勇者と魔女の新たな旅立ち

「お目覚めか。体を動かしてみろ。ゆっくりだ」


 本当は何度も瞬きしたいのにできない。

 声を出そうにもどうやって話せばいいのか分からない。

 頭では分かっていても、体が言うことを聞いてくれなかった。


「何百年も座っていたのだから無理はない。立てるか?」


 私、座ってる!?

 ぎこちない動きで首を下に向けるとラギの言った通り、私は硬い椅子に座っていた。

 わずかに足首が動き、痩せ細ったふとももにも力が入る。


「ど、どう……て」


「俺を認識しているミカを殺した。こっちのお前は俺を知らないからな。記憶を失っているかと思ったが、都合の良い体のようだ」


 なんてことをしてくれるんだ、この小僧は。

 いきなり殺されて、弱りきった体で生きろ、だなんて自分勝手すぎる。


「っと」


 ラギは脱力している私の腕を持ち上げ、肩を貸してくれた。

 ふんっ! と全身に力を込めて立ち上がる。

 腰が砕けそうになったけれど、彼が支えてくれるおかげで立つことができた。


「魔法陣の中に。どこでもいいから、強く願って」


 やっとのことで声を出し、それだけを伝える。

 ラギは言う通りして、魔王城から一番近くの勇者専用宿屋の一室へと転移した。


 ベッドに腰掛けさせてくれたラギは、ちゃんと宿屋の店主に事情を話しに行った。あとで頭を撫でてあげないと。

 以前の彼なら無断で部屋を使っていただろう。


 水を一口飲むだけでもむせてしまうなんて、どこまでも難儀な体だ。


「どこにある? チッ。相変わらず荷物が多いな。不死なんだから、回復薬なんていらないだろ」


 愚痴をこぼしながらリュックの中をガサゴソしていたラギはお目当ての物を見つけたようだ。


 小瓶を取り出して、部屋に噴出してから霧の中をくぐる。

 途端に甘い香りが部屋中を満たした。


「中身が減っている。使ったのか?」


「……さぁ。どうだったかしら」


 眼球までも上手く動かせないなんて驚きだわ。

 宿の店主はラギの食事とは別に、野菜をすり潰したスープを持ってきてくれた。


「食って早く動けるようになれ」


 スプーンがこんなにも重いなんて初めての体験だ。


「まさか、スプーンも持てないのか?」


「そのようね」


 お皿に顔を突っ込むわけにもいかず、どうするか悩んでいるとそっぽを向いたままのラギがスープを掬ったスプーンを私の口元に近づけてくれた。


「これなら食えるか?」


「うん」


 スープをひと啜り。

 口の中には野菜の甘みが広がり、体中が熱くなるのを感じた。


「美味しい。こんなにも美味しい物を食べたのは初めてだわ」


「舌も敏感になっているのだろうな」


 ラギの目的が分からない。

 確かに私を殺して欲しいという願いは叶えられたけれど、まだ私という存在がこの世から消滅したわけではない。

 満足に動けない私を回復させてどうしようというのだろうか。


 宿の店主が「何泊しても構わない」と言ってくれたおかげで私は充分な時間をかけて一人で歩けるまでに回復した。

 その頃になってようやくラギは元の世界に帰ってからのことを話してくれた。


「俺は婚外子で、父親からは皇族と認められなかった。でも、そのおかげで唯一、逆賊共の手から逃れることができた。そのタイミングでこの世界に召喚されたんだ。俺は早く戻って捕まった他の皇族の最期を見届けるつもりだった。それなのに」


 ラギは奥歯を噛みしめ、私を見つめた。


「ミカのせいだ。俺の能力は健在で、逆賊共は突然現れた俺に『貴様は誰だ』と問いかけた。俺は処刑寸前だった皇族全員を助ける羽目になったんだ」


「最初からそうするつもりだったのでしょう?」


「っ!?」


「分かるわ。あなたは意外と優しいもの。昔からお父様に認められたくて仕方なかったのでしょうね。きっとご両親はラギを皇族から引き離すために認知しなかった。そうでしょ?」


「……なぜ分かる。俺はそんなこと想像もしていなかった」


「記憶を取り戻した今だからこそよ。私もラギも両親に守られていた。案外、似た者同士だったわね」


 ふんっと鼻を鳴らしたラギが立ち上がり、部屋の窓を開ける。

 心地よい夜風が私の髪を撫でた。


「どうして戻ったの?」


「神を殺した。皇族として全能神とやらに挨拶するように父に言われたから、この能力で神を殺して世界の理を壊してやった」


「え? え? いえ、そう意味じゃなくて」


「じゃあ、どういう意味だ」


「なぜ、戻ったの? 仲直りできたなら、そのまま元の世界で過ごせば良かったのに」


 ラギは視線を泳がせてから、気まずそうに呟いた。


「ミカに会いにきた」


 想像の斜め上を行く返答に私も口ごもってしまった。


「ミカの願いは叶えたぞ。あとは好きに生きるといい」


「ラギは魔王討伐の報告に行くの? この世から魔王はいなくなったわけだから、勇者も必要なくなったはずよ」


 彼は質問に答えず、私に手を差し伸べるだけだった。


「俺はミカと一緒に行きたい。不老不死とか関係ない。勇者なんてもうこりごりだ」


「私も。何百年という時を生きてきたけれど、同じ時間を共に歩みたいと思えたのは初めてよ。ラギと生きたい」


 それから更に日数が経ち、私の体は健康的なものへと戻りつつあった。


「これからどうする? 正攻法で復権を目指すか? それとも魔王として王国滅亡を目指すか?」


「馬鹿な冗談を。私はラギが居てくれればそれでいい。どこかで平穏に暮らしたいわ。なんなら、あなたの母国に行くのも有りかもしれないわね」


 まだリュックを持って長距離移動できない私に代わってラギが背負ってくれた。

 以前では考えられない行動と体力だ。


 私たちは行く当ても決めずに肩を並べて歩き出した。

 不器用な二人が恋とか愛を認識するのには時間がかかるかもしれないけれど、きっと大丈夫。そう信じて手を握り返した。

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この恋は勇者不在につき終了いたします。 桜枕 @sakuramakura

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