止めた。

「・・・お医者さん?私、生きているように見えますが」

宮廷医師か。

「知っているだろう?君は寮の最上階から落ちた。が、助かった。良かったな」

「なぜ私を死なせてくれないんですか」

「それは、君が死ぬことを許されない存在だからだ」


「そう。冷たいですね」

(以前よりも)ね。



「死にたがりはもうやめたんじゃなかったのかい?」

「あら、お初にお目にかかりますかね。研究長さんではありませんか?」

部屋を訪ねてきたのは、いつ死んでもおかしくなさそうなおじいさんだ。

私はいたってナチュラルにそのジジイを出迎えた。


「初めてではないだろう?この光景は最早慣れたものだね」

「あら、お年で脳が逝ってるみたいですね。墓に入ることを勧めておきますね」

完全な煽り腰で言い返した。

リンがいたら叱られてたかな。


「はぁ、こうならないために未知の実験を施し成功したというのに。何をやっていたんじゃ」

「あらぁ、あくまで自分のせいではないと?随分なご身分ですねぇ」

顎に手を当ててくすっと笑って見せた。

キレ返してくるかと思ったが、深くため息をつくとジジイはドアへと体を向けた。


「次こうなるようなら、それからは君の意思が消えると思いなさい。自殺を試みるくらいだ。それが勝手に人を消し続けるのも、嫌なんだろう?」

「ジジイのクセに口は回るんですね。分かってますよ」

にっこり笑顔で押し通すと、ジジイは部屋から出て行った。


先生は意味深な会話に、口出しもできないようで、沈黙の後、切り出した。

「先ほどおっしゃった通りだ。次はないぞ」

「分かってますよと言ったのが聞こえてなかったんですか?」

「なら親を心配させるな」

あぁ、そんなこともあったな。

「親、そうですねぇ」

「マザコンだと聞いていたんだが、違ったのか?」

「どこでそんな言葉覚えてくるんですか・・・。ええまぁ、そうでしたね」

「今は違う、と」

「なんか、またどうでもよくなって」


「点滴を入れ替える。寝ろ」

「口が悪いですね。これだからガキは」

ちっと舌打ちの後、私は音をたててベッドに寝た。






「ウガッ」

窓からの日差しで目が覚めたようだ。

久しぶりにベッドで寝たな。とどうでもいいことをぼやいていたら、どこか忘れていた声が聞こえた。

「君、それ以外の起床の仕方ないわけ?」

「朝から生意気炸裂か?」

私は、声の主の姿も見えないまま、声に答えた。

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