【web版】婚約者に勘違いされている悪役令嬢は推しを語っているだけ

陽炎氷柱

「私が好きなのは貴女!」

「――それでエルズワースったら、俺の方が強い!って拳で壁を壊して大問題になったのよ」



 俺は目の前で楽し気に話す少女を眺めた。その視線に気づいたのか、猫のように吊り上がったアメジストの瞳がこちらに向けられた。



「ジェレット殿下?」

「いや、何でもないよ、レティシア」



 華やかなドレスを纏い、ライラック色の波打つ髪を持つ少女は名家スヴニール公爵家の一人娘で――俺の婚約者だ。

 金銭に余裕がない王家から頼み込んだ婚約だが、レティシアの涼しくて刺すような美しさに反した暖かい性格はあっという間に父上たちの心を掴んだ。

 俺も王太子としての公務を押しのけて、こうしてお茶を飲むくらいには彼女を気に入っている。



「それよりも、だ。やっと会いに来てくれた婚約者が、他の男の話を楽しげにしていることの方が大問題だと思わないか?」

「……へ?」

「あんな筋肉ダルマより、もっと俺のこと考えてよ」



 甘えるような声を意識すれば、レティシアは照れたように視線をさまよわせた。こうやってコロコロと変わる表情を近くで視れるのも婚約者の特権だろう。


 はじめは小さな違和感。いつしか、彼女の事ばかり考えている自分がいた。

 ……白状すると、俺はレティシアの事が好きだ。



「もう、からかわないでっていつも言ってるじゃない」

「俺はいつも本気なんだけどなあ」

「そんな胡散臭い笑顔で誰が信じるというのよ」



 これくらい軽いのがちょうどいい。

 だって、俺は知っている。レティシアには好きな人がいるという事を。そして、その人と俺を重ねて見ているということも。



 最初に気付いたのは確か、声変わりをしてすぐの頃。

 俺の声を聞いたレティシアは固まって、それから寂しさと愛おしさが混ざったような顔をした。いつも明るい彼女のそんな顔は初めてで、俺はつい理由を聞いてしまったのだ。

 最初は口ごもったレティシアだが、食い下がる俺に諦めたかのように口を開いた。



「優しくて、可愛い人だったの。彼は人気者で、みんなに愛されていたわ」

「レティシアも、その人のことが好きだったの?」

「ええ、彼の笑顔に何度も救われたわ!」

「気持ちを……その、伝えないのか?」

「まさか。彼には素敵な奥さんがいるもの」

「それに、とても凄い人だから、私なんか遠くで応援するのが精一杯よ」

「……へえ、そうなんだ」



 そう話すレティシアの顔はキラキラ輝いていて、本当にその男のことが好きなのだと伝わってきた。

 俺は、自覚した瞬間に失恋したのだった。




「つまり、殿下は手放す気もない癖に自分の婚約者を諦める話をしてるんすか?普段生産性しか考えてないやつのセリフとは思えないっすね」

「それ、言外に“馬鹿”だと言ってないか?」

「まっさかそんなー……いや顔怖」



 場所は皇太子宮。

 気心が知れすぎる部下を笑顔で黙らせて、再び書類に目を落とす。視界にちらつく自分の黒髪が煩わしい。レティシアが気に入っていなければ、とっとと切っていたのに。



「そんなに見つめても“婚約式”の文字は変わらないっすよ。今までさんざん先延ばしにしてきたけど、いい加減はっきりさせないと陛下たちも首を突っ込むしかなくなりますって」

「……分かってるさ」



 貴族学校を卒業したら婚約式をして、レティシアを正式に王家に迎え入れる。

 その予定だったはずだが、俺はまだ踏み出せないでいた。このまま婚約を進めてしまえば、レティシアは本当に想い人とやらを諦めなくてはならない。その人を奪いたいだとか言ってくれれば、俺も躊躇いなく彼女を手に入れられるのに。

 昔、レティシアは自分の気持ちを『そんなにきれいな物じゃない』と言っていたけど、まったくそんなことはない。素直に相手の幸せを願える時点で、俺よりずっと美しいはずだ。



(……悔しいな)



 レティシアが愛した人だ。彼女の言う通り、さぞ素敵な人なのだろう。そんな人に重ねられるのをいいことに、レティシアに好かれようとした俺とは大違いだ。

 だが、顔も知らない男にレティシアの心が囚われている。そこに俺が入る隙間がないが許せなくて、どうしようもなく悔しい。



「分かってる人の顔じゃないから言ってるんすよ。ちょうど良い口実ですし、スヴニール嬢と腹を割って話してきたらいかがです?……というか殿下、一度も自分の気持ちを伝えてないじゃないですか」

「…………そう、だな。レティシアは俺の婚約者なんだ。遠慮する必要もないか」



 見ているだけでいいというなら、その視線の先を俺に変えてやる。



。。。




 気がついたら乙女ゲームの悪役令嬢になっていたけど、声優オタクだった私はとりあえず画面の向こうにいた推しと話せることに感謝した。

 

 前世じゃ恐れ多くてイベントにも行けなかったけど、美少女レティシアになった今なら自信持って声をかけられる。

 しかも悪役令嬢レティシアは私の最推し声優が担当しているメインヒーローの婚約者である。推しの声を間近で浴びれる最高の立場。

 婚約回避なんて絶対にしたくない私は、死にものぐるいで頑張った。推しの応援ボイスが無ければ挫けていただろう。



(確かに推しとの関係改善も頑張ったけど!何よりも頑張ったけど!)



 あらゆる意味で暴れ回る心臓から意識をそらしつつ、私は推し――ジェレット・ランドールを見つめ返した。

 ジェレットの赤い瞳が同じように私を見つめている。レティシアになってから隙あれば眺めていた顔だが、今だけは目を逸らしたくなった。



「君以外の誰かなんて考えられない。俺の妃になってくれないか?」



 それは、ジェレットルートの真エンディングで彼がヒロインに言うセリフと同じだった。

 前世で一番好きだったセリフなのに、不思議と胸がざわついた。だって、ジェレットには可愛いヒロインがいる。


 私がいつもジェレットと一緒に居たがったせいで他の女の姿なんて少しも見えなかったが、それだけで安心できない。原作と比べたらそりゃあ仲がいいけど、ジェレットは一度も私に気がある素振りを見せていないのだ。

 特段嫌う要素がないから、お金のために結婚しようとしているだけかもしれない。



(推してるうちに、ジェレット自身を好きになってしまったもの)



 ヒロインの方がいいなんて言われたら、それこそ一生立ち直れない。元々ゲームのエンディングである卒業式に婚約者を辞める予定だったんだ。

 離れたくなくて現状に甘えていたけど、ここでキッパリ諦めるべきだろう。



「ジェレット殿下、その……」

「ああ、レティシアには愛している人がいるのは知っている。でも彼と一緒になれないなら、俺にチャンスをくれないか?……絶対に幸せにしてみせるから」

「へっ」



 どうやら私には愛している人がいるらしい。え、誰だ?

 ジェレットの口ぶりからして、自分以外の誰かのことを言っているよね。……いや本当に誰だ???



「隠さなくてもいいんだ、別に怒ってはいないから」



 別の隠してるわけじゃないのだが????

 目を丸くして固まる私に、今度はジェレットが困惑した。



「……レティシアがその男を忘れられなくて、俺に重ねているんじゃないのか?」

「……か、重ねてる!?私、そんな失礼なことをしていたかしら!?……あ、あの、いつから?」

「そうだな……俺の声変わりが始まったころだから、貴族学院に入る前だったはずだ」

「大分前からじゃな……え、声変わり?」



 心の中の私が盛大に膝から崩れ落ちて膝小僧が砕けた。



(推し声優の声に感動した日ですねアウト!)



 違うんだ、確かにあの時の私はまだ前世の感覚が抜けていなかった。ちょっと懐かしいなと思っただけで、決してジェレットをおろそかにするつもりはなかったんだ!

 そもそも声についてもあくまでも推しなのであって、恋愛的な意味は全くない。私は、役目をしっかり果たしていて、家の都合でできた婚約者にもしっかり向き合ってくれたジェレットが好きなのだ。


 とにかく、今は誤解を解かなければならない。



「私は確かにその人のことは好きだったけど、殿下が思っているような気持ちは全くないわ」



 今度はジェレットが目を丸くした。

 さすがに前世のことは言えないから、私は持ち得る語彙力を駆使して婉曲的に弁明した。最初は宇宙に飛ばされてしまった猫のような顔をしていたジェレットだが、話が進むうちに安堵と後悔と喜びで大変複雑な表情を浮かべていた。



「――つまり、レティシアはそいつのことをなんとも思ってないんだな?」



 なんとも思ってないわけじゃないけど、話をややこしくしないためにも、私は深く頷く。

 すると、ジェレットは肺から空気を出し切るような大きなため息をついた。てっきり振り回したことを怒られると思っていた私は、その気が抜けたような反応に驚く。

 だけど次の瞬間、ジェレットはにっこりと笑顔を浮かべた。おかしい、笑顔なのに圧を感じる。



「君の心がまだ誰の物でもないなら、俺が躊躇う理由はないよな?」



 いつも優しいジェレットの有無を言わせない笑顔に冷や汗が止まらない。

 曖昧に笑う私に、ジェレットは熱の籠った視線が刺さる。



「君を愛している。だから必ず、レティシアの心を手に入れて見せるよ」



 その言葉で、ハッと我に返った。

 そういえば私、勘違いを正すのに必死すぎて自分の気持ちを伝えてなかったな……?


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